いろいろな本性と苦悩 5
「地図によると、このホテルみたいねえ……」
「なにこれ。正直ありえないんだけど……こんな高い建物見るのは初めて……」
風華はビルのてっぺんを覗きながら、あまりの高さに絶句している。霜華も超高層ビルは写真でしか見たことはなく、本物を見るのは初めてだった。
「でも、霧君から渡されたメモだと、ここだって書いてあるし……」
「まず、入ってみなきゃわからないわね。中に入ってみましょう」
自動ドアが開くと、三人とも目を丸くする。想像の斜め上を行く豪華さは、沈黙を与えるのに十分すぎるものだった。
「……ねえ、やっぱり、霧矢ってメモ間違えたんじゃないの? これは絶対におかしいって」
「…そ、そうねえ……ちょっと、電話かけてみましょうか……」
いったんホテルの外に出ると、理津子は携帯電話を取り出し、霧矢に電話をかける。
「もしもし、母さん? 何かトラブルでも起きた?」
「霧矢のメモのホテルって合っているの? 一応来てみたんだけど、豪華すぎるというか…間違ってるんじゃないかと思ったんだけど、大丈夫よねえ?」
「ああ……無理もないと思う。僕も間違ったんじゃないかと思った。まあ、いいや。今ロビーにいるから、入ってきてくれよ」
電話が切れると、理津子たちはホテルのロビーに入った。霧矢がこちらに歩いてくる。
「お待たせ。どうだった、初めての東京は、きっとびっくりしただろうな」
「まあね。大きい町だった。霧君は東京に来たのは、初めてではないようだけど、どうなの?」
「何回も来てるよ。父さんは海外に行く前は、都内の大学に勤めていたからな。休みになると、よく旅行がてら、東京には来たものだ。海外に行ってから、来る機会もなくなってたけどな」
霧矢は、フロントに行くと、霜華の部屋の鍵を受け取る。
「ほら、お前ら二人の部屋だ。できるだけ、父さんには会わないように頼むぞ」
「そんなに、私たちを会わせたくないわけ?」
「言っただろ。いろいろ説明が面倒くさいって。うちの父さんは頭が結構固いからな。魔族うんぬんなんて言ったら、パニックが起こることは必至だ。だから、黙っていた方がいいんだよ」
霧矢は面倒くさそうに言い放つと、霜華の手を引っ張ってエレベーター連れて行こうとする。
「フロントに知らせておいたから、母さんは父さんが来るまで待っててくれ、じゃ」
エレベーターの上のボタンを押すと、霧矢はため息をつく。チンという音とともに、扉が開くと、霧矢は十九階のボタンを押す。
「まあ、パーティーまでゆっくり休んでてくれ。夕食は、適当にルームサービスでも頼んでおけ。代金はクライアントが持ってくれるそうだから」
「しかし、東京って大きいんだね。予想外だったよ」
「どこを見てきたんだ。やっぱり浅草とかか?」
「うん。神田から歩いて、下町を眺めながら浅草に行ってきた」
霧矢は満足そうに微笑むと、他に尋ねた場所はないかと聞いた。しかし、次の言葉は霧矢の満足な心を破壊するのに十分だった。その言葉を聞いた途端、霧矢は氷に閉ざされてしまう。
「そうだね…やっぱり、晴代の頼みだし、池袋に行ってきたんだ」
(……な…何ということだ…あ、あの道に行ってしまったのか……?)
「……そこで、何を見た…そして、何を買った…?」
「…何か、よくわかんなかった。歩いてみたけど、晴代が興味を持ちそうなものが全然見つからなくて、結局何も買わないまま、戻ってきちゃった」
霧矢は、笑顔に戻ると、振り向いてグーサインを出す。霧矢の顔があまりにも輝いているので、霜華も風華も、後ずさりしようとした。
「それでいいんだ。霜華、僕はお前のことを見直したぞ。それでこそうちのアルバイトだ」
「そ…そうなんだ……それは、ありがとう……」
相当良い気分になっている霧矢を横目で見ながら、風華はエレベーターの中でぴょんぴょん飛び跳ねている。床に敷いてあるもふもふの絨毯が気になるらしい。
「じゃあ、パーティー会場で会おう。ただし、父さんの前では、このパーティーで初めて会った相手を装うんだぞ。いいな?」
「わかったわよ。とりあえず、他人のふりしていればいいんでしょ」
風華が口を尖らせる。霧矢はうなずくと、二人と別れた。自分の部屋の鍵を開けると、豪華な部屋に、ため息をついた。
(…こりゃ、仕事頑張らないと、罰当たりそうだ……)
ベッドの上には、安物の自分のカバンと高そうな夜会用の服が並んでいた。貧富の差がベッドの上で如実に示されているという、何とも形容しがたい光景を見ながら、霧矢は、ベッドに体を投げ出した。
シミ一つない天井を見ながら、霧矢は大の字に体を伸ばす。ベッドもふかふかで、霧矢の使っているものとは格が違うものだった。
(……はあ、今年ももうすぐ終わりか……)
今年は終わりと言いつつも、実際は、十二月がすべてだったと言っても過言ではない。霜華が来てから、霧矢の生活は激変してしまった。ただ、漫然と過ごしていた日々は、戦いに備えなければならない不穏なものへと変わった。
少し前の自分だったら、絶対に願い下げだったはずなのに、どうして、今はそう思わずにいられるのだろう……
霜華や風華を守りたい。大切な存在として……
(…今から思えば変な約束をしてしまったもんだな。大切な存在として、人を誰も殺さずに、霜華と風華を守り抜く…か。そんな約束を真顔で受けちまったわけだよな……思い返してみるとこれはちょっと恥ずかしいな……)
霧矢は、顔を赤くしながら、ベッドを思い切り叩いた。家の布団だとほこりが舞い上がるところだが、洗濯したての布団では、何も舞い上がらなかった。
特に何もやることがなく、霧矢は部屋にある大型の液晶テレビのリモコンを取り上げる。そのまま、テレビの電源を入れ、適当にチャンネルを変えていった。
(…やっぱり、都会はチャンネルが多いな……)
歳末の特別番組を見ながら、霧矢は夕方の時間を過ごしていた。水葉からは何の連絡もないが、それは何も起こっていないということであり、それはそれで喜ばしいことだ。
日も暮れて、窓の外は夜景で満たされていた。どこまでも続く高層ビルの窓から、光が映っている。霧矢の住む田舎では見られないような光景だ。
(あいつら、きっと、この景色を見てびっくりしてるだろうな……)
まあ、いろいろあったが、彼女たちに東京を見せることができてよかったのは事実だろう。それは認めてもいい。
夜景を窓から眺めていると、携帯電話が鳴る。メールが届いていた。母親からだ。
(……家族で夕食を食べましょう…か)
霧矢はとりあえず必要なさそうだったが、コートを着た。普通の服では、力砲と魔力分類器を入れる余裕はないからだ。そこだけ膨らんで目立ってしまう。
(このホテルでこのコートは、みすぼらしすぎるけどな……)