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Absolute Zero 3rd  作者: DoubleS
第一章
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社会の表と裏、上と下 10

「さて、着いたわ。お嬢様とはこのホテルのスイートルームで会う予定になっているわ」

 車が止まったのは、都内有数の高級ホテルだった。

「……さすがは京浜製薬社長令嬢……ここのスイートとは……」

 町で一番高い建物が消防署の火の見やぐらという、田舎在住の霧矢にとって、超高層ホテル最上階のスイートルームなど、テレビの中でしか見たことがない。摩天楼の頭を見ながら固まっている。

「ほらほら、さっさと行くわよ。この程度でテンパってちゃ護衛なんてできないわよ」

「う…うん…」

 無理やり体を動かし、霧矢は高級そうな絨毯の上を踏み出した。

(……こんな田舎者丸出しの服装でこんなホテル入っていいのかな……?)

 身の危険よりも、自分のファッションセンスの方に懸念を浮かべてしまう。今の自分は毛玉だらけの灰色のセーターに、母親の手編みの紺のマフラー、使い古したよれよれの黒のカジュアルコート、何度も洗濯し色褪せて水色になったジーンズという、貧乏くさく地味な服装だ。せめて、学校の制服かスーツを着てくるべきだったと後悔する。

(……制服はスーツケースに入ってるから……何とかなるかな……)

 キョロキョロと大理石の床の上で、ロビーを見回す。海外メーカーのソファーが整然と並び、噴水が水音を奏でている。霧矢はいてもたってもいられなくなり、黒のスーツで決まっている水葉に耳打ちする。

「すみません。僕の格好、あまりにもアレなんで、着替えてもいいですか?」

 顔に冷や汗を浮かべている霧矢を見て、水葉はくすくすと笑う。

「パーティーが始まるまでに、君の部屋にスーツを届けておくように手配してあるから、そんなに心配しなくとも大丈夫よ。今は別に、その格好でも問題ないわ」

「……それはよかった……って…ん?」

 今の水葉の発言には、どこか引っかかるものがあった。もう一度、脳内で水葉の言葉を再生する。サーチ完了。原因を究明しました。

「僕の部屋?」

「そう、ここの一九二五号室。ルームサービスは自由にしていいわよ。すべて経費はクライアントが持ってくれるそうだから。ちなみに、今は外出しているみたいだけど、君のご両親は、一九三二号室、霜華ちゃんと風華ちゃんは、一九二八号室よ」

「……僕、このホテルに、泊まるんですか?」

「じゃなかったら、どこに泊まるの?」

「いや、駅前のビジネスホテルかどこかを手配しようかと……」

「護衛はどうするのよ。クライアントの近くにいなきゃ意味ないでしょ」

(……こんな贅沢していいのか!? うまい話には裏があるのが相場だが…大丈夫なのか…?)

 霧矢は部屋の鍵を受け取ると、カバンをボーイに渡す。水葉はフロントから面会者用のカードキーを受け取ると、一般客とは異なる、やたら豪華な作りのエレベーターのボタンを押した。

 そもそも、田舎暮らしの霧矢にとっては、エレベーターに乗ること自体、珍しいことだったりする。最後に乗ったのは、護の見舞いに病院へ行ったときだったはず。

 エレベーターの中にシャンデリアがあり、水葉はカードキーを通し、最上階のボタンを押す。滑るようにドアが閉まると、滑らかに上の階へ動き出す。

「結局、この格好で会っても、大丈夫なんですよね」

「大丈夫、大丈夫。そこはわがままお嬢様だから」

 水葉はニコニコ微笑みながら、霧矢にグーサインをする。

(……わがままお嬢様だったら、かえってこんな田舎者丸出しじゃダメだろ)

 わがままお嬢様と噂されるくらいだから、気位が高く、貧乏人を見下すようなお嬢様だろうか。会った途端、霧矢の貧相さを嘆き、突っかかってきそうな気がする。そして、堂々と、霧矢に御役御免を宣告する……かもしれない。

 それだったら、悪く言えば山猿同然の霧矢にこの仕事を頼んだこと自体が問題だろう。もっと、洗練されたセレブな人間を護衛につけるべきだ。

 覚悟を決めて、霧矢は深呼吸する。

 エレベーターが止まり、広い応接間が眼前に広がる。


「お待ちしておりました。古町様、三条様」

 声が聞こえてきた方を見ると、霧矢は口から心臓が飛び出しそうになる。

(……し、執事とメイドだと……ほ、本物の……)

「ええ、お話はお聞きしました。今回の担当は、私、古町水葉と、こちら、三条霧矢になります。所長の相川に代わって、ご挨拶申し上げます」

「三条様は、あの三条淳史博士のご子息とお聞きしましたが、探偵の仕事もなさっているのですか?」

「…ちょ…ちょっとした事情で、て、手伝うことになりました。よろしく、お、お願いします」

 どもりながらも霧矢は執事に挨拶する。ひげを蓄えた老人は、二人を応接室のソファーに座らせると、部屋の奥へ消えた。

「主が参るまで、少々お待ちください。その間は、私がおもてなしいたします」

 二十歳あるかないかくらいのメイドは、お茶の支度をする。霧矢は、慣れない空気に戸惑いを隠せなかった。高級な茶葉の香りが部屋を満たす。もともと部屋に漂っていた香水の香りと相まって、高級感をさらに強めていく。

 銀の皿の上に茶菓子が並び、霧矢の前にティーカップが並べられた。霧矢は、無駄な高級さによって体中がかゆくなってくるのを感じた。たまりかねて、水葉の方を見るが、彼女は気にすることもなく、紅茶の香りを楽しんでいる。

(………僕、違う意味で、とんでもない依頼を引き受けちゃったよ……)

 冷や汗をかきながら、霧矢はポケットに手を突っ込んだ。この広々とした息苦しい空間をこの力砲で破壊できたら、どんなに楽な気分になれるだろうかと物騒な思索にふけりながら、依頼主が現れるのを待ち望んでいた。


「御用がありましたら、何なりとお申し付けください。では失礼いたします」

 メイドが控室に消えると、応接室には、水葉と霧矢の二人だけが残された。霧矢は、大きな息を吐いた。

「……まあ、わからなくもないわ。こういう人たちと私たちは住んでいる世界が違うしね」

「水葉さんは、平気そうですね」

「私も、初めてこういう大金持ちの護衛をしたときは、君みたいな感じだった。でも、何回か依頼をこなすうちに慣れてきたわよ。それに、君のお父さんは、上流階級にも結構顔が利いている人なんだから、その子供も、それくらいの耐性はつけなさい、ってね」

 霧矢の背中を軽く叩く。霧矢はため息をついた。

(…僕なんて、スーパーで特売品を探して歩き回っているような人間なんだぞ…)

 三条淳史、祖父はあまり研究者としての活躍を認めたくはなかったようだが、薬学者としてはそれなりに著名な人間らしい。認められた論文も少なくない。

 しかし、霧矢はその頭脳を受け継がなかった。勉強に関しては、あまり優れていない母親の方が遺伝してしまい、数学や物理で四苦八苦する毎日だ。

「ほらほら、こんなところまで来て、落ち込まないの。クライアントも現れたようよ」

 水葉はドアの方を向く。霧矢も顔を上げると、ドアが開いた。


「……お待たせしました。私が京浜製薬社長令嬢、片平美香です」

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