血の味の祝杯
王城の出入り口で待ちわびていた春零が二人の姿を見つけるなり駆け寄り、そのまま屋敷へと連れて行った。
考えなしな行動に一発説教があるかと思ったが、春零と銀蒐は燐燐達が無事に帰ってきたことを何よりも喜んだ。
「本当に何事もなく帰ってきてくれて良かった……!」
「何事もなかったわけではないんですけどね」
「まさか、応龍だとばれたのか?」
「……こちらからばらす前に、向こうが知っていたんです」
それから燐燐は弟王と接触したこと、そこで妾腹の王子が仕組んだと思われる惨劇のことを話した。とんでもない惨状を聞き、春零は思わず銀蒐に寄りかかる。
そして忘れずに最後の報告も行う。
「外に出すと言う条件で、弟王から『数日後にある女王様のために開かれる宴に客人として来い』という条件をのみました」
「!宴に!?」
「こんな緊迫した時に限って王族は宴なんか開くんだなって俺は正直呆れましたけどね」
甜瑠の言い分はもっともである。
城下町の人達でさえも噂で継承争いのことを把握しているのだ。彼らより身近な位置にある女王の耳に入っていないはずがない。体調が優れない女王を激励するための宴なんて名目打ってあるが、彼女のためになるわけがないのだ。下手をすれば目の前で血肉の争いが始まってしまう可能性があるわけなのだから。
けれど、これはある意味一番率直に決着をつける絶好の機会だともとれる。
公衆の面前で応龍の名を出し、弟王を推挙すればいい。これが一番有無を言わさずに継承問題そのものは解消出来る方法である。
手段を選ばないのなら、何の躊躇いもなくこれでいいのだが――。
「あくまで私は、治世のことなんて何も知らないただの小娘なのよね……」
独り言として呟いたつもりだったが、それを聞き拾った春零がすかさず助言を紡いだ。
「治世のこととか、難しいことは考えなくていいと思いますよ。たぶん前帝王に突っかかっていった黎琳も、政の知識など皆無に等しかったでしょうし、そもそも興味もそんなになかったはずですよ」
「え」
「まあ一般常識にとらわれない、我々民の視点ですらもない、完全な第三者の観点も的を射ていたりすることは多々ある。燐燐殿、もう少し自分の心に自信を持つといい。少なくとも、我々はいかなる決断であったとしても燐燐殿の判断に従う」
銀蒐まで助太刀に入る。
「燐燐は少し考えすぎですよ。自分の思うように、やって下さい。もし春零達の助けが必要ならば、いつでも手を貸しますから」
「……私の、思うように」
私は、どうしたい?
その問いへの答えは至って単純で、明確だった。
「私は――」
この際現実的かなんて関係ない。
燐燐の本当の思いを聞いた春零と銀蒐は顔を見合わせ、笑った。そして声を揃えて言うのであった。
「やっぱり親子って思考が似てくるんだな」
「やっぱり親子って思考が似てくるのね」
何のことか分からず、小首を傾げた燐燐。そして何故か隣の甜瑠は腹を抱えて大爆笑している。
馬鹿にされているようで思わず口を尖らせた。
「そんなに笑って、何なのよ!?」
「ああ悪い、悪い!ははは……!でもそれでこそ俺のよく知る燐燐だよ」
悪戯っぽい笑みを浮かべて甜瑠は言った。
「その馬鹿正直に乗っかってやるよ」
「ちょっと春零さん!?私こんな恰好で行くの?」
「まあこんな恰好だなんて。とってもよく似合っているし、王城の宴にふさわしく美しく着飾れてますよ」
数日後、宴の数刻前。
銀蒐の屋敷で、燐燐は顔を真っ赤にして鏡と対面していた。というのも、一応王族貴族、その他国家の重鎮が集まる宴にふさわしい姿をしなければならない、と春零が燐燐の準備を買って出たのだ。そこまではいいのだが、あまりにも気合いが入りすぎて、今まで経験したことのない煌びやかな姿とされてしまったのだ。
二房にくくられていた髪は丸められ、団子頭にされ、紅い牡丹の飾りをつけられた。衣服は胸元を強調し、かつ下着が見えないギリギリの丈まで切り込みの入った中華服を纏わされた。親指の長さほどある踵の高い靴は真っ直ぐ歩くのも少々困難である。そしていつも肌身離さず持っていた剣は取り上げられてしまったので、代わりに空いた左手には羽のついた扇を持たされた。
一方の春零も、頭に対の胡蝶蘭の飾りをつけ、あまり見せていなかった色白の肌を露出し(それでも露出度は燐燐の服に比べたら知れていたが)、鮮やかな蒼穹の中華服がより一層映えていた。
「私、この恰好じゃもしもの時に動けそうにないかも……」
「それはそうです!宴に出るのですから、ちゃんと淑女として行動をしてもらいますからね」
「え!?私そういう作法とかさっぱりなんですけど」
「とにかく大人しくして、誰かに声をかけられても優しくはにかんでいればいいんです!いいですか、何があってもその恰好で戦闘の最前線に立とうだなんてしないで下さいね!?」
どうしてだろう、笑顔で言われているはずなのに、ものすごい威圧感を感じる。
背後から感じる圧倒的な気配に燐燐は逆らうことなど出来なかった。
こくりと頷いたのを合図に、春零が男性陣を呼ぶ。
同じく宴に行く姿とするために銀蒐から式服を借り、纏った甜瑠はぴっしり閉められた襟に窮屈そうだった。それでも背丈が偶然にも似通っていたので、見事に着こなしている。
一方甜瑠は燐燐の着飾った姿を見るなり、柄にもなくお淑やかな印象を受け、思わず頬を赤らめた。それをしっかり見ていた春零は作戦成功と満足気になった。
「さあ、行こうか」
「はい」
銀蒐が優しく春零を連れ出す。本当に絵に描いたような、仲の良い夫婦である。羨ましげにその様子を見ていた燐燐に差し出された一つの手。
「ほら、俺達も行くぞ」
口調は全然いつも通りでときめきの欠片もなかったが。
「ちゃんと連れて行ってね」
迷わずその手を取り、歩みだした。
そうしないうちに燐燐が履き慣れない靴のせいで豪快に何度も転びそうになるのを甜瑠が必死で阻止しなければならない羽目になるのだが。
王城に着く頃には二人とも既に疲れ切っていた。
「二人とも、すぐ後ろから来ていたはずよね?」
姿が確認出来ないほど春零と銀蒐からは遅れてしまった。
「ちょっと色々ありまして……ね」
「まったくだ」
ばつが悪そうに目を逸らすしかなかった。
どうやら余裕があるように着くはずだったのが、本当に宴が始まる直前に辿り着いたようだ。既に王族が椅子に腰かけて勢揃いしている。
真ん中に座っている年老いた女こそ、現女王であった。美しかった黒髪はほとんどが白髪と化しており、顔に刻まれた皺は余計に彼女が実年齢よりも年老いて見える要因となっていた。
「皆の者、今日は私のためにこのような宴を催してくれたことに、大いに感謝します」
ふいに燐燐は女王と目が合ったように思った。けれど、前挨拶をしながらこちらから目を離さず薄く微笑んでいる姿からして、素性が既にばれてしまっているようだ。
それでも咎めるわけでもなく、粛々と宴は始まりを迎えた。
皆に赤い果実酒が配られる。このような場では年齢のことなど関係なく酒を飲まなければならないらしく、しっかりその杯を持たされてしまった。一応毒がないかを確かめ、会場の隅々まで異変がないか気を巡らせる。しかし怪しい気は何一つ感じられなかった。女王の傍らに座る、妾腹の王子と思われる人物からも憎悪などといった黒い気配すら感じ取れなかった。
「我が風琳国が安寧であることを祈って――乾杯」
乾杯の音頭とともに皆が酒を煽る。
数瞬遅れて燐燐が皆に合わせて酒を口にした。
「っつ」
使い古された杯のせいか、何やら塗装が剥げて棘のようになっていたようだ。切れた唇から血が入り込み、初めての酒は血の味がした。




