愚者の戯れ言
「まあなんて素敵なお嬢様だこと」
「あのような方、これまでいらっしゃっただろうか?」
春零の飾りつけのせいで、燐燐はかえって目立ってしまっているようだ。あちこちから扱いに困る視線を投げかけられ、こそこそと話題にされるのはあまり気持ちいいとは言えない。
腹の中にわだかまっている欲望や憎悪が見えてしまいそうで、たまらず燐燐は視線を落とす。
今のところ隠している耳に気付いた者はいないらしい。春零が黎琳はもっと耳隠しを徹底していたというもので、後れ毛の量を更に増やしたのが功を奏しているようだ。
「あの隣にいらっしゃる方もいいわね」
「どれ、わたくしがお声をかけてみましょうか」
燐燐が思わず立ち止まり、その会話主が好機と言わんばかりに傍らの甜瑠の元へと近寄ってきた。
近くに来て初めてきつめの香の香りに気付き、思わず顔をしかめる二人であったが。
「そこの殿方。よろしければわたくし達とお話しをしませんこと?」
当の本人はこれ当然と言わんばかりに気にしていない様子。それどころか甜瑠を香りで誘惑し、掌中に収めようとしているとしか燐燐にはとれなかった。
「申し訳ないが……人を、探しているもので」
「まあ、お連れ様とはぐれたの?ならわたくし達もご協力しますわ」
「いや、その……」
ずいずいと押してくる女に甜瑠はどう逃げ道を作ればいいのか分からないようだ。それに流石の甜瑠も、きちっとした手入れのなされた美肌美人に顔を赤らめないわけにもいかなかったらしい。
助けてくれと言わんばかりにこちらをちらちら見てくるのだが、これはこれで面白いので放っておくことにした。
と、こちらにひっそりと近づく気配を感じ、やんわりと自然に振り返った。
いくら自然を装った振り返りだとはいえ、相手を牽制するには十分だったらしい。妾腹の王子本人は表情を凍らせ、ここからどうしていいのか分からないらしく、固まっていた。
――何を企んでいたのかは知らないけれど……
知らないつもりでここも乗ってみるといいかも知れない。
「これは王子様。今夜はまた一段と豪勢な宴ですね」
「え、ああ……そうです、な」
周囲の人々は何やら相当誤解しているらしい。声をかけたのはこちらからであるが、体勢からするとまるで王子が女を見初めたようにしか見えないようなのだ。
「あまりこのような場でお見受けしない顔だと思いまして……もしかして、宴はこれが初めてですか?」
人前ではちゃっかり猫を被っている様子。まあこちらも人の事を言えるような立場ではないので、その本音は心の奥底にしまっておくことにする。
「はい、そうです」
適当にどこか人気のない場所へ連れ出してくれればこっちのものなのだが。
「少し夜風に当たりながらお話をしませんか?話し相手をしてくれたお礼もしっかりしますから」
これこそ金にモノを言わせた成金発言というものだろう。
黙って頷けば、流石は王族、恭しい態度で燐燐を導く。周囲の着飾った女達は悔しそうにこちらを睨んでいた。そして甜瑠は――。
怪訝そうに顔を歪め、口先だけでこう言っていた。
「また一人で突っ走って、あの馬鹿!」
馬鹿は余計よ!と思わず言ってしまいそうになり、その言葉は何とか喉元で押し止めるのだった。
――あとで一発殴るんだから!
そう心に決めて。
見晴らしがいい城の展望台。
下に見えるは城下町の賑わう店の明かりと、民の暮らしの明かりである。そして鬱蒼と生い茂る緑は闇に溶けて果てなく続いているように見える。燐燐達の故郷の村もここからなら見えるはずだが、生憎その小さな光も闇に溶けてしまって見えそうにもない。
本題を忘れて景色を見つめていた燐燐は、王子とは違う新たな影が忍び寄っていることに気が付かなかった。
「どうです、城の景色は」
「いい眺めでしょうね。でもこの高さではあの賑やかさから遥か遠くに感じるわ」
率直な感想に、同じく王子の率直な感想が返ってきた。
「私もいい眺めだと思いますよ。――汚らわしい気品の欠片もない愚民どもをこうして見下ろせるのですからね!」
予想はしていたが、こっちの方もよほど酷い。一体どんな育ち方すればこんな王子が出来上がるんだと彼本人だけでなく、城の者全てに呆れてしまうほどだった。
「国民をとんでもない扱いするのは弟王と同じなのね」
「私が言うのはそんな成り上がりの者と同じ意ではないっ!あの下の者達は最近とりわけ私腹を肥やそうとしている。城下町なら市も盛んであろうし、いとも簡単に儲けを出すことが可能だ。その利益が最近税として正しく徴収されず、何を勘違いしたのか我々と同じように着飾って貴族にでもなったような者まで現れた。民を財が惑わしているのだ。財を正しく扱えるのはあのような愚民どもではない。我々王家が所有してこそ財は初めて財たるのだ」
「では、その財は何に使うのか、具体的に聞かせてほしいわ。私が納得するような道理で使っていると判断して、そんな事を口走っているのでしょう?」
「……兵力の増強、地方役所の刷新や新たに母上が考案された貿易に」
どうやら質問が悪かったらしい。体のよい事柄しか述べていないようにしか聞こえない。
「質問を変えるわ。貴方は民のために、財を有意義に使う資格があるのが自分であり、王族であると言っているのだと私は認識している。けれど、本当にその財はすべて民に行き渡っていると言えるのかしら?……王族は民の税によってその生活をまかなわれているのだから、完全にとは言えないかも知れないけど、自分達のことを顧みずにその財を使えていると貴方は本当に言い切れる?」
「!……それは」
びくり、と肩を震わせ、口ごもる王子。
この王子は見るところ、酷く臆病に見える。あまり核心をつくと子供のように泣きじゃくったりでもしそうで面倒だったから核心を突くのを避けた訳なのだが。
ただ、ここで一つ疑問が沸き起こる。
本当にこの王子本人が弟王並びに臣下もろとも毒殺しようと企てたのだろうか。さっき自分に声をかけようとしたのを気付かれたくらいで焦りを隠せずに動揺していた、彼に。
「……言いきれないくせに。自分の贅沢も捨てきれないくせに、大口叩かないで!とんだ愚か者ね!」
決して裕福な生活ではなかったけど、人々のために尽力してきた母の姿がより一層輝いて想起された。
――こんなモノと、母さんはずっと戦っていたのね
妖魔のみならず、人の心の奥底に存在している悪しきモノと。
あまり応龍の名を使うつもりはなかったのだが、灸を据えるには仕方あるまい。
「応龍の名の元に、貴方を成敗させてもらうわ!」
どうとでもなれ、と気を放とうとした時だった。
「それは困りますわね」
突如響いた声と共に、漆黒の鞭が容赦なく燐燐の背を打った。突然の衝撃に何が何だか分からず、そのまま地に伏せる。
鞭は耳元でうなり、その身体を縛り上げた。
「お会い出来て光栄ですわ、応龍」
「溟嬬!よくやった!」
溟嬬と呼ばれた諮問官は、紅を塗った口唇でほくそ笑んだ。




