共に歩む
地が震えるほどの轟音で甜瑠は意識を取り戻した。
一体何がどうなっているのかさっぱり認識していなかったが、その轟音と共にほんのかすかにだが、幼馴染みの悲鳴が聞こえた気がして、まだふらつく足で音の発生源へと向かう。
その道中で意識を失う前の状況を思い出し、燐燐を姪だと言ったあの男が何かやったのではないかと不安がよぎった。あの時には悪意はおろか慈しんでいるような様子しか見受けられなかったが、彼女の叔父は何せ前科持ちだと聞いている。今度は彼女を利用して何かをしでかそうと考えていても不思議ではない。
「くっそ、俺が油断したばかりに……!」
無事でいてくれ。
ただただそう願うばかりだ。
轟音はこの洞窟の外から響いているようだ。ようやく光溢れた出口が見え、目が慣れるのを待つまでもなくその光へと飛び込む。
そして数回まばたきして目が慣れれば、その光がただ外の木漏れ日などではないことが分かった。
巨大な電流の柱が光を放っていたのだ。その中心には燐燐と見受けられる少女の姿があった。しかしめまぐるしい電流が駆け巡り、その身体は焼き尽くされんとしていた。もはや正気を保っているとは思えない状態で叫び声を出していた。
そのすぐ近くには叔父と見受けられる男と、甜瑠を気絶させた狐女の姿があった。
カッと血が昇り、甜瑠が二人に駆け寄る。
「ああ、貴方――」
余裕綽々の女の腹に一発蹴りを入れ、吹き飛ばす。岩壁に衝突した女はかはっと呻いた後動かなくなった。
「お前何を」
まさか突然攻撃されると思っていなかったらしい相手の襟首を掴み、声の限り怒りをぶつけた。
「燐燐に何をしたんだ!!」
今にも噛みつきそうな勢いで言った甜瑠にさえ、黎冥の至極冷静な態度は変わらなかった。
「少しは落ち着くんだ。我々は彼女に何もしていない」
「嘘だ!」
「嘘じゃない!」
そんな常に冷静さを失わない黎冥が大声で反論したのには甜瑠のみならず、意識を取り戻して二人に歩み寄ろうとしていた溜謎も驚いた。
「じゃ、じゃあ一体どうしてこんな酷いことになってるんだ!?」
「それは彼女の有り余る力が暴走しているからよ」
蹴られた腹を抱えながら溜謎が甜瑠に告げた。
「このままでは彼女は暴走した力によって死ぬ。でもこの力は強大すぎて、わたくしも黎冥もどうすることもできないのよっ……」
「な……死……?」
掴んだ襟首を離した反動で尻餅をつく。
よくよく見れば黎冥の掌には爪が深く食い込んで今にも血を流しそうなものだった。本当に黎琳に匹敵する応龍ですらどうしようも出来ない状況にあるのだと悟った。
――本当に、助からないのか……・燐燐は
「どうしようもないのかよ……本当に、どうしようもないのか?」
「――っ」
ぎりっと奥歯をかみしめ、うつむく黎冥に溜謎が寄り添い、首を横に振る。
何てことだ。
すぐ側にいるのにどうしようも出来ないだなんて。
「……燐燐」
最初は轟音にかき消されてしまうような小さな声だった。
「燐燐、お前なら聞こえているだろう?返事をしろよ、燐燐!」
悲しみに張り裂けんばかりの声で甜瑠は叫んだ。
「燐燐!帰ってこいよ!燐燐!」
この叫びは虚しくも届かない……はずだったが。
甜瑠の耳はしっかり拾った。彼女が轟音の中で、今にも消え入りそうな声であったが、自分の名前を呼んだのを。
「!」
迷わず甜瑠は走り出していた。
「!駄目だ、下がれ!お前まで死ぬぞ!」
黎冥の制止も振り切って凄まじい電流の嵐の中へ躊躇わず飛び込んだ。
容赦ない電流の嵐に呑まれ、身体が引き裂かれん思いだった。それでもここで怯むわけにはいかなかった。自分の身体がどんどん深く傷つけられていくのも気にせずに、懸命に手を伸ばす。
そう遠くない場所でゆらゆらと波打つ二房の若葉の髪。しかし彼女をとらえることは叶わない。
――……く、そっ
甜瑠の意思に反して、全身の感覚が麻痺し意識が急速に遠のいていく。
「燐燐――」
半ば体重を預けるように前のめりに傾く。
すると伸ばしたままの手がぽんっと軽く何かに触れた。
次の瞬間、嵐がバチンッと音を立てて弾け消え失せた。
「……燐、燐」
肩に触れられ、振り返った彼女の頬には涙が伝っていた。
「甜瑠っ……私、私!」
彼女の言葉を待つ余裕もなく甜瑠は地に突っ伏した。身にまとっていた服はもはや布きれ同然に破れ、全身に火傷に似た深い傷が刻み込まれている。
暴走が止まったのを見計らって黎冥と溜謎が駆けつけ、甜瑠を抱きかかえる。
「まだ助かる。すぐに我が気で傷口を癒やす!」
気で傷口の治療にかかろうとした黎冥の手を甜瑠ががしっと掴んだ。何故拒む、と尋ねようとした彼に対して甜瑠が思うように動かぬ唇で言った。
「りん、り……お前なら、出来るだろ――」
「!無理よ!だって私は今この力で甜瑠を!」
「無理、なら……俺は、死ぬ。それだけ、だ……」
万全な体制ならまだしも、今さっきようやく暴走から解放された満身創痍の身体ではとても持ちそうにない。
「危険だわ。ここは黎冥に任せるのよ」
きっぱりと溜謎が言い放ち、燐燐を移動させようとした。しかし燐燐は動こうとしなかった。
痛い。
物理的に傷ついた身体の傷が痛むのではない。
胸が、心が張り裂けそうだった。
自分のせいで死に瀕している幼馴染みすら救えないこの力は一体何のために授かったのか。大事なものを傷つけるためか。
――甜瑠、もしかして……。
逃げるな。そう言っているのだろうか。
たとえ逃げてもこの運命は変えられない。仮に力を使用しないようにしても、いずれは強大すぎる力が身体を蝕むことに変わりない。
でも駄目だ。怖くて仕方がない。
今度こそ失敗は出来ない。今度暴走したら確実に甜瑠はおろか自分自身の命も、黎冥や溜謎までも危険に晒す。
「ちゃんと、出来る……信じてる、からな――」
「!」
どうしてだろう。彼の一言一言がこんなにも自分を突き動かす大きな力となっていく。甜瑠が信じてくれているという事実が、こんなにも燐燐に不安や恐怖を打破する勇気を与えてくれる。
力が入らないと思っていた足で走り、先程自分で弾き飛ばした自身の剣を取りに行く。
「やめなさい!」
溜謎が燐燐を制しようとする。
「ごめんなさい、でも今私が甜瑠を救わないといけないって思うの!……今なら大丈夫、そう思えるから……お願い、離れていて」
その意思の強さに、黎冥はとうとう折れて、甜瑠の側から離れる。溜謎も不安げな表情こそ隠せないものの、大人しく引き下がった。それをしかと確認し、鞘から剣を抜く。
――大丈夫、ずっと共にあった剣と、甜瑠を信じて……!
剣に気が纏わりつく。暴走の時に発せられた攻撃的なものではない、温かみのある優しい光だった。
集中し、剣を振りかざす。剣先から気が放たれ、甜瑠の傷口を包み込む。
カタカタと震える手を必死に抑え込む。ここで剣を落としてしまえば全てが手遅れになる。
気が傷口から甜瑠の体内へと流れ込み、自己回復力を上げる。出血が止まり、裂けた皮膚がぐぐっと塞がる。
もう限界だと思う寸前に甜瑠の傷の回復が間に合い、すぐさま気の放出を止める。
とうとう膝から力が抜け、地に伏せる。もう身体を起こす気力は残されていなかったが、顔だけは甜瑠の方に向けた。
閉じられていた彼の濃紫の瞳が開かれ、細められた。
「……だから言っただろう?お前なら出来る、そう信じてるって」
「……うん」
意識が完全に途切れる前に、燐燐は心の底から思った。
自分には甜瑠が必要だ。こんな過酷な運命を背負った自分ででも、共に歩むと言ってくれるであろう彼が、と。




