炎に消えゆく幸せの日々
五、六本の短刀が一斉に黎琳目掛けて投げつけられた。
何とか刺さった短刀を抜き、黎琳は口の端を持ち上げた。
次の瞬間、見えない壁に阻まれ、短刀は彼女に届く前にトスッと落下した。そして彼女の身体が眩く輝きだしたかと思うと、その影はみるみる巨大化し、立派な龍の姿へと変化した。
「ほう、これがお前の真の姿と言うわけか」
『お前達は何故私をつけ狙う。先日の一家もお前達が消し去ったのか!』
「彼らは我々の大いなる計画を台無しにしてくれたからな。それ相応の礼を尽くしたまでだ」
直接的ではないけれども、引き金を引かせたのは自分に間違いないことを痛感し、奥歯を噛み締めた。
とにかく狙いが黎琳自身なのであれば、この姿を晒しながらここを離れるしかない。この村には傷つけたくない者達が居すぎる。家族はもちろんのこと、ここに集まっているのは人と妖魔という種族の隔たりを真っ先に捨て、共存の道を開いてくれた者達ばかりだ。もはやここは人と妖魔とが結ばれるのが当たり前で、混血が居るのも当たり前な、理想の場所となっていた。ここからさらに同じような集落がいくつも出来て、次第には国家まるごとそうなればよいと密かに願ってきた、要の場所なのだ。
ゆらり、と気の流れが大きく乱れる。
『周りの者達を犠牲にするなど、人の風上にも置けぬ輩だ!』
凄まじい波動が下っ端達に襲い掛かった。高密度の気を浴びて、泡を吹いてパタパタと気絶していく。しかし先程黎琳に近づいてきた影一人だけは結界を張って凌いだようで、全く動じなかった。
ただの人間にしては扱う術が高度すぎる。
応龍の扱う気は天界の七神の力に匹敵するものだ。並大抵の人間が対抗し得るような代物ではない。なのにこの影――黒衣に身を包んだ男は現にそのような術を体得している。これは一体どういうことなのか。
「どうした?応龍の力とは、たったこれほどのものなのか?」
ただでさえ煮えたぎっていた怒りはとうとう爆発した。
『貴様……っ!』
勢い良く突進し、その襟首を咥えてやろうとしたが、軽くかわされ、無防備な腹に衝撃が走った。男が何かしらの術を当てたらしい。
火傷の様なじんじんとした痛みを伴う傷口に一瞬だけでも気を逸らしてしまったのがいけなかった。
「これでどうだ!」
『!!』
黎琳を囲むように青い稲妻が駆け抜けたかと思えば、天から一撃、強烈な雷が彼女に降り注いだ。身体中を駆け巡る電流とそれに伴う痛みが黎琳を苦しめる。
そしてそのまま地に伏したかと思うと、再び人としての姿に戻ってしまった。
雷撃の影響で身体が痺れ、思うように四肢が動かない。それでも産み落とされたばかりの馬のように懸命に立ち上がろうとする。
――ここで、屈する訳にはいかないのに……!
地を這う彼女の上から平べったい足が振り下ろされた。ドスッと鈍い音と共に今まで発した事もないような悲鳴が黎琳の口から漏れた。
「この平和なご時世に応龍も腕を鈍らせたようだな」
「くうっ……!」
「しかしこれで尚更我々の目的の達成は明確なものとなった」
男がぶつぶつと何かを唱えた瞬間、黎琳の視界が急激に霞んだ。自らの気で術を弾こうとしても、意識を保つ事が出来ない。痺れで身体が思うように動かず、気を扱う力も弱まってしまっていたのだ。
――やはり、私は……
無力だ。
深い絶望と共に黎琳の頭がかくりとうなだれた。
「そうだ、それでいい。絶望するのだ。何が応龍だ。世界の救世主だ。お前のした事で苦しみに生きなければならない者が居る事を忘れ、のうのうと幸せに暮らしてきた偽の英雄め!」
もはや意識のない黎琳の額をつま先で思い切り蹴飛ばす。前髪で普段はほとんど見えない額がみるみる紅く染まっていくのが髪の隙間からでも分かった。
本当ならばここで命を奪いたい。そうでもしないとこの腹の内に溜まっている憎しみが溢れ出して、理性を保てそうにない。しかし、上の命令がある以上このまま彼女は御前に差し出さなければならない。用が済めば煮るなり焼くなり好きにすればいいと言われているのだから、それまではこの衝動を抑えなければ。
「お前達、いつまで伸びているつもりだ」
倒れている下っ端達を一人ずつはたき起こす。ようやく意識を取り戻した同志達が辺りを見回し、人の姿と化した応龍が地に伏せているのを見て現状を把握する。
「この応龍を運べ。途中目覚めて暴れないよう禁術を奥でしっかりかけてからな」
「は」
「さあ、まずは手始めにこの村を焼き払おうか」
人と妖魔が交じり合って暮らす、忌々しきこの村を。
人差し指と中指をたて、呪を唱えれば火種が一つ、ぽうと浮き上がった。
同士の一人が差し出した、油をたっぷり漬け込ませた木片に小さな火種を近づける。分かりきったとおりに小さな爆発と言える勢いで火が燃え盛り、すぐさま手を離した同士によって近くの小屋に燃え広がった。
黒煙がもうもうと天に昇っていく。中からは家畜の悲鳴めいた鳴き声が聞こえてくる。
村人が気付くのも時間の問題だ。しかしこの炎はただの炎ではない。自然の水によって消火することは出来ない。無駄な抵抗をしながら、彼ら村人は全てを、自らの命をその炎に呑みこまれていくしか出来ないのだ。
ここで起こった事を知った時の応龍の顔が楽しみでならない。
「行くぞ」
隠し切れぬ笑みを浮かべながら影は夜の森へと消えていった。
「……だ!……――を持って……!――急げ!」
外から聞きなれた、しかしいつもの調子ではない声が聞こえ、燐燐は閉じていた瞼を開けた。
まだ真夜中のはずなのに、外がやけに明るいような。
しっかり閉じていた窓を開けば、そこには……火の海が広がっていた。
「!!」
慌てて部屋の扉を開き、階段を駆け下りる。
夜着のままで、裸足であるのもお構いなく玄関の戸を開き、外へと出た。
見慣れた村が炎に包まれていた。燃え盛る炎の渦に呑みこまれていく人々。消火のために桶をたらい回しにして水を運ぶ男達。その中に自分の父親が紛れていた。
「父さん!」
「燐燐!お前は家に戻っていろ!」
「これは一体どうなっているの!?」
「分からない……家畜の小屋から火が出たと騒ぎ始めて、そうもしないうちに炎が生きているかのように家屋を駆け巡った。その結果がこれだ」
水をかけていても炎は揺らぐ事すらしない。
燐燐は感じた。これは自然の生み出した炎などではないと。何故だか分からないが、確証を持ってそう思った。
「きっとこれは母さんしか消せない」
「!?」
「母さんは何処!?」
その問いに衿泉は喉を詰まらせた。
「何処なの!」
強い口調に、とうとう衿泉は事実を口にした。
「村の見回りに行ったきり、戻ってこない……」
「え……」
今までに覚えの無い不安と焦燥が燐燐の心に澱んだ。