それぞれの新年 2
霧矢は踵を返して、霜華のところに戻ろうとする。しかし、エレベーターホールの脇を通ると、そこには両親が立ち話をしていた。
霧矢としては普通に割り込んでもよかったのだが、先ほどの霜華の話を聞いた以上、何となく割り込みづらく、反射的に物陰に隠れてしまう。
(……これじゃ、単なる盗み聞きだ…)
自分で自分が嫌になるが、霧矢はそのまま話を聞いてしまう。
「それで、母さん。願いは叶ったわけだ。霧矢にはこんなことは言えないけれど」
「ええ。私の体が弱くなければ、そんなことはなかったのだろうけど、それは叶わない願いだったから。今になって、転がり込んでくるなんて夢にも思っていなかったのだけど…」
(…叶わなかった願い? 僕には言えない?)
霧矢は耳に意識を集中する。盗み聞きで後ろめたい気分にもなっていたが、自分には言えない話だと聞いて、余計興味がわいていた。
「まあ、あればかりは天任せだから、仕方なかったといえば仕方ないし、霧矢でもまったく問題はなかった。素直に天に感謝しているよ」
「ええ。私も霧矢は誇りに思っているわ。でも……」
「まあ、娘が欲しいと昔、私たちは願っていたものだが、それが意外な形で叶ってしまったと」
「はい。あの子たちは、私の娘も同然ですから…」
霧矢はなるほど、と理解した。
(だから、あんなにすんなりと受け入れたのか……)
霧矢は二人に気付かれないようにそっとその場から立ち去った。
「霜華、報酬貰ってるなら、そう言ってくれ。まあ、無駄足じゃなかったけど」
「だって、霧君たら聞かずにさっさと行っちゃうし」
霜華のところに戻ってくると、霧矢は文句をつぶやきながら乱暴にソファーへ腰を下ろした。霜華から報酬の入った分厚い封筒を受け取ると、霧矢は中身を改める。
「……きちんと十枚入っているな。まあ、うまい話にはきちんと裏があったわけだけど…」
「まあ、当然の摂理だったわけだよね」
霧矢は封筒から一万円札を二枚取り出すと、それぞれ、一枚ずつ霜華と風華に手渡す。
「僕からのお年玉だ。好きに使ってくれ」
二人の目が丸くなる。
「霧矢、何か悪いものでも食べた? それとも、これは夢?」
「本当。霧君がこんなに気前よくお金を渡すなんて、まさか…これは別人?」
霧矢は乱暴に封筒をカバンにしまうと、ふてくされて言う。
「どうせ僕は、ドケチの中途半端なエゴイストだよ。悪かったな」
霧矢の突き放したような口調に、二人ともくすくすと笑った。
「おう、霧矢。それに二人ともそろっているな」
霧矢の状態がピクリと反応する。声の聞こえてきた方を見ると、チェックアウトを終えた両親の姿があった。霧矢は焦りながらもソファーから立ち上がる。
淳史はニヤニヤ顔で霧矢の耳元でささやく。
「おい、なかなかお前も隅に置けないじゃないか。こんなかわいい女の子が住み込みで一緒に暮らしているなんてな」
「そんなわけないだろ! どうしてそんな発想に結びつくんだよ!」
ムキになって否定する霧矢を父親は面白そうな顔で冷やかしていた。しかし、霧矢としては、父親も晴代と同レベルの思考をしていたことに失望せずにはいられなかった。
「二人とも、改めて、店の方と、霧矢をよろしくな」
「何で僕がよろしくされなきゃいけないんだ。実際は逆だぞ」
霧矢の文句をよそに、淳史は理津子に目くばせをする。理津子もうなずくと、外で待っているタクシーに向かって歩いていく。
「じゃあ、霧矢も体に気を付けてな。勉強もきちんと頑張るんだぞ」
「はいはい。父さんも、たまには母さんに電話しなよ」
淳史は苦笑いすると、霧矢たちに手を振って送り出す。霧矢たちはタクシーに乗り込むと、東京駅へ向かった。
*
「それにしても、美香さんに挨拶もせずに出てきちゃってよかったの?」
東京駅のホームで理津子は霧矢にぼそりと口を出す。
「……忘れてた。でも、まあいいや。あんまり僕と関わらない方が、彼女のためだし」
「…どういうこと?」
「何でもないよ」
霧矢はそういうと、霜華の隣のベンチに腰掛ける。風華は何やら瀟洒なデザインのキーホルダーをじっと見つめている。
「風華、そのキーホルダーどうしたんだ? お土産に買ったのか?」
風華は顔を上げると、嬉しそうな表情で答える。
「柳都に貰ったの。友情の証ってことで」
「…柳都? ああ、北条さんのことか、昨夜は一緒にいたみたいだけど、その時貰ったのか、随分と親しくなったな」
風華はうなずく。確かに殺しを嫌っている彼女にとって、命を助ける仕事を目指している北条は好意を持てる存在なのかもしれない。
「医学生か。薬学部さえ微妙な僕には遠い世界の人だな……」
独り言をつぶやいて、自分の学業成績の悪さに改めて霧矢は落ち込む。先ほど父親に勉強をしっかりしろと言われたばかりだった。
霧矢がホームの人ごみをぼんやりと眺めていると、突然ポケットが振動する。携帯電話を取り出してみると、知らない番号から着信が入っていた。
「誰なの?」
霜華が興味深そうな顔をするが、霧矢にも心当たりはない。一応通話ボタンを押した。
「もしもし」
「こら。私に挨拶もせず、さっさと帰ってしまうなど何を考えているのですか」
霧矢は聞き覚えのある声に固まる。
「……お嬢様。何で、僕の番号を知ってるんだ」
「探偵さんに依頼しました。ターゲットの電話番号とメールアドレスを調べてほしいと」
(……塩沢の野郎! 個人情報だぞ、それは)
心の中で探偵の助手に悪態をつきながらも、霧矢は表面上、穏やかな声で応答を続ける。
「それで、何の用だよ。やっぱり、あれは冗談じゃなくて、真剣にしたいとかは、なしにしてくれよ。頼むから」
「さあ、それはどうでしょうか。まあ、今はこうして、あなたの電話番号をゲットしましたと、伝えておこうと思ったの」
霧矢は大きなため息をつく。そこまでして霧矢の連絡先を聞き出そうとするのはある意味、本気であるということを示している。
「ところで、売人をとっ捕まえたわけだが、いま京浜製薬はどんな状況にあるんだ?」
美香の話では、新年にもかかわらず、緊急役員会議とかで片平社長は至急本社に戻ったらしく、とても家族で正月の休暇を過ごせるような状態ではなくなったそうだ。これから先どうなるかはわからないが、少なくとも、上流階級からおさらばしたいというわがままお嬢様の希望が叶う可能性もゼロではなくなってしまうほどらしい。
「……やっぱり、表沙汰にしたのはまずかったかな……」
「正義に適った行動じゃないの? 私は間違った行動をしたとは思わないわ」
確かに、麻薬の密売人を殺さずに捕らえたというのは、褒められこそすれ、責められることではない。ただ、今回の塩沢たちの活躍で麻薬取引自体は潰せても、黒幕や親玉を何とかすることはできなかった。
それでも、塩沢のことだ。おそらく、黒幕とされる大物政治家がそのうち死体で見つかってしまうのではないかなどという物騒な想像を空疎だと切り捨てることもできない。
悪の手で悪を潰す。そんな考え方を持った集団を霧矢は知っている。
「それで、僕をあきらめないとか言ってるけど、僕だって受け入れる気はないぞ」
「じゃあ、どちらが先に折れるか。頑張ろうね」
霧矢は馬鹿らしくなり、電話を切ろうとするが、美香は最後に一つだけと言う。
「ねえ、霜華さん、そこにいるでしょ。代わってくれない?」
「霜華に?」
霧矢は携帯を霜華に渡す。霜華は不審な表情をしたが、携帯を受け取り耳に当てた。
「…な!」
霜華のびっくりした声が駅のホームに響く。霧矢も霜華の声に驚いて飛び上がった。
「……切れた」
顔を赤くして、恥ずかしそうな顔でうつむきながら震えている霜華は霧矢に携帯電話を返す。
「……何だったんだ?」
霧矢と風華は霜華を心配そうな表情で見る。霜華は完全に戸惑っている表情だった。
「競争スタートだね。私の恋のライバルさん」
それが、美香の言った言葉だった。でも、それは霜華と美香の二人以外は誰も知らない。
呆然と力の抜けている霜華を引きずるようにして、新幹線に乗せる。
東京駅を出て加速する新幹線から車窓を通して外を眺めると、東京だけあって昨日降っていた雪は完全に融けていた。
「まあ、また雪国での生活に戻るんだな」
また平穏な日常、新しい一年が始まろうとしていた。
読者の皆様、DoubleSです。完全に趣味で書いている作品ですが、三作目となりました。今回は割とコメディ色を強めてみようかななどと考えて書いてみました。田舎の薬局の息子と半雪女の姉妹、そして都会の製薬会社の社長令嬢という登場人物で、霧矢の父親である淳史の人間関係を中心に物語が展開されています。
そして、塩沢を中心とした人間関係も、新たな登場人物として水葉と北条という二人が出てきましたが、彼らも、私が過去に考えていた小説の登場人物です。キャラクターの設定は結構入れ込んでおり、彼らにもいろいろな事情や過去があったりします。私としてもいつか、このAbsolute Zeroシリーズの外伝・前史として、ガス事件前後の塩沢や水葉の物語も書けるといいな(そこまで続くのかはさておき)とも考えています。
感想等がございましたら、遠慮なくお書きください。作者としてはそれに勝る喜びはありません。
それでは、まだまだ読んでくださるのであれば、次回作でお会いしましょう。




