生存者と犯罪者 1
「……そろそろ、戻ろうか。お姉さんも心配してるかもしれないし」
「そうね。結構時間も立ったし、会場に戻った方がいいかも」
エントランスで夜風に当たっていた北条と風華は、ゆっくりとホテルの中へ歩き出した。
「……それにしても、君は年の割に随分と大人びたものの見方ができるね。やっぱり、人が死ぬのを見てきたから…かい?」
「きっと、そうかもしれない。でも、普段は年相応に見えるように振る舞っているつもりなんだけど……」
風華は顔をしかめる。こんなことがきっかけで大人びたとしても、まったく意味などない。外部からの好ましくない形で、しかも強すぎる刺激によって精神を無理やり成長させられたのは、もはや成長ではなく、改変というべきだろう。
「……もう、社長の挨拶は終わったようだ。人の喧騒がする」
北条はパーティーホールの入り口で立ち止まると、ドアを開けようとするが、その前に風華に問いかけた。
「……君は、人ごみが苦手のようだけど、大丈夫かい? 今更感があるけれど」
「大丈夫。少しお腹もすいてきたから、何か食べたい」
北条はうなずくと、ドアを引く。喧騒が一気に大きくなり、風華の顔が曇る。
やはりといった表情で北条の口元に苦笑いが浮かぶ。風華はしかめ面をしながらも、パーティー会場に入り、壁際の料理コーナーから食べ物を取り分けていく。
「あれが社長さん?」
「……ああ。片平社長。京浜製薬の社長だ。その娘さんを霧矢君が護衛しているらしいね」
北条の指導教授は京浜製薬の重役と旧知の仲らしく、代わりにあいさつしてきてくれと頼まれていた。教授は、年末年始は孫と戯れるつもりらしい。
面倒事を押し付けられたと思っているわけではない。ただ、家族に恵まれているのは幸いなことで、そういう人間が少しうらやましくも思えたりもしていた。
*
地上二百メートルの高さではあたりに風を遮るものはなく、ホテルの屋上では猛烈な風が容赦なく吹き抜けていた。
「さて、どこにいるのでしょうかな。マイ・ブライドは」
「……変態で、悪趣味ですね。もう一度自分自身を見つめ直してはいかがですか? マスター」
男女の二人組が、屋上の立ち入り禁止区画で東京の夜景を見下ろしていた。
「口が悪い。貴女は、この私に忠誠を誓ったのではないのですか?」
「あなた様に対して、忠誠は誓い申し上げました。ですが、心にもないことをお世辞のためだけに申し上げると誓った覚えはございません」
素っ気なく、簡素なドレスを着た女はシルクハットにマントという古典的な服装(しかも黒ずくめ)をした男に対して返した。男はクックックと歪んだ笑いを浮かべた。
「…まあ、貴女は私の従者として契約主となった。そして、働きもなかなかのもの。口が悪いことを除けばの話ですが」
素っ気なく「それはどうも」とだけ返答をすると女は男の斜め後ろに立った。男は振り返って、彼女に視線を合わせる。
「しかし、貴女がそんな口の悪い女性だと、私も最初は知りもしませんでしたが」
「口は悪いでしょう。それは認めます。ですが趣味や人格の方は、あなた様よりは幾分ましなはずですし、他人との交際もあなたより数段まともなはずですとも」
鋭い眼光で彼女は男をにらんだ。男は照れくさそうに笑う。
「しかし、いくらパーティー会場を襲うとして、その格好は失笑を買うだけだと愚考しますが」
「…貴女はわかっていない。これこそ、紳士ではないですか。花嫁を迎えに行くという」
「B級映画に出てくる悪役のような黒ずくめの格好などなさって、あなた様はアホでいらっしゃいますか? 自らの正体を全力でアピールしているようなものです。もしも、注目を狙う、もしくは、奇人変人の類を演じたいのならば、全裸の方がより効果的で正体も露見せずに済むかと思いますが」
呆れ顔で女は男に忠告する。男は笑いながら毒舌を無視し、マントを夜風になびかせていた。
片平美香、上流階級に身を置きながら、自由を求め続ける少女。自らの境遇に辟易し、ごく普通の年頃の女の子として振る舞いたいと望んでいる。
「私がその願いをかなえよう。このウィンズ・デイビッド。今よりお迎えに馳せ参じます」
演劇のように雄弁に虚空に向かって語っている男を横目で見ながら、女はため息をついた。
「どうして、私は彼と契約などしてしまったのでしょうか……」
見た目は三十代前ほどの男性だが、この男は自身に魔道具を封印することによって、数百年にもわたって若さを保ちながら生き長らえている魔族である。容貌も端正で、黙っていればいい男なのだが、中身が残念なことこの上ない。
「それでは、ロード・デイビッド。片平美香を愛人になさるということでよろしいのですね。未だ十六歳の乙女を連れ去るおつもりだと」
「それこそ、わが生き甲斐です。うら若き乙女の美しさが、私を存分に潤わせるのです」
決まったと言わんばかりの自信に満ちた表情でデイビッドは彼女に振り返った。
「……一言申し上げます。くたばれ変態」
顔を歪めて、彼女は主に対して悪態をついた。
「…何と口の悪い僕でしょうか、若林彼岸。これはお仕置きが必要ですね」
「……私に対して、お仕置きですか。随分と大きく出たものでございますね。今になって後悔なさっても遅いと申し上げておきます」
彼岸と呼ばれた女は、ものすごい速さで懐から鞭を取りだした。そのまま、猛スピードで飛んだ鞭は、派手な音を立ててデイビッドに命中し、彼を絡め取った。
「…黙っていただけますか? ロード・デイビッド」
痛みに対して、ほのかに恍惚の表情を浮かべているデイビッドは鞭を解くと、深呼吸した。
「貴女の鞭のテクニックは素晴らしい。この技術をどこで学んだのか、私は知りたいですよ」
「そのキャリアは私の人生の黒歴史につき、お話しするつもりはございません」
本当は、もともと持っていた鞭さばきのスキルを、契約異能を用いて命中精度をさらに上げ、急所に命中させただけに過ぎない。ただ、どうあれ人にダメージを与えるには十分すぎるものであることも確かだ。
「私の与えた契約異能を使っているくせに、自分だけの力のように言うとは、貴女は少々思い上がっているのではありませんか?」
「ならば、私との契約を解除なさいますか? 契約の破棄はお互いが致命的なダメージを負いますが、契約相手の抹殺なら、ダメージを受けるのは片方で済むかと」
「やめておきましょう。殺し合いの戦いになれば、どちらにしても、ダメージを受けることに変わりはありませんから」
デイビッドは彼岸に向き直ると、目を輝かせた。
「しかし、貴女の先ほどの話では、我が麗しの花嫁に始末の悪い番犬がついているそうですね」
「……素性は知れませんが、私が調べた限り、護衛は三名。うち一人は魔族です」
邪魔な番犬が三人。一人だけ魔族がいるらしいが、敵と言えるのはその一人だけだ。今のデイビッドにとって、ただの人間などそこらに生えている雑草のようなものに過ぎない。
問題はその魔族。特徴を詳しく尋ねると。彼岸は答える。
「…よく存じません。調べようにも、術を行使することにより、お互いに察知される可能性があるので、それは不可能でした。ただ、直感的には、水の魔族という感触がいたします。契約主ではなさそうです」
デイビッドは鼻を鳴らすと「弱々しいですね」と侮蔑を含んだ声を上げる。しかし、彼岸は続けた。気になるのはそこではない。
「さらに、一つ気になるのが、護衛を務めている人間の少年です。彼の水の魔力が尋常ではないのです。普通の人間にもかかわらず」
「水の少年……水の魔力が尋常ではないというのは、どういうことですか?」
「常人の放出する魔力を常識では計れないレベルで凌駕しております。ロード・デイビッド、あなたも、先ほどから水の魔力が高まっているのを感じておりませんか?」
デイビッドはビルの屋上に立ちながら、床を見つめる。確かに、先ほどから水の力が下の階から立ち上ってきているのを感じることもできなくはない。
「…興味深いですが、どうせただの人間なのでしょう。私にとって敵ではありません」
「そうですか。では、いってらっしゃいませ。そして、願わくは……逮捕されろ、変態」
毒舌にも限度があると呆れながらも、デイビッドは屋上の扉を蹴り破る。鋼鉄製で鍵がかかっているにもかかわらず、障子を破るがごとく、扉は壊れた。
にやけた顔つきで屋上から降りていく主を彼岸は細目で眺めていた。
自分の趣味は他人と変わっているかもしれないが、彼よりはましだと思う。少なくとも、彼のごとく変態行為に及んだことはない。
彼女の勤め先の会社が倒産し、再就職先を求めて、いろいろな仕事を転々としていたときに、新たな契約主を求めておかしな行動をとっていた彼と出会ったのだが、それを機に、契約するかわりに、生活の面倒を見てもらうという約束をした。
今では、それも馬鹿だったと思えることも少なくない。悪い人間ではないが、人として大切な何かが欠けているのが現在の主である。
その後、こっそり契約異能を使うことで、仕事の技術が向上したため、今はきちんとした職に就いている。そして、彼に呼び出されたときだけ手伝っている。
今日のように。




