社会の表と裏、上と下 8
「まもなく、終点、東京です。お降りの際はお忘れ物の無いようお願いいたします」
年末の帰省ラッシュとは正反対の方向の新幹線はゆっくりと減速を始め、東京駅のプラットホームに入っていった。霧矢たちは、東京駅のホームに降り立つ。
「やっと、着いたか。じゃあ、僕は待ち合わせがあるから、先に行くぞ。霜華、お前らは、パーティーが始まるまで、好きにしていていいからな。そうだな……浅草にでも行ってくるといいかもしれないな」
霧矢はカバンを持つと、歩き去ろうとする。しかし、後ろから不穏な言葉を耳にした。
「えっと、晴代から渡されたリストのものを買い揃えておけばいいんだよね……東京国際展示場に行く乗り場って……」
霧矢は回れ右をすると、つかつかと歩み寄って、風華と話し込んでいる霜華に詰め寄る。
「おい、お前、晴代に何を頼まれた………!」
霧矢の額に血管が浮き上がっているのを見て、霜華は一歩引く。理津子と風華はポカンとした表情で、霧矢と霜華のやり取りを見ていた。
「き…霧君、顔が近いよ……」
「答えろ……! さもないと……」
両手をわなわなと震わせながら、ものすごい形相を浮かべている霧矢を見て、ホームにいる人間は恐怖の表情を浮かべ、彼を避けながら歩いている。
「…東京ビッグサイトに行って、これらの物を買ってきてって頼まれただけだけど……それと、時間的に無理なら、池袋の本屋さんに行ってきてって」
今日の日付は十二月三十一日、とあるイベントの最終日である。そして、晴代のメッセージにおいて「池袋」という単語が意味するものとは……
霧矢は怒りの形相で携帯電話を取り出すと、上川晴代の番号を選択した。絶対に一言言っておかなければならないことがある。
「はい、もしもし、霧矢?」
「おい貴様! 霜華に何ということを頼んでいるんだ! このポンコツ女!」
携帯電話越しに怒鳴っている霧矢を、周囲の人間は奇異の目で見ているが、霧矢としてはそんなことはどうでもよかった。とにかく、このポンコツ女に怒鳴り散らしたかったのだ。そうでなければ、脳内の血管がちぎれてここで死んでしまう。
「だって、せっかく東京に行くんだし、これくらいのおつかい頼んだっていいじゃない」
「だ・ま・れ! このバカ! アホ! ボケナス女!」
暴言を吐きまくっている少年は知らんふりで、霧矢を置いたまま、霜華たちは歩いていく。
「大体お前な! 霜華は東京は初めてなんだぞ! それなのに、あんな人の多いところに行かせてみろ! 東京は浦沼みたいな安全地帯じゃないんだよ! わかってるのか?」
「…別に、平気でしょ。霜華ちゃんだし」
霧矢は携帯電話を握りしめる。霧矢の握力で機体が悲鳴を上げ始めた。
確かに霜華や風華なら防犯的な意味では大都会の中でも大丈夫だろう。しかし、霧矢が心配しているのは、そういうことではない。大群衆の中で、異能の力を使おうものなら大騒動になるし、怪我人だって出るかもしれない。そして、その危険性は無視できるほど小さくはない。むしろ、起こる可能性の方が高いと思わなければならない。
大体、どこかおかしいと思っていたのだ。あれだけ霜華や風華に興味を抱いていて、家に泊まらせるのを楽しみにしていた晴代が、進んで東京に連れて行けなどと言った時点で、疑問に思うべきだった。何か確実に裏があると!
「…とにかく、却下! そういうものが欲しかったら、通販とかで何とかしろ!」
携帯を握り壊してしまう前に霧矢は電話を切った。荒い息を吐きながら、霧矢は周囲を見回すと、もう霜華たちはいなくなっている。
「気が付いたら、もういない!」
急いで霧矢は階段を駆け下りる。確かに、考えてみれば、先ほどの言動は荒すぎたかもしれない。晴代に対して悪いと思うのではなく、まわりの駅利用者の皆様には不快な思いをさせてしまったと思う。霜華たちが呆れて立ち去ってしまっても、霧矢に文句を言う資格はない。
改札口に薄着の女性が二人立っているのが見え、霧矢は走り寄る。今更になって、彼女たちが薄着でよかったと思ったのは秘密である。
「……じゃあ、僕は行くけど、晴代のおつかいはNGだからな。それだけは肝に銘じておくように。というわけで、母さん、霜華たちを頼むよ」
「じゃあ、母さんが行ってみたかったところに、霜ちゃんたちと行こうかしら」
理津子は風華の手を握る。霧矢は目を細める。
「ずっと、例の秋葉原に行ってみたかったのよ。よくテレビとかで聞くけど、実際どうなっているのか、母さん一度も実際に見たことはなかったから」
母親は能天気な笑顔を浮かべている。霧矢は頭を抱えた。
「……霜華にはそういうものに染まってほしくないと僕は思うんだ。実際に染まってしまった僕だから言えることだけども」
晴代のせいで、霧矢もそういうジャンルの物事には不本意ながら詳しくなってしまった。決してそれが悪いことだとは思わないが、晴代のように分別のないマニアになってもらっては困るという思いは確かに霧矢の心にあった。
「なあ、頼むから、初めての相手には、浅草寺とか東京タワーとか神田川とか定番のものにしてくれよ。お願いだから」
霧矢は肩を落とすと、一人改札を出た。古町水葉との待ち合わせ場所に向かって歩き出す。