黒の切り札
執筆を疎かにしてた訳ではありませんが、こちらに全然アップしてなくてすみません……!
連続でアップさせていただきます
鳥のさえずりすら聞く事の出来ない、閉ざされた森の中にそれはひっそりと存在していた。
無数の呪術で結界が施された、大きな屋敷。かつては栄華の光に包まれ、華やいでいたこの屋敷も今では廃れ、地獄への入口かと思われるほど暗く重たい空気に澱んでいる。
そんな建物の中、一番闇の濃い奥の部屋。
纏わりついた術式によって自由を奪われた黎琳の姿があった。巨大な試験管にも似たようなものの中に意識がありながらも閉じ込められるのは正直体力的にも精神的にもつらいものがある。
しかしここで屈するわけにはいかない。術式のせいで本来の姿に戻って脱出することも叶わぬが、彼らの陰謀を実らせるわけにはいかない。この地上には愛すべき家族が、仲間が、人々がいるのだから。
そして……。
「まだ僕達の言う事に従うつもりはない?」
まだ若々しく高めの声が黎琳の耳に届いた。忍び足が上手いこの一門は、ちょっと考え事をしているだけで簡単に気取られぬように間合いを詰めてくる。
動揺を表に出さずに黎琳は言った。
「お前達の要求を呑まなければならない謂われはない」
「では、愛する夫や娘に危害が加えられても平気だと?」
「……やれるものならやってみろ。私は死んでも絶対にお前たちの願いを叶えない」
「それが別に君じゃなくてもよくなったんだよ」
その言葉の意味を悟った黎琳は全身の血の気が引いた。
「まさか――私の代わりに、燐燐を使う気!?」
「ご名答♪」
卓の上に用意されていた砂糖漬けの葡萄をぐちゅり、と指で摘まんで口に放り込み、満足気に舌で果汁を舐め取った少年は邪気のない笑みを浮かべた。それとは裏腹に口から零れ出すのは毒気をたっぷり含んだ言葉ばかりであったが。
「もしかすると彼女の秘めたる応龍の力は君の力を超えているかも知れないらしいじゃないか。彼女を使えば、きっと僕達のかねてからの願いは叶うだろうね。まったく僕達はついているね!この機を待って良かったよ!」
「貴様……っ!」
すぐさま殴りかかろうとした黎琳だったが纏わりついた術式が容赦なく彼女を留めた。
「君は彼女を誘き出すための餌になるんだ。ここで大人しくしててもらおう」
少年が何か短く唱えた途端、黎琳の意識は暗闇の中へと落ちていった。
がくり、と黎琳が意識を失い頭を垂れたのを確認し、少年は部屋をあとにする。
部屋の入口には跪き、主の帰りを待っていた二つの影があった。そんな彼らを気にも留めず、少年は足早に階段へ向かう。二人は何も言わずに主の後につく。
「……この応龍の力をもってしても解けなかったのは予想外だったが、これで間違いは正される。我らが再び栄華を誇るのも、応龍などという忌まわしき存在もそれに与する者どもも皆消し去れるのも、時間の問題だね」
悲願を前に浮足立つ主に、片割れが釘を差した。
「我々の真なる願いをお忘れになっておられないようで安心致しました。最近は随分とご執心だったと聞いております。一族のものをあまり不安がらせぬようご注意なさいませ」
「口うるさいな、お前は。分かっているよ、絃燕」
絃燕と呼ばれた、黎琳を連れ去りし呪術師は低く呻くように笑った。少年はにこりと笑みを浮かべた後、手を振った。
それは笑顔とは裏腹に、邪魔だから散れという合図の他ならなかった。口の端こそ持ち上がっているものの、目はギラリと光っていた。
「それではまた後ほど」
これ以上側についても機嫌を損ねるだけだと判断した絃燕達は身を引いた。まだ幼さの残る少年だと言っても彼はれっきとしたこの一族の当主であり、その力に敵う者は誰一人いない。すべては彼の一存で動き、彼に愛想を尽かされればいとも簡単に一族内のみならずこの世から消え去らねばならないことになる。
これ以上機嫌を損ねてしまう前に絃燕達はそそくさと彼の側から離れるのだった。
彼らが離れたのを確認した少年はここぞとばかりに悪態をつきながら移動する。
「あいつらは小蝿のようにうるさい。この没落した一族の復興さえ叶えば僕が当主でなくとも関係ないのだろうに」
そう、目的が果たされれば恐らく様々な言いがかりをつけて自分を降ろしにかかるだろう。何せいくら強大な力を継いだ跡取りとはいえ、まだ実年齢十三の少年でしかないのだ。そんな若造がすべてを握っているのは古くからこの一族を支えている重鎮達には面白くないのは分かりきっている。
――でも、僕は彼女を目覚めさせるまで、ここを退くわけにはいかないんだ
日の光が完全に遮断された地下室の扉を開く。ひんやりとした冷気が、少々頭に上っていた血を冷まさせた。
暗闇に目が慣れて、ようやく目的のものを見つける。漆黒の長細い箱、いや棺である。その周りには赤黒く描かれた陣の跡が残っている。もはや何の効力も持たない代物であるが、陣を構成するために一体どれほどの血を欲したのか想像はつかない。
ゆっくり棺の蓋を開けると、白百合の花に囲まれて眠る一人の少女の姿があった。この陣と遺体は彼が生まれる前どころか、彼の祖父が生まれて間もない頃に安置されたものなのだと聞いている。つまり、もう永遠の眠りについてから五十年以上が経過しているのだ。それにもかかわらず、時が止まったかのように彼女はそのままの状態でここに取り残されている。人の身でありながら、逃れようのない腐敗から逃れて見せているのだ。
「今日も来たよ、紗那」
この国の中では聞き慣れぬ独特の響きの名を呼ぶ。
この少女は元々一族の出身のものではない。かつての一族の長が見初めて連れて来た隣国出身の少女なのだという。そして長はその大いなる野望がためにこの少女を贄に……――。
『また、君は来てくれたの』
どこからともなく声が聞こえた。凛として美しい律を持った声色。姿は見えずともこの少女が笑って話しかけているのが脳裏に浮かび、思わず少年も頬を緩める。
「もちろん。紗那はもうずっと孤独に耐えてきたのだから、これ以上寂しがらせるつもりはないよ」
『そうね。私がここから目覚めたらもっと自由に、もっと長くあなたの側に居られるのに』
「直にその願いも叶うよ」
『嬉しい!でも、無理はしないで?そもそも私は死んでいなければならない身。こうしてあなたと言葉を交わし、互いに想いを通じ合わせていられる事だけでも十分奇跡だし、幸せだもの。この一族は血肉の争いが絶えないから、私のせいであなたに災難が降りかからないか心配だわ』
「紗那は何も心配しなくていいよ。何があろうと、紗那は僕が必ず――!」
悲しき囚われの姫を救う。一族はおろか、世界のすべてを敵に回したとしても。
孤独から解放してくれた彼女に、もう一度命の息吹を。
切なる、しかし禁忌なるその願いは、新たなる災いを目覚めさせようとしていた。




