社会の表と裏、上と下 5
十二月三十一日 月曜日 雪
大晦日の朝は雪だった。寒さでなかなか布団から出ることができずに、霧矢は二度寝の誘惑を振り払うことができなかった。もっとも、宿題を片付けようと頑張っていたら、気が付いたら朝の三時だったというせいでもあるのだが、霧矢の睡眠欲はかなり強い状態にあった。
「霧矢! 朝ご飯できたわよ! 早く降りてきなさい」
理津子の声にも、霧矢は答える気がしない。とにかく、心地よい布団の中で寝ていたい。それだけだった。
「あと……五分…」
この台詞は、起きたくないという意志を如実に示す言葉の代名詞のようなものだが、つぶやくように言ったところで、下の階の母親に聞こえるわけもない。
意識が途切れ、再び心地よい眠りに落ちていく。
「ふん!」
「ぐはあ!」
「起きろ、バカ!」
布団越しに腹を殴られた痛みで霧矢は飛び起きる。気配を消したまま部屋に入ってきたらしい。あたりを見回すと、霧矢の腹を殴った者がそこにいた。
身長一四〇センチ(実際はもう少し低いらしい)のちょこんとしたおかっぱ頭の女の子が、見下すような表情で座っていた。
「おい、風華……」
「何? 何か文句ある?」
小生意気な口調でしゃべっている北原風華は、霧矢を殴ることができて本当にうれしそうだ。出会ってから一週間ちょっとしか経っていないというのに、殴られたり、魔法攻撃を受けたりした回数は、もはやカウントできないレベルに達している。
霧矢の魔力は常人よりも多く、その分、魔法攻撃に対する耐性も常人よりはるかに強い。常人なら病院送りになる威力の霜華や風華の魔法攻撃を受けても、数時間で回復する程度のダメージで済む。彼女もそれを知っていて、遠慮なく魔法攻撃を叩き込んでくる。ただ、痛いことには変わりはなく、やめてほしいことはこの上ない。
「お前、晴代の家にいたんじゃ……」
「様子を見に行ってきてとお姉ちゃんに頼まれたの。もう九時だよ。準備しないと、電車に乗り遅れるんじゃないの? おバカさんは」
霧矢は風華をにらみつけると、時計を見る。荷物は昨日のうちにまとめてあるが、急がなければまずい時間だった。
「ほらほら、僕は着替えるから、お前は出てった出てった」
背中を押して風華を部屋から追い出すと、霧矢は着替えはじめる。外を見ると、いつも通りの大雪が道を白く染めていた。
(……予報じゃ、東京も雪だったっけ)
関東圏に雪が降るのはまれだが、今年は雪が多い。ただ、むこうは積雪があると、いろいろ問題が発生する。それだけはないことを願っていた。
着替え終わると、霧矢は荷物を持って部屋を出る。階段を下りると、居間で簡単な朝食をとる。おにぎりにかぶりつきながら、霧矢はニュースにチャンネルを合わせた。
「……本日、首都圏でも積雪が観測されており、交通機関の乱れが生じています……」
東京駅の屋根がうっすらと白くなっているが、目測では積雪は三センチあるかないかだろう。新幹線は雪でもダイヤはあまり乱れないが、首都圏の在来線は違う。
(……この程度の雪で……おいおい、大丈夫なのか? 日本)
三条家の庭の積雪は百センチを軽く越えかけている。東京はこの数十分の一で、交通がダメになる。日本の心臓がこれでは、大丈夫なのかと問いたくなる。
「ごちそうさまでした」
テレビを切り、家電の電源を切ったかどうかも確認する。霧矢はコートを着ると、必須の携行品二点、力砲と魔力分類器を確かにポケットに入れる。
(……こいつなしで行ったら、笑いものにもほどがあるしな……)
理津子と風華は先に出てしまったらしい。準備を終えると、霧矢は一人駅に向かった。
「おっそーいよ。霧君。十時って言ってたのに、五分遅刻だよ!」
「電車に乗るのに、和服を着てこなかったのは褒めてやる。ただ、相変わらずのその薄着は何とかならんのか、ホント」
北原霜華は、魔力防御効果の高い特別な着物を着ていることが多い。しかし、それでは目立つため、戦いのときでなければ、基本は普通の洋服を着ている。
ただし、北原姉妹の共通点として、氷点下の真冬でも常に薄着なのだ。半雪女を自称するだけあって、寒さにはめっぽう強い。ただ、それゆえに、目立たないというのは不可能になってしまっている。
今日もそれは絶好調で、霜華はブラウス一枚にスカートという、見ているこちらが寒くなるような格好だった。風華も夏物のワンピースを着ている。
「……もういいや。お前らに説教しても無駄だからな……」
電車の到着を知らせるアナウンスが鳴り、四人は電車に乗り込む。旅行はしばらくしたことはなかったので、久しぶりに楽しみと言えばそうかもしれない。
流れていく冬景色を見ながら、霧矢は魔力分類器を取り出す。外の景色を、魔力分類器を通してみると、またいつもとは違った景色となる。
降り積もった雪からは微弱な青い水の魔力が浮かび、雪に耐えている木からは茶色の土の魔力が滲みだしている。
この世界は科学で支配されているものと思っていたが、まだまだ説明不可能なことも多い。そして、説明不可能なことをいいことに、それを隠れ蓑にして悪いことを繰り返す連中も多いのだ。また、そうしたいがために、魔族を求めて襲ってくる輩もいる。霧矢が強くなりたいのは、そういった連中から霜華や風華を守るために必要だからだ。
どちらにしても、今回の仕事は霧矢にとっていいチャンスであることは確かだ。
(……頑張らないとな……)




