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11頁 「猫をかぶった黒猫」

「ううっ……。とんでもない目に遭った」


女の子に教えてもらった道をたどりながら、ユニは得体の知れない感覚の余韻(よいん)に身体をぶるっと震わせた。

まだ身体の芯が熱く、じんわりと痺れている。あの強烈な体感は一体何だったのか? ユニは尻尾に手を伸ばそうとして途中で腕を止めた。今はそんないかがわしい探求にふけっている場合ではない。早くアルマの家を目指さなくては。

女の子の説明不足に加えてユニが街に不慣れなこともあり、なかなか目的地を見つけられない。観光者か何かのようにきょろきょろと見回しながら街中を歩いていると、たびたび往来の人達と視線がぶつかり合う。やはり新生の黒猫ということでユニは相当に目立っているようだ。


「あ、恋人同士」


ユニの向かいから歩いてくる若い男女に目を奪われ、ユニは民家の前で立ち止まった。カップルはユニを気にすることもなく、道の向こうの広場へと歩いて行ってしまう。

恋。人間が相手の人間へ抱く特別な気持ち。ユニは恋をしたことはなかったが知識として恋のことを知っていた。

人はなぜ恋をするのか? ユニが目の前で行き交う男女に目を凝らしても何も胸に変化を覚えない。誰にも恋や愛を感じない。この異様な不感症と心の安定感は一生モノかもしれないと感じる。

もしも恋が化学反応のようなもので、特定の誰かと出逢った時に反応が起こり劇的な変化がおとずれるものだとしたら、ユニは誰とも何とも反応しない。ユニの心はまるで金や白金のように極めて安定的で、酸素や水や化学物質が溶けた水溶液に浸食されない。

ノーラは黒猫は恋をしないといった。恋をしないということは果たして心の平穏か、それとも華を失った絶望の道か。ユニは気になって民家の軒先にたたずんだまま尻尾をふらふらと揺らす。

持病で苦しむフランシスカを介抱した時に抱いた感情。あれはおそらく恋などではない。もっと正体が分からず、暗く冷たく、何かまがまがしいものだ。

恋について、ユニはユニなりに仮説を立ててみることにした。恋の実感も経験もないので足りない部分は思考の労働と想像で補うしかない。

フランシスカは恋愛など糞食らえと暴言を吐いていた。だがユニには彼女の言葉が正しいとはどうにも思えない。人通りでたまに見かける恋人達は皆幸せそうだし、生きる喜びを噛みしめているように見える。恋愛の結果によっては糞食らえな最後になるのかも知れないが、それでも恋をし合っている時は少なくとも幸福な状態にあるようだ。

フランシスカは寝たきりの生活が長い。そのせいで少々歪んでいるところがある。それも当然だ。ひなたでのびのびとまっすぐに育った花と、日陰でうじうじと育った花では大きさも葉の形も違う。だから彼女の極端な意見を鵜呑みにするわけにはいかない。フランシスカはかなりの異端であり、あくまで少数派なのだ。

道行く恋人達は手を繋いでいたり、腕を組んでいたりする。どうしてそんなにベタベタするのかユニには分からない。この汗が噴き出す暑さで触れ合ったら余計に暑くなるだろうに。

そうまでして触れあい、繋がり合う利点は何なのか? そこに何かのたしかな理由はあるのか? ユニはあごに左手を添え尻尾を揺らし、行き交う人達の注目も気にせずに恋人の観察を続ける。

そしてユニは(ひらめ)いた。触れ合うこと、誰かと深い関係をもつこと自体が人の心を癒すのではないだろうか? 良い気分を生み出すのではないか? 楽しげに微笑む合う恋人同士を見ているとユニにはそうとしか思えない。

フランシスカはベッドの上に縛られたまま目の前を通り過ぎていく人達を見送ることしかできない。だから彼女は誰ともつながり合えず、寂しいはずだ。ならば寂しさの反動から、誰かと繋がる喜びを全否定してもおかしくはない。

こんな寓話(ぐうわ)をユニは知っている。高い木の枝に下がったブドウを食べようとしてキツネが何度もジャンプをするが、高みにあるブドウには決して届かない。キツネはくやしまぎれに「このブドウはすっぱくてまずいに違いない」と決めつけてその場を去ってしまう。フランシスカはブドウという恋に届かない、ひねくれたキツネではないだろうか……。

恋とは誰かと繋がりをもとうとする気持ち。ユニは以上の考察からそう仮説を打ち立てた。世界の秘密の一つに触れたような気がしてユニの胸がはずむ。ユニは淡い笑みを浮かべつつ、ふたたび人の流れへと歩み出した。

そうしていくらか道をさまよい、ユニはとうとうアルマの家を見つけ出した。「アルマ黒猫事務所」という立て看板が立っていて、そこらの家よりも一回り大きい家だ。外観は目立たないが、家の大きさがアルマの財力を物語っている。

ユニは緊張に胸を高鳴らせながらドアをノックする。ドアが開き、隙間からアルマの笑顔がのぞく。


「まあ、来てくれたんですね、ユニ。今はお客様が見えているので、こちらで少しだけ待っていて下さい」


愛想の良い空気に、ユニはこわばっていた尻尾がやわらかくなる。ユニと似たような黒服姿のアルマに導かれ、本棚が壁に並ぶ小綺麗な応接室へ通される。

そこには先客の人間がいて、ユニは声に出さずに驚いた。てっきり別室へ案内されると思っていたからだ。ユニは部屋のすみに置いてあった小さな椅子に座るように言われ、その通りにする。

長机をはさみ、ソファーが二つ設置されている。どんよりと暗い目をした初老の男の向かい側にアルマが座り、彼ににっこりと笑いかける。


「お待たせしました。そちらは同僚(どうりょう)の黒猫ユニです。どうぞお見知りおきを」


「この事務所にはあなた以外にも黒猫が……?」


「ええ。二人の黒猫による、お客様の要求にかなったサービスを自由に提供するというのが我が事務所のモットーなのです。このような黒猫の事務所は街に二つとありません」


ユニは「おやおや?」と思い、尻尾を丸めた。ユニがアルマの同僚? そんな話は聞いていない。ユニは不思議に思いつつも眼前のなりゆきをおとなしく見守った。

うなだれたままぼそぼそと話す男には見るからに生気がない。彼の身の上話を聞くうちに、どうやら彼は事業に失敗し、わざわざ他の街から黒猫に殺してもらいにやってきた人間らしいことをユニは理解した。

初めて見る黒猫の仕事現場。ユニは肩を張り、アルマの話を食い入るように聴き入った。


「全財産の30%相当が仕事を請け負う対価となります」


「しかし、家族にもできる限り遺産を残しておきたいのだが……」


「お客様の街の黒猫達の平均的な値段からすれば格安のはずです」


常に柔和な笑顔を絶やさずに男をなだめすかすアルマ。あの世に金は持っていけないとはいえ迷惑をかけた妻や子どもに少しでも財産を残したいという男を巧みに誘導し、代金を少しずつ割引き、時には慰め、時には脅迫的な言葉をささやき、だんだん依頼人をその気にさせていく。

説得話の中に何度もユニという名前が使われ、アルマとユニの二人で安らかな死を贈ってきたと情感をこめて語られる。もちろんそんな話はでたらめだ。しかし嘘だとは分からない男はアルマの話を信じ込み、たびたびユニの方へうつろな目を向けてくる。


「それではまた後日、確認をしましょう」


一通りの話をまとめたアルマはその日の商談を終え、最後まで笑顔のまま男を送り出す。彼女の後ろ姿をユニは口を半開きにしたまま眺めていた。

黒猫としては誰一人として死なせていないユニにはアルマがどれほどの腕か分からない。それでも今の人間はアルマに死なせてもらうことになるだろうと確信していた。もう彼には生きようとする気概がなく、完全に心が折れてしまっている。しかもアルマの話が上手く、彼女の口車に乗せられてしまっている。近いうちに彼はアルマの手で地上を去るだろう。

アルマは表へ出て看板を屋内へしまい、玄関のドアにクローズドと書かれたプレートを下げた。そしてユニの前へ戻ってくると後ろ手でドアの鍵をかける。


「あ、あの……アルマさん……?」


「ああ、気にしないで下さい。今日はもう店じまいです。ユニとじっくりお話をしたいので」


アルマはユニを連れて応接室へ戻り、ソファに座って待っているように指示。ユニが言われた通りにしていると、アルマがトレイにティーカップを二つ載せて戻ってくる。

アルマと向き合って座り、二人で紅茶をすする。ハミルトン家で振る舞われる最高級の茶葉から淹れたお茶にはかなわないが、それでもまずまずの味だ。歩き回ってのどが渇いていたので飲み物はありがたかった。

何かと良くない評判がつきまとうアルマだが、実際に会いに来てみればこうしてお茶をごちそうしてくれている。ユニはほっとしつつアルマの紅茶を飲みほした。


「ユニ。私といっしょにお店をやってみませんか?」


「?」


アルマはやわらかな笑みを口元にたたえたまま、手の中でカップを揺らせている。彼女が何を言い、何を考えているのかユニにはさっぱり分からなかった。


「ユニは小さくて可愛らしいから、きっとお客さんに人気が出ると思います。ユニも働いて自立できますし、この事務所もユニのおかげで今まで以上に繁盛(はんじょう)する。おたがいにとって大きな得になるはずです。いえ、私よりもユニにとってのメリットの方が大きいほどです。なにしろユニは街に生まれたばかりで実績も信用も何も築いていないのに、いきなりこの事務所のバックアップを得られるわけですから」

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