社会の表と裏、上と下 3
「はーい。どちら様ですか?」
霧矢が玄関の戸を開けると、そこにいたのは、一週間ほど前に霧矢と一緒に大暴れした、殺し屋、もとい探偵助手が立っていた。
「お邪魔するぞ。君に話がある」
「ちょ………な…何で…お前が…」
霧矢が絶句しているのを無視したまま、塩沢は靴を脱ぎ、玄関先にコートを置く。ベルトにはいつも通り、大口径の拳銃の入ったホルダーがついている。
「奥様はいるか? 挨拶しておく必要がある」
相変わらずの無表情で塩沢は家に上がりこんでいく。そのまま、居間に入り、理津子に挨拶する声が聞こえた。
霧矢は無理やり意識を戻し、居間に駆け込んでいく。
「おい、塩沢! また性懲り無く、僕に何の用なんだよ」
こたつに入りながら、霧矢は憤慨する。理津子は突然の訪問に驚きながらも、愛想よく塩沢に応対していた。
お茶と茶菓子がこたつの上に並ぶと、塩沢はあたりを見回す。
「霜華君と風華君がいないようだが……どこにいるんだ?」
「年末年始は晴代の家にお泊りだ。今ここにはいない。用があるんなら、電話をかけろ」
ぶっきらぼうな口調で霧矢は言い放つが、塩沢は精神的な余裕を崩さない。
「別に、彼女たちにはあまり関係のないことなので構わない。今日俺がここに来たのは、君にある仕事を手伝ってもらおうとお願いに来たからだ」
「殺しならお断りだ。僕は誰も殺すつもりはないし、殺したくもない」
塩沢は侮蔑のような視線を霧矢に向けた。霧矢は腹が立ったが、母親の前でキレてしまうのは嫌だった。何とか持ちこたえる。
「俺はそれくらいきちんと理解している。そもそも、殺しは俺の領分だ。人に助けを求めるようなことは絶対にしない。今回の仕事は、ソフトかつ合法的な仕事だ。もちろん、報酬も払う。正月二日間で、まず、前金で五万、成功報酬十万円と、怪我した場合は治療費だ。高校一年生のお年玉にしては十分すぎると思うが?」
「うちの学校、バイトは禁止なんだがな」
助けを求めるようにして母親の意見を求めようとしたが、気が付くと理津子はいなくなっていた。どうやら、塩沢のことを完全に信用しきっているらしい。理津子は塩沢が殺し屋だということを知ったとき、ショックを受けるどころか、逆に興味津々といった感じだった。
天然にも程があるのではないかと思ったが、もう霧矢としては、そんなことはもうどうでもよくなっていたのも事実だった。
「嫌なら断ってくれても構わないが、君がしばらく鍛えている力の腕試しとして、適していると思うがな。報酬は諸経費の実費分として出すし、工作もきちんとやっておくから、学校にバレても大丈夫だ。安心しろ」
嫌な誘い方だった。霧矢としては、腕試しはしたい。しかし、塩沢の誘いにそのまま、イエスの返答をしてしまうのも負けのような気もした。
しかし、強くなれるのだったら、みすみすそれを逃すのもまたもったいない。
霧矢は奥歯を噛むと、口を開いた。
「詳細を聞こうか」
「そう来なくては。それでこそ男というものだ」
白々しい口調で塩沢はカバンから書類を取り出す。霧矢は相手のペースに乗せられないように、慎重に心を固める。無表情と薄ら笑いが表情の九割を占める男をにらみつけた。
「今回の仕事は、格好良く言えば、要人の護衛だ」
数枚の紙を霧矢の前に叩きつける。しかし、霧矢は書類を読む前に問い返した。
「じゃあ、格好悪く言ったら、どうなるんだ」
塩沢は薄笑いを浮かべると、いったん息を吹き出す。霧矢は呆れ顔を浮かべてしまう。
「格好悪く言ったら、わがままお嬢様のお世話役とストーカーの撃退だ」
霧矢の目が丸くなる。そのまま、霧矢は書類の一行目に目を通す。
「………つまり、僕にストーカーから、パーティーの間、そのわがままお嬢様を守るナイトになれという依頼をしたいわけか」
「平たく言ってしまえばそういうことだ。別に、殺しをする必要はないはずで、この仕事には腕試しにはもってこいだと思うが?」
「ストーカーだったら、警察で何とかなるだろう。何で、あんたみたいなその道のプロが出動しなきゃいけないんだよ」
「警察で何とかならないから、俺たちに頼まれたと言うべきだろうな。警察はストーカーについて何の成果もあげられていない。おそらく、魔族か契約主、あるいは、魔族の関係しない異能の持ち主が関与している可能性が高い。だから、俺たちが出ることになった」
(……また、魔族がらみの事件か……)
霧矢はため息をつくと、続きを読み始める。
「依頼主……京浜製薬…?」
霧矢の眉が吊り上がるのを見て、塩沢は待ってましたとばかり、口を開く。
「君の父親、三条淳史博士と接点がある。今回のパーティーの参加者名簿にも彼の名前があったが、別に問題はないだろう」
霧矢はうんざりした表情を浮かべた。先ほどの電話の中身と見事にかぶってしまった。
「……わかった。とりあえず、この依頼は受ける。で、あんたと一緒に、そのお嬢様とやらをストーカーから守ればいいんだな?」
嫌々な口調で霧矢は、嫌悪の視線を塩沢に向ける。彼と一緒に組んだら、彼が誰かを殺さないように常に見張っていなければならないだろう。
しかし、霧矢と組むのは塩沢ではなかった。
「…俺は今回、別件の依頼がある。君と組んでもらうのは、俺が昔コンビを組んでいた相棒で、古町水葉という女だ。君には彼女のアシストをしてもらう」
「……その人は、あんたみたいに冷血女の殺し屋なのか?」
「…会ってみてのお楽しみだ。それよりも、君にとってはしばらくぶりの親子の再会だ。母親も連れて行くといい。それに、霜華君や風華君を連れて行っても構わんぞ。それを見越して切符も四人分用意してある。手伝ってもらう必要がないなら、三人には、君とは別行動で東京観光でもしてもらえばいい」
理津子を連れて行くのは問題ない。ただ、たとえ、経費は相手が持つにせよ、霜華を連れて行くのはまずい。霜華は東京に行ってみたいと前に言っていたことがあるが、万が一、父親と鉢合わせすることになれば、霧矢は説明に困る。
それに、この仕事はあくまで霧矢の腕試しだ。霜華を守るために鍛えているのに、霜華に頼ってしまってはまったく意味がない。
「僕と、母さんだけで行く。向こうとの調整を頼む」
塩沢は息を吐く。満足そうな様子で霧矢を見る。
「では、このチケットを渡す。新幹線のグリーン席だ。東京駅で会おう」
塩沢から渡された封筒の中身を取り出すと、四人分の切符とパーティーの招待状、準備金が五万円入っていた。
「では、俺はここで失礼する。水葉は東京駅で待っている予定だ」
塩沢はそのまま、家を後にした。