ピンボケ高校生の歳末
この作品は、Absolute Zero シリーズの第三作です。前作をお読みになっていない方は、まず先に前作をお読みになることをおすすめします。
十二月三十日 日曜日 曇り時々雪
とある日本海側の県の山奥の町、魚沢市の浦沼地区には、すたれた商店街がある。隣町にある大規模店舗のせいで客足は少ない。
ただ、その商店街にも、繁盛しているのがいくつか存在する。外向けではスキー場と温泉宿。内向けでは町医者、そして、その処方薬局、復調園調剤薬局だった。
その復調園調剤薬局の一人息子、三条霧矢は県立浦沼高校に通う一年生だ。
「……課題が終わらねえよ~」
冬休みも半分以上終わったというのに、宿題の進捗は四割ほどだった。年末年始休業に入ったため、薬局の店番はもうしなくてもよいのだが、新しくやることができたため、宿題に時間を費やすことが、あまりできなくなっていた。
浦沼高校は、田舎にある割には進学を重視しており、その分、長期休暇の課題も多い。多くの生徒はそれに苦しむこととなる。霧矢もその例外にもれず、課題を終わらせるために四苦八苦していた。
霧矢の成績は学年で中の上程度で、決して悪くはない。しかし、課題で苦しまないということはそのまま、成績上位者であることを示すと言われるくらい、反則級の量が出るのだ。霧矢の知り合いで、課題の苦しみを知らない人間は数えるほどしかいない。
(……何か忘れている気がする……)
課題を一休みして、霧矢は天井を仰ぎ見る。古い木造の天井が格子状にそびえているだけで、それ以上のものは何もない。首を垂直に向け直して、再び机に向かう。
何か忘れている時にまず参照するものと言えば、手帳だ。今日と明日でもう用済みになる手帳で、手垢まみれのボロボロの冊子だが、カバンから取り出してめくってみる。
十二月三十日、父親、帰省予定。浦沼駅、十五時二十五分
しばらく固まったのち、霧矢は大声を上げる。ここしばらくのトラブル続きなどで、父親の存在を完全に失念していた。
(……やっべえ……そういえば、霜華たちを晴代に預けるはずだったのに……)
時計を見ると、そろそろ十五時になろうかというところだった。あと三十分弱で海外に単身赴任していた父親が帰ってきてしまう。
(…大至急、霜華に支度してもらわないと!)
霧矢の家には、説明に困る居候が二人いる。魔族という異世界からやってきた普通の人間とは違って異能を持つ存在だ。正確には人間とのハーフで純粋な魔族ではないのだが、異能を持つことに変わりはない。しかも、父親は彼らの存在を知らない。
復調園調剤薬局の看板娘こと、北原霜華とその妹、北原風華である。少し前に、いきなり押しかけてきたこの二人は、三条家の一室を借りて生活している。この部屋の隣である。
「霜華、風華、大至急荷物をまとめろ! 正月の間、晴代の家に……」
霜華の部屋の襖を横に滑らせるが、そこには誰もいなかった。荷物すらなくなっており、完全にもぬけの殻だった。
(………あれ……?)
自分の記憶に抜け落ちはないはず。霜華たちを送り出した記憶はないし、昼食は全員で食べた記憶も残っている。しかし、ここにいない。
頭を掻きながら、霧矢はギシギシいう古い階段を降りる。居間ではこたつに入りながら、母親である、三条理津子がテレビを見ていた。
「母さん、霜華は?」
「ついさっき晴代ちゃんとこに行ったわよ。霧矢見送らなかったじゃない」
(……また耳栓やっちまった)
霧矢は一人で勉強する時には耳栓をつける癖がある。最近は霜華や風華が大騒ぎすることもあるため、勉強の際は必需品となっていた。しかし、それが仇となることがしばしばで、今回もそうなってしまった。
「霧矢、そろそろ、お父さん帰ってくるから、もう少ししたら駅まで迎えに行ってちょうだい」
霧矢は適当にうなずくと、こたつの上にあるみかんを手に取る。皮をむきながら、どうでもいい内容をやっているニュースを眺めた。
今年ももうすぐ終わりを迎える。霧矢としては、十二月が今年のすべてのような気がするほど、ここしばらくは大騒動が続いていた。魔族と出会い、救世の理というカルト教団に命を狙われ、葬儀屋の異名をとる塩沢雅史というプロの殺し屋と知り合うなど、洒落にならない事態に直面し続けていた。
そして、その出来事は、霧矢の方向性を変えることにもつながった。今までの田舎町でのほほんとした暮らしは続けることはできなくなり、いつでも戦いの渦中に身を置けるように身構えなくてはならなくなった。
そして、その中であろうとも、霧矢は敵を殺さないと誓った。そして、殺さないためにも、訓練を続けている。殺さないために強くなろうとしている。
しばらく考え込みながら、霧矢が改めて時計を見ると、ちょうどよい時間だった。霧矢は自分の部屋に戻って、コートを着込む。そして、クリスマス以来、護身用に持ち歩くようになった金属製の武器と望遠鏡のような筒をポケットに入れる。
力砲―ルーンブラスター―もともと、風華のものだったこの銃のような武器は、彼女の父親である北原凛次郎の作った世界に一つしか存在しないものだ。人間が外部に放出する魔力の一部を銃身に流し込み、射出する武器だ。
もともと、おもちゃとして作られており、並の人間が扱っても、小石をぶつけるほどの威力しか出ない。しかし、霧矢の放出する魔力の量は常人のそれとは桁外れに多い。霧矢が使用すると、鉄板はもちろん、車のエンジンやガソリンタンクすら撃ち抜くことが可能となる。
しかし、その威力の強さゆえに、霧矢はこれを人に対して使うことができない。力砲は霜華たちを守るとの約束で得たもので、それには、誰も殺さないという条件が付いている。この力砲で人を撃ち、間違えて急所に当ててしまえば、間違いなく相手は死んでしまう。
だから、霧矢は訓練をしている。力砲に頼らず、敵を倒す技を身に着けようとしている。
また、望遠鏡のようなものは、魔力分類器―カテゴリーサーチャー―といって、常人には見えない、魔力の流れを探知する道具である。いろいろ紆余曲折を経た末に、霧矢の手に渡っているが、非常に役に立つ。人間と魔族の識別や、魔術の探知などかできる。
この二つは、霧矢にとって絶対に欠くべからざるものとなっている。どれか一つが欠けても、霧矢は外敵から身を守ることが難しくなる。敵である救世の理は魔族や契約主を抱え込んでいるため、魔術や異能で攻撃してくることもありうるからだ。
「それじゃ、父さん迎えに行ってくる」
玄関から出ると、雪国らしく、あたりは白で染まっている。それでも、今日はまだ寒さは落ち着いており、コートだけで十分しのげる気温だった。
シャッター街を歩きながら、駅に向かって歩く。やはり、寂れているだけあって、すれ違う人は誰もいなかった。
予定よりも少し早く駅に着き、待合室に腰掛ける。電車が来るまであと五分ほどだった。
父親に会うのは、夏以来になる。父親である三条淳史は、創薬を専門とする大学教員であり、今は海外で研究している。非科学的なことは信じない性格なので、霧矢は理津子に対して、父親に対しては霜華のことはできるだけ伏せておくように伝えてあった。
しばらくすると、ホームに電車が入ってくる音が聞こえてきた。田舎駅のため降りる客の数は少ないがいないわけではない。霧矢はベンチから腰を上げると、改札口の前に立つ。
(………あれ?)
何人かが改札を通り抜けていくが、淳史の姿はない。降車客が全員、駅からいなくなり、霧矢は呆然と立ち尽くしていた。確かに、霧矢は淳史がこの電車に乗ってくると聞いた。理津子もそのように言っていたはずである。
(……遅れるなら、連絡くらいしたらいいだろうに……)
霧矢は携帯電話を取り出すと、父親の項目を選択し、電話をかける。しかし、電源を切られているか電波の届かないところにいるという機械的な声が聞こえるだけだった。
(……まさか……)
考えたくもない可能性だったが、百パーセント否定することもできない。しかし、その予測が事実であるとすれば、またしても霧矢は問題に巻き込まれたということを意味する。
もう正直な話、そんなことは勘弁してほしい。まだ、戦えるほど強くなってはいない。
(…やめておこう。多分優先席の近くにいるんだ)
霧矢はメールを送ると、駅を後にした。時間も空いていることだし、訓練の続きをしようと思い、ある場所へ向かった。
クリスマス・イブ以来、この家に通わない日はなかった。その度に、身体にあざが増えていくが、そうなって当然のこと。
自分で選んだことだから。