21頁 「黒猫/メメントモリ街の殺人事件」
不幸な少女アンをこの世界から消滅させてから三日後の昼。ユニは独りで廊下の掃き掃除をしていた。
このところ物思いに沈むことが多くなった。いくらアンのことを想っても悲しいとも罪深いとも思えない。そういった生まれつきの非情さも黒猫の特徴だろう。人間を殺すたびにいちいち胸を痛めていては早々に心を壊してしまう。
本当にあれでよかったのかと迷うだけだ。未来に起こる出来事は死を司る黒猫にも分からない。アンの身体が回復し、何らかの幸運をつかんで餓えにも貧困にも無縁の光り輝く道を歩む可能性。それがまったくのゼロだとは言い切れない。未来の可能性を握りつぶして命を消すことが正しい選択だったのかどうかユニは迷っていた。
アンを葬ったことをユニは屋敷の誰にも話していなかった。恥ずかしいという理由が大きい。人ならざる黒猫の本能に従った所行というのはどうにも話しづらかった。人との差異があらわになってしまうし、内なる黒い欲望にあらがえなかったから自制が効かないと思われるのが嫌だったのだ。
「!」
ため息をつきながらわたぼこりを集めていると、ユニの聴覚は廊下のはるか向こうから迫る足音を感知した。四人分。だんだん近づいてくる。一人は人間の足音。三人は人間以外の足音。
「あなたが噂のユニですね」
「黒猫……?」
黒猫が三人、ユニの前に並び立つ。いずれも見たことがない顔だ。彼女達の後ろに追いすがっていたベスがあわててユニの背後に回り込んだ。
「思った通り、やはりこのハミルトン家に住んでいた。感心しませんね。この家にはすでにノーラが住んでいるというのに、彼女に続いてまた黒猫を囲っているというのは」
「…………」
リーダー格の黒髪を結った黒猫がベスをにらみつける。ベスは目を閉じ沈黙を守ったままだ。
「ユニ。新しく生まれたあなたを同胞の黒猫としてまずは歓迎したいところですが……そうも言っていられません。手短に用件を伝えます。今から二日後、街の会議所へ出頭しなさい。詳細はこの紙につづってあります。当日までによく読んでおくように」
突きつけるように渡された紙には細かな字が長々と書かれていて呪いの手紙のようだった。下の方に朱いインクで署名がしてある。ユニの意思など初めから無視し権力者によって決定づけられてしまっている。
「……あの。どうしてわたしが呼び出しを受けるんですか? わたし、何か悪いことをしてしまったんでしょうか……」
「三日前、あなたは街で人間の少女を殺しましたね。それが黒猫伝統のやり方と異なっているという通報を目撃者の人間から受けました。伝統から逸脱しているのが問題なのです。目撃者の供述からその黒猫が街で噂のユニという黒猫であると判断し、街中を捜して住み家をつきとめました。
例外は秩序の混乱を招くものです。特にあなたのやり方は前代未聞であり、もたらされた影響は極めて忌忌しいと言わざるを得ない。
会議所に街中の黒猫を集め、ユニを審議にかけます。もしも審議会から逃げ出したりすればこの街で黒猫としての信用を失いますよ。心しておきなさい」
リーダーの黒猫は冷たい声で一方的に伝えると、お供の黒猫二人を連れてユニとベスの前から足早に立ち去っていった。
「いったいどういうことなのです。旦那様の前ですべてを包み隠さず話しなさい」
ベスの極寒の目で見下ろされ、あっけにとられて忘れていた恐怖心が刺激される。ユニは渡された令状を両手で持ちながら、ユニは今さらになってがたがたと身を震わせた。
ユニと関わりの深いハミルトン家の住人がフランシスカの部屋に集まった。フランシスカが横たわるベッドの前にユニが立ち、その背後にベスとクロフォードが控えている。ノーラは壁に背を預けて座り、静かになりゆきを見守っていた。ダルジャンヌの姿は部屋の中に無かったが、ユニには彼女特有の暗黒オーラがドア越しにびんびん伝わってきていた。ダルジャンヌもダルジャンヌなりにユニを気にかけているらしい。
ユニは猫耳と尻尾を垂れ下げながらすべてを話した。アンという少女を黒猫の力で天に送ったこと。その時にユニ独自の方法をとり夢のような夢を見せてあげたこと。
「あれほど目立つ行為は慎むように念を押したはずです。真性の馬鹿ですね、あなたは」
「ごめんなさい」
こういうときは黒猫の優れた五感がうらめしい。振り返らなくても背後のベスの怒り具合が手に取るように分かってしまう。ベスの声はあいかわらず冷たいものだったが、彼女は心底怒っている。それが表に出ないのはひとえにベスの強靭な自制心によるものだ。
ベスの言うところによれば黒猫三人衆はハミルトン家のドアをくぐるなりベスの制止も聞かずに押し入ったらしい。ベスはベスでユニを守ろうとしたのだがユニの匂いをかぎ取り確信をもった黒猫達はまったく取り合わなかった。その横暴さとある種の敗北もベスの怒りに拍車をかけているようだった。
「……その黒猫達には以前から圧力をかけられていてね……。黒猫を人を死なせるものではなく、ただの家族として住まわせているのが気に入らないようだ。貴重な黒猫の無駄遣いだと何度も文句を言われている。……もしもの場合は私でもユニをかばいきれないかもしれない」
「クロフォードさん……」
ユニがおろおろと後ろを振り返っても、クロフォードは腕を組んだまま悲しい目で見返すだけだ。怒ってはいないが相当に困り、そしてひっぱくした現状をどう打開するか頭を痛めている様子だった。アンを葬ったときは罪悪感などほとんど感じなかったというのに今のユニは申し訳なさで胸が張り裂けそうな思いだった。
「……ノーラさん。あの黒猫達、わたしに何をさせるつもりなんでしょう」
「おおかた洗いざらいしゃべらせた後、よってたかってユニの考えと方法を否定するつもりなんだろうよ。事実確認と公平な話し合いにかこつけた釘さしさ。異端の黒猫を出さないようにするためのね。あいつらお得意のやり方だよ」
ノーラは壁に寄りかかったまま灰皿片手にタバコの煙を悠然と吐き出した。動揺しないノーラがユニには頼もしかったが、ノーラの表情は心なしか薄暗い。
「街の黒猫にも組織のようなものがあるんですか?」
「ああ。黒猫委員会っていってね。街の黒猫達を仕切ってる黒猫のリーダー連中だ。たしかにあいつらが働いてるから人間と黒猫の間のいざこざは減っている。だけど頭が固い連中で自分好みのルールをこっちに押しつけてくる。あたしは昔からあいつらが気に入らないんだ」
黒猫委員会。ユニに向けられた硬質な眼差しを思い出せば彼女達がノーラの言うとおり融通がきかなそうなのはうなずける。ユニは今から二日後が恐ろしくてならなかった。
「……すみません、フランシスカ。わたしが間抜けなせいで問題を起こしてしまって」
「いいのよ。気にすることないわ、ユニ」
ベッドの上で微笑むフランシスカと対峙していてもユニの心は安まらない。このところフランシスカはふせっていることが多くなった。病人の介抱の経験などないユニにも分かる。以前にも増してフランシスカの体から生気が失われてしまっている。
それに気にかかるのは彼女の身体からうっすらと漂う特別な匂いだ。この匂いに囲まれていた時期がユニにはたしかにある。それはおそらく生まれる前の前世。記憶は失われていても魂に焼き付けられた感覚は忘れられない。つい最近もユニはこの匂いに触れたばかりだ。肺を病み、餓えと絶望で死にたがっていたアンから発せられていた死の香り。いわば死期が迫った者にまとわりつく死神の体臭。それと同じ匂いがフランシスカからも漂っている。ただの勘違いであってほしいとユニは願う。フランシスカを見つめるほどにユニの胸は不安で揺れた。
「ユニは良いことをしたわ。間違っていない。委員会の評価がどうであれ、そのアンって子が幸せに逝けたのは間違いないと思うの」
「フランシスカ」
胸がいっぱいになりユニは泣きそうになる。うっかり泣いてしまえばベスにさらになじられそうだったので、ユニは己の尻尾を握りしめて痛みで涙を封じこめた。
「さあ、もう終わりにしましょう。これ以上罪もないユニをいじめないで」
ぱん、と軽く手を打ち鳴らすフランシスカの鶴の一声で臨時の尋問会議はお開きとなった。
街の中央に建てられた巨大な公民館。その中でひときわ広い一室を贅沢に借り切り、黒猫の黒猫による黒猫のための審議会が催されていた。
コの字型に並べられた机の空白部分にユニは独りで立たされている。まるで裁判の被告人のような有様だった。
ユニを取り囲む机には街に住む黒猫達がずらりと並んでいる。その数は実に二十以上。その全員が女で、若い黒猫ばかりだ。ノーラいわく、黒猫は年をとる前に消えて無くなってしまうらしい。街の人間の全人口に較べればはるかに少ないものの、黒猫だらけの空間に放りこまれたユニは驚きを隠せなかった。そこらで黒い尻尾がにょろにょろとうねり、猫耳がぴくぴくと震えている。慣れないユニにはどうにも奇妙な光景だ。
今日のために呼ばれた黒猫の中にはノーラもアルマも含まれている。ノーラはやや不機嫌な顔で、アルマはその凶悪な本性を隠して大人しく椅子に座っている。
「それではユニ。あの日、どうやって人間を葬ったのか、あなたの口から事実の詳細を話して下さい」
「はっ、はひっ……!」
ユニの正面向かいに陣取り議長を務める黒猫……黒髪を結い、ユニに令状を突きつけた堅物の黒猫が目を光らせる。




