15頁 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
ユニの両肩を痛いほどにつかみ、笑顔を突きつけながら話すアルマにユニは息を呑むことしかできない。アルマの忠告は善意にかこつけた警告だ。その証拠にアルマの尻尾がびくびくと震えている。爆発寸前の怒りを眼鏡の圧力でどうにか抑えている状態だ。彼女が眼鏡を外して本性をむき出しにしないのはここが営業先のハミルトン家だからだろう。
「あ、影猫」
「?」
アルマの視線の先を追いかけるが、そこにはもう何もいない。見慣れた長い廊下と赤い絨毯が続いているだけだ。
「嫌な季節になりましたねえ。影猫を見るとどうにも気が滅入る」
アルマはユニを放し、軽く服をはたいて衣服の乱れを整える。
「ではユニ。今日はこのへんで失礼しますよ。ぜひまた事務所に遊びにきて下さいね」
最後に作り物の笑顔をユニに向けて、アルマはフランシスカの部屋の方へ歩いて行った。「いいかげん、そろそろフランシスカには死んでほしいところですね」と愚痴をつぶやきながら。
とりあえずメイド服を盗んだ犯人はアルマではないらしい。よくよく考えてみればユニの服を盗んで脅迫するというのも無理がある。もしもメイド服を盾に脅迫されたとしてもユニは応じない。またフランシスカに新しい服をもらえばいいだけだからだ。ただの服に人質としての価値などないことはアルマの方も承知しているはず。そもそも黒猫は幽霊でも気体でもないのだから密室に侵入できない。
ユニは己の考えの浅さに頭をかきながら、次の聞き込み先へ向かった。ユニの足取りは重い。怒られるのが目に見えているからだ。
ユニは庭の花壇に水をやっていたベスを見つけ、服が消えたことを恐る恐る相談する。ユニの思っていた通り、返ってきたものは冷徹な叱責だった。
「お嬢様からの贈り物を無くすとは、いったいどこまで愚鈍で恥知らずなのですか、あなたは」
「ううっ……」
少ない言葉数で効果的にユニの心を切り刻み、深くえぐるかのようなベス。まるで熟達した武術家のような打ち込みだ。殴る先が肉体か、心かの違いしかない。
ユニの耳がこの上なく垂れ下がり、尻尾が力なくぶら下がる頃になって、ようやくベスの説教は幕を下ろした。ユニは全身がだるくなり、ひどく消耗してしまった。精神的なダメージは肉体へも大きく影響するのだ。
容疑者としてはベスもかなり有力だった。なにしろ彼女はメイド長だ。ユニの部屋の合い鍵を持っているのだから、密室へもたやすく入り込める。黒猫の持ち物は黒猫マニアに高く売れるらしい。ならばユニのメイド服を盗み、街のマニアへ売れば多額の金が転がり込むはずだ。
だがユニはその考えを口に出すことができない。なにしろベスが恐かったし、彼女が犯人と確信するには動機が不十分だと思ったからだ。アルマいわく、疑わしさが80%を超えない限り声を出して疑ってはいけない。
ベスはハミルトン家に使える忠実なメイド。家の体裁を重視し、いつ死ぬとも知れないフランシスカを心から気づかっている。まだたった二ヶ月の付き合いだが、ベスの性格の特徴はユニもつかんでいた。メイドの鏡であり鉄人であるベスがクロフォードとフランシスカの信頼を裏切り、ただの金欲しさに不義を働くとはどうしても考えにくい。ベスはシロだろう。
「ベスさん。わたしはダルジャンヌが怪しいと思っているんです。ダルジャンヌのことを教えて下さい」
「ダルジャンヌ、ですか」
ダルジャンヌ。疑わしさは90%以上。彼女ならこうして口に出して疑っても仕方がない。それほどにダルジャンヌは不審すぎる。
「ダルジャンヌのことはほとんど何も知りません。彼女の行動は少々常軌を逸しています。だから悪い噂が立たないように外の者にダルジャンヌの存在を明かすことは禁じられています。ダルジャンヌ自身は屋敷にこもったまま一歩も外へ出ないので問題はありませんが、くれぐれも彼女については極秘にしておくように」
「ダルジャンヌって、黒猫みたいに人間以外の種族なんですか?」
「知りません。私の知る限り、この街の人間以外の存在は黒猫だけです」
またしてもダルジャンヌについて手がかりらしい手がかりは得られない。ユニはベスに一礼し、次なる聞き込み先へ向かう。
書斎を訪ね、仕事の手を休めていたクロフォードにメイド服消失事件を話す。
クロフォードは男性だ。あまり考えたくないが、劣情から少女のユニの服を手に入れたいと考えることもあるかもしれない。表面上は落ち着いた紳士だが、彼は娘のフランシスカのことになると豹変する。人は見かけによらず、裏の顔をもっているものだ。
「残念だが、人を使ってなくしものを探すことはできないねえ。ユニを家に住まわせていることが街に知られては困るからね」
まだ街でハミルトン家が新生の黒猫ユニを独占しているという噂は出てはいないらしい。クロフォードの情報隠蔽は上手くいっているようだ。
ということは外部犯という可能性はほぼ消えた。存在をほとんど隠されているユニの部屋に忍びこみ服を盗むなど、街の人間には不可能に近い。外部犯でない以上、ユニの服を盗んだのは内部犯ということになる。犯人はハミルトン家に住む誰かだ。
「服が無くなったのならまたフランシスカに買ってもらうといい。今度はもっと良い服を用意しよう。……ん? フランシスカ……?」
それまで机に両ひじをのせてくつろいでいたクロフォードは急に椅子を立ち上がり、そわそわと部屋の中を歩き回る。
「いや、まさかそんな……。ははは……あの可愛い子がそんなことをするはずない。わが子を信じろ……疑わずに信じるのだ、私よ」
「フランシスカが盗んだと思ってるんですか? それは違いますよ。フランシスカはベッドから一歩も動けないんですから」
何かの可能性に思い至ったらしいクロフォードはぶつぶつと独り言を言いながら書斎の中をぐるぐると歩きづける。ユニの言葉も、もはや意識を別の宇宙へ飛ばしてしまっている彼にはとどかない。
ユニは第一容疑者のダルジャンヌについて聞こうと思っていたのだが、ベスもまったく知らなかったのだからクロフォードも似たようなものだろう。ユニはため息をついてクロフォードの書斎をあとにした。
あと残るのはダルジャンヌだけ。こうなったら最も怪しい本人に直接問いつめるしか……。ユニがそう思いながら廊下のT字路に差しかかると、彼女の目の前を何かが横切った。
それは厚みがまったくない薄っぺらな影。地べたを這う影が起き上がったようだった。色は暗く、向こう側の景色がうすく透けて見えている。ほんのり青みを帯びていて、大きさはユニの腰丈ほど。人型だが頭に二つの耳と、腰に長い尻尾がついている。
影はユニの前を横切り、止まることなく廊下の先へと走って消えた。ユニは呼吸を停止させたまま目を何度もこすり、曲がり角に半身を隠したままそろそろと影が走っていった先をのぞく。だが影はもういない。
真昼の亡霊をついに目撃。こんな時はとりあえず同族で先輩の黒猫ノーラだ。ユニは半狂乱になりながら屋敷中を駆け回り、厨房で氷砂糖を食べていたノーラにタックルした。そしてたった今見たモノの特徴を話す。あふれる感情のせいでまったく話が論理的でない。思考の速度に口がついていかないのがもどかしかった。
「ああー、それは影猫だよ、影猫」
「カゲネコ……?」
「今ぐらいの時期になると街に出てくるんだよ、影猫が。黒猫にも人間にも見える影だ。本当かどうか知らないけど、この世に生まれる前の黒猫の姿だって言われてるよ」
影猫。それはさっきアルマがつぶやいた名前。アルマはユニと同じように屋敷の中に出現した影猫を見たのだ。死を恐れ生にしがみつくアルマからすれば影猫は縁起の良いモノではないだろう。影猫は黒猫の死の象徴だからだ。
「影猫にとくに害はない。どこからともなく街にやってきて無邪気に遊ぶだけさ。そうやって次に生まれる街を見定めているのかもね」
「次に生まれる場所……」
「影猫は人の持ち物を欲しがる習性がある。特に黒猫の所有物を好む。人間達は影猫に持ち物をあげると幸運が訪れると思ってる。ユニも影猫にねだられたら何かあげるといいよ」
影猫。ハミルトン家の住人でも街の人間でもない、予測外の容疑者。ユニがあごに手を添えて頭をひねっていると、視界の端を一人の影猫が走り抜けた。ユニはあわててノーラに礼を言い、廊下の先へ駆けていく影猫のあとを追う。
奇妙な動きをしている。スキップでもするように一歩の歩幅が異様に広い。人間も黒猫も平等に受けている重力をまぬがれているのか、一歩踏み出すごとに遠くまでふわりと跳んでいく。明らかにこの世のモノではない。
かつてはユニもあんな風にふわふわと街の中を跳んでいたのだろうか。すばやい影猫にも野生動物級の脚力で難なくついていくユニは不思議な気持ちで胸がいっぱいだった。生まれる前の記憶は無い。どこかの街で黒猫をやっていたのだろうが、あまり人を殺さなかったのか前世の記憶は引き継げなかった。前世の黒猫として働き、力尽きて消滅し、ユニとして生まれ変わる前に亡霊のような影猫として遊んでいたのだろうか?
追跡していた影猫が閉じていたドアをすり抜けた。本当に幽霊のようだ。影猫を追うのに夢中になっていたユニはそこがどこかも確認せずにドアを開けて中へ入る。