第一話 天国と地獄は一日の間にやってくる (改稿版)
――思い返せばもう25年も前の事になるのか。あの日のことは俺の褪せる事のない記憶の中でも一際鮮やかに刻まれている。
まさに運命の日、天国から地獄への垂直落下で味わわされたあの日の事は。
最初に思い出すのは色。この世のものとは思えないほど美しい夕日の橙と徐々に灰色に変わっていく世界の中で唯一鮮やかなままだった――血の赤い色。そしてその後包まれた静寂の白と――輝く太陽の色だ。
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「はい、ありがとうございます! よろしくお願いいたします!」
夕方の買い物客で賑わう商店街のど真ん中で、携帯に向かって思わず叫ぶような返事をしてしまい、周りの人たちにギョッとした目で見られてしまった。
思わず顔が真っ赤になった。恥ずかしいったらありゃしない。
当時の俺は超就職氷河期を大学院の修士課程の2年生で迎え、予想していた最悪がはだしで逃げ出す最悪の就職戦線を艱難辛苦の上何とか乗り越え苦節約1年、ようやく、ようやく! その日念願だった初内定を頂いたのである。
ちなみに私学とはいえ、そこそこ有名な大学ですよ? 俺の大学……。
今も昔もすべて含めた俺の人生の中でも5本の指に入る絶望的な戦いだったことは間違いない、マジで。例えるなら終わりの見えないマラソン。人間が持久走に耐えられるのは、終わりが分かっているからだと思う。終わりの分かっていないそれは……ただの拷問だ。
就職活動開始からおよそ一年の間に書いたエントリーシートは100枚を軽く超え、2次面接で「シリツだから」と落とされたこと多数。そんなに国公立が偉いのか……。
ハッ、いかんいかん! 思わず過去の怨念が……。
空は秋空、暖かな日差しと裏腹に肌寒さを感じるようになった風が吹き付ける時既に9月。就職活動をしている人間にとって、就活浪人が見えてくる正直やばすぎる時期、俺にもたらされた『内定のお知らせ』はまさしく福音だった。
そそくさとおかしな人間を見る周りのおばちゃんたちに頭を下げながら退避、人目のつかないところまでいって我慢しきれず渾身のガッツポーズ! ついでに踊りだしたい気分だったが街中なのでさすがに自重。夕暮れ時に街中でそんなことしてたら、不審者扱いされても文句は言えないし、お巡りさんのお世話になったらせっかくもらった内定が吹っ飛びかねなかったから。
そんなこんなで喜びを『あまり』見せないように大喜びしていた俺だったが、大事な事を思い出して携帯を手に取る。呼び出しの音が3度なったところで電波越しではあるが、聞きなれた母親の声が聞こえた。
「もしもしおふくろ? 俺だけど」
手短にようやく内定が出たことを報告し、喜びと安心と涙の入り混じった声でおめでとう、良くがんばったね、と言われて先ほどまでとは違う意味でうれしくなった。先ほどまでの喜びが天まで突き抜けるような感じだとすれば、今の喜びは足先からじんわりあったかくなるような感じ。思わず俺まで泣いてしまいそうになり、また親父が帰って来るころに電話するからと電話を切る。
――思えば電話越しとはいえ、これが最後に聞いたおふくろの声。もう少し色々伝えておけば良かった、今は心からそう思っている。
じわじわと体を潤していく幸福感に足取りも軽くなり、ついでに財布の紐もゆるくなった俺は、人で溢れかえったスーパーに突撃。ここは金のない俺のような学生にもやさしい安売りで地域でも有名な店で、もちろん俺も常連の1人。店の中はいつものように買い物客の熱気と耳障りのいいJPOP、そして店員さんの威勢のいい声で溢れていた。
慣れた足取りでプラスチックの買い物カゴ片手に混雑する店内を泳ぐように品物を見て回っているうちに、いつもと違う空気に気づいた。おいしそうに焼けた脂ののったサンマ、秋の味覚の王様である松茸などによって一年中空調で管理された屋内の中でも感じられる濃厚な秋の気配。こんな場所で今年初めて秋の訪れを感じるとか、就職活動で切羽詰ってたとはいえ我ながら何だかなぁ、と苦笑してしまった。
ということで自分へのご褒美に6缶セットのビール(発泡酒じゃなくてビール!)とつまみ用に脂がたっぷりのった旬の焼きサンマをゲット。
――もちろん貧乏な俺は、いくら就職が決まったお祝いだって言っても松茸様なんてものは買いませんでした!
サンマが限界! サンマが最高! サンマ万歳!
……まぁそんなことはおいておいて、何とか人いきれがするスーパーの中を脱出し、顔を上げた俺の目に不意に飛び込んできたのは深い橙色に染まる空とひときわ美しい夕日。
しばし呆然とそれを見つめる俺。正直それまでの人生の中でこれほど美しいものを見たのは初めてだった。何気ないんだけどあたたかで、涙が溢れてくるそんな景色。視界がぼんやりと滲んで霞んだ。その時目に映った全てが最高のご褒美で、「お前今までホントよく頑張ったじゃん!」って言われてるみたいだったから。
どれ程そうして立ちつくしていたのか分からないが、我に返れたのはどこからか響いてきた車のクラクションのおかげ。あわててその時になってはじめて気づいた涙を拭い、家路をついた。
買い物のビニール袋をぶら下げながら10分ほど歩いて見慣れた自分のアパートに帰りついた俺は、一歩一歩踏みしめるように階段を上り我が家のドアを開け部屋になだれ込む。
駅から徒歩10分、大学まで自転車で10分。間取り広め、ユニット式だがバストイレつきで家賃もそこそこという優良物件で、大学生活の5年半を過ごしたワンルームの学生用マンションの一室が俺の当時の住まい。
当時を思い返すと何ともいいがたい懐かしさと同時に、大学時代の黒歴史の数々まで思い出してしまうのが、何ともいえないんだけど。
リクルートスーツのジャケットをベッドに放り投げただけで着替えもそこそこに、早速買ってきた6缶パックのビールのうちの一本を、一気にあおって勝利の美酒をのどに流し込んだ。
「ぷは~! マジでうめぇ! ビールってこんなに美味かったっけ?」
思わず独り言を口走る程のほど美味さに感動しながら、箸でサンマの身をくずして食べる。
うん、これも美味い!
……こうして俺の地獄の就職活動はとりあえずの幕を下ろし、その後に続く平凡だけれど、それなりに幸せな人生が始まるはずだったんだけど、まったく一寸先は闇とはよく言ったもの。
まさかあんなことが起こるとは……、人生って何が起きるか分からないよな。良くも悪くも。
◇◆◇◆◇◆◇◆
普段は高くて飲めないビールを3本とサンマでイイ気分になった俺はほろ酔い状態も手伝って最高のテンションで相棒の電源を入れた。
いつものように起動しているはずのその時間がやたらと長く感じて、意味もなく鼻歌を歌ってしまったりして。
パソコンを相棒と呼んだのには理由がある。現実でこそさえない化学系の大学院生だった俺だが、実はとある世界では有名人だったのだ。
――MMORPG『New World』
純日本国産にして、日本最大級のオンラインRPGで舞台は中世ヨーロッパ風のありがちなファンタジー世界。
ヒューマンと呼ばれる人間族をはじめ、エルフ族やダークエルフ族、ドワーフ族、ワーワイルド(獣人族)族などの種族から自分のアバターを選んで育成しやりたいことをやるっていうありがちなオンラインRPGだったんだけど、その自由度の高さとかゆいところに手が届くシステムの完成度と運営のキメの細かいサービス体制から”MMORPGの完成型”って言われた超人気タイトルだ。
何でも有名なIT長者数人が私財を持ち寄って『ゲームの国日本が世界に誇れるオンラインRPGを!』を合言葉に、金に糸目をつけず採算度外視で始めたっていうんだから恐れ入った話だ。こっそりゲーム内で仲良くなった運営に聞いた話だと当時最高性能を誇っていたスーパーコンピューターまで持ち出したっていうんだから金持ちってやつはやることが違うよな。
というわけで俺はこの『New World』のサービス開始当初、いわゆるオープンβの時からの最古参かつヘビープレイヤー(ネトゲ廃人ともいう!)で有名人だった。
『ぱらけるすす』、それが俺の『New World』での名前。
種族はヒューマン、職業はヒューマンの魔法6職の一角、『アルケミスト』の3次職にして到達職『ヘルメス・トリスメギストス』。
実はこの『アルケミスト』という魔法職、あまりというかほとんど人気が無かった。理由は簡単でそのあまりの使用難度の高さの為に。
まずプラス面を見ると、魔法職の中でも単発の威力ならば2位につける高火力と便利な小技的魔法、壁であり直接火力であるゴーレムの召喚、非戦闘時でのポーション系精製スキルと、それだけを見れば万能に近く、攻撃型魔法職のいいとこ取りだったのであるが………当然マイナス面もすごかった。
基本一回あたりの魔法力(MP=マジックポイントってやつ)消費量が平均で他の魔法職の2倍以上だけでも大変なのに、さらに致命的な欠点として魔法の発動速度の遅さがあった。どれぐらい遅かったというと全魔法職中最低で、最速だったエルフの魔法職であるルーンウィスパーが2回魔法唱えてる間にやっと1回くらいだったため、PvP(Player vs Player)と呼ばれるプレイヤー同士の対人戦闘システムが存在している《New World》ではかなり致命的な弱点だった。さらにさも当たり前であるかのように全種族全職含めて最低のHPと物理防御力という追い討ち。そのため『アルケミスト=もやし』っていう認識が定着するほどに。
ちなみにアルケミストをやってるプレイヤーに『もやし』は禁句、『もやし』は禁句だ! 大事なことだから2度言いました!
……そしてもっと大きな、大きすぎるペナルティが存在した。
各種族に設定された『アルケミスト』を含む特殊職は『レベルを上げる為に経験値が他の一般職の倍必要という特殊ペナルティ』である。
これがキツかった。とてつもなく。
レベル制のオンラインRPGをやったことのある人間ならこの絶望感はすぐに伝わると思うんだが、未経験の方はたかが2倍くらいと笑うかもしれない。分かってもらう為に少し具体的な話をすると、レベルが最高ランクに近づくと普通のプレイヤーは3時間ほど頑張って0.5%がいいところであり、レベルを1上げるのに数ヶ月かかるのが普通なのにそれが倍になる恐怖といったらそりゃあもう……。
忙しい理系の大学生の癖に何でそんな時間があったのかと突っ込まれそうだが、当時の俺の平均睡眠時間は2時間を切っていたから大丈夫。不思議じゃないんだ。
まぁそれはさておき、他の特殊職はそこまでピーキーな性能でもなく普通にパーティを組めるし、オンリーワンの能力や異常な汎用性を見せることから人気職も多かった。
一例をあげると、エルフの戦士系特殊職『イグドラジルナイト』なら前衛盾職屈指の鉄壁だけでなく防御形強化魔法を使いこなし、さらに一定以上の回復魔法まで使える超人気職。ペナルティーはパーティを守る盾であるにも拘らず、全戦士系職ワースト3のHPの低さと、全戦士職はおろか一部の魔法職以下の直接攻撃力。防御特化した盾職の極みみたいな職業だといえる。
一方アルケミストは確かに万能に近いが、弱点も多く使いにくい上に成長が遅い。そのため多くのプレイヤーがそれよりは遥かに使いやすく普通に火力に優れた『ソーサラー』や、汎用性の高い何種類もの召喚獣が呼び出せる『サマナー』といった一般職のほうが………ということでプレイヤー数が極端に少なかった。
ただでさえレベル上げの大変な特殊職にも拘らず、レベル上げがし難い、いわゆる低レベル不遇職の典型だった『アルケミスト』
しかし中には物好き(マゾともいう)が存在する。そう、俺の、そして俺の仲間たちのような!
そうして出来たのが俺がギルドマスターをやってたギルド『十七人の賢者』だ。その名の通りみんなの邪魔者扱い(みそっかすともいう)だった『アルケミスト』17人が集まってできたギルドであり、互助組織であった。
あ、ギルドっていうのは楽しく遊ぶために集まって作るグループみたいなものと理解して欲しい。
そして俺達は極めた! 『アルケミスト』を! 使い勝手の悪さを各人の研究を持ち寄って研鑽しつくし! 世のドMどもが泣きながら負けを認めるほどの過酷過ぎる、まるで先の見えないドン亀のマーチを、仲間達とスクラムを組んで行進し抜いたその先には!
――対人集団戦『最強』が待っていた。
いやぁ、最終的にはMMORPGにおける最大の花形、対人集団戦において全職最強でしたよ、『アルケミスト』
その所以となったのがレベル70を過ぎて覚えることができるようになる公式チート、各種反則級魔法の数々である。最強の範囲攻撃魔法『核熱』。同レベル帯の戦士職や魔法系召喚職の最強召喚獣と互角に渡り合える『サモン・オリハルコンゴーレム』、《アルケミスト》しか作れない各種特殊魔法薬などetcetc……。
特に『核熱』の時間差爆撃は反則。きちんと対策とらないと開戦と同時に全滅するから。
とまぁこのように正直笑いが止まりませんでしたとも! 『なった後』は! まぁ、あまりの強さにしばらくして各種修正が入ったけど。
その後もあいも変わらず融通はきかないものの、その分大規模戦闘である戦争では文字通り無双で、一時はうちのギルドを味方につけたほうが勝ちとまで言わしめた。
実際約1年間半もの間不敗だったし。戦闘開始直後の時間差核熱で敵勢力瀕死、後ゴーレムによる蹂躙で即終了っていうことも多かったな。
そんなこんなで『New World』でも有数のギルドのギルドマスターとなった俺は楽しい楽しいネトゲゲーマー生活を送っていたのであった。これが俺の当時の最大の趣味で軽い生きがいだった。ちなみに2番目はWikipedⅰa巡り。気になった言葉を片っ端から検索して無駄知識を吸収。我ながら終わってたと思うけど人生なにが自分の利益になるかなんて分かったものじゃない。万事塞翁が馬とは昔の人はよく言ったものだと思うよ。
まぁさすがに超氷河期の就職活動中はほとんど頑張れなかったが、これでこれからは心おきなく『あっち』に『帰れる』と思いながら、ログインするためにパソコンの前に移動しようと思ったところで部屋のチャイムが鳴った。
――本当に人生ってやつは前の見えないジェットコースターみたいなものだと思う。その時のチャイムこそ俺を天国から地獄へと叩き落す前触れとなった悪魔のチャイムだったなんてその時の俺は微塵も思わなかったんだから。
◇◆◇◆◇◆◇◆
人間『たら』や『れば』を言い始めればキリがないが、今でも時折ふと考えてしまう事がある。『もし、あの日就職活動が決まってなくて家にいなかったら』だとか、『もしあの時ビールを飲んでなくてもう少し体が思い通りに動いたのなら』だとか。そしていつも決まって最後にこう思う。
――『どんな奇跡も時間だけは巻き戻せない』と。
酒にあまり強くない俺がふらふらしながら玄関に向かおうとすると『ガン! ガン!』と何か鉄と鉄がぶつかり合う音がした。
そのただならぬ音に一気に酔いが醒めた俺は、何事だ? と思いながらもまず携帯で警察に電話……とベッドの上に放っておいたジャケットから携帯を取り出し、110とボタンを押したその次の瞬間、ギィという嫌な音とともに玄関のドアがゆっくりと開いた。
玄関スペースと居住スペースを分ける開け放たれたドアの先に一人の女。
世の中の男なら間違いなく美人だというだろう顔立ちで、普通に道を歩いてたら十人中八人振り返るはずの女なのだが、明らかに気配がやばかった。
俺が女性に求める『やさしさ』とか『気遣い』とか『包容力』とかいったものが1ナノグラムも感じられない彼女の眼には、確かに狂気が宿っていた。
この女どこかで見たような気が……なんてことを麻痺してしまった頭の片隅で考えながら、そのあまりに突然の出来事に携帯の受話器から聞こえる警察の人の「大丈夫ですか? どうしました?」という声にも反応できずただただ呆然と立ちつくしていると、「みぃぃいつけた……」という声とともに女が俺に突進してきた!
その手には刃渡り20cmはあるだろう包丁が。
とっさに身を捻ってそれをかわす俺。明々とした蛍光灯の下で見た女の顔を見てそれが誰だか思い出した。
就職活動中のとある会社での2次審査で行われたグループミーティング。男3人女2人でグループを組んだのだが、その時何故かやたら俺の事を気に入ってくれた女がいた。
確かに美人なんだが、他の人間に対しての言動や行動に思いやりがなく、グループミーティングそっちのけで病的にこちらに絡んでくる女に薄気味悪いものを感じた俺は、もちろん連絡先など一切教えることなく審査終了後逃げるようにその会社を後にした。
その女がどうして俺の部屋に? どうやって住所を調べた? ていうかドアはどうやって開けたんだよ?
あまりにも唐突過ぎるその展開に半ばパニックになりながらも、女が振り回す包丁を何とか避けていたが、狭い室内の中、飲みなれないビールを3本も飲んだせいでもつれる足が奇跡を起こし続けてくれるわけもなく、やがてその凶刃は俺の腹部に吸い込まれるように突き刺された。
どう表現したらいいだろうか? あの痛みは。ただ薄れゆく意識の中で漠然と覚えているのは、焼きごてでも当てられているかのような腹の傷の異常な熱さと、それとは対照的に自分の中から何か決定的なものが抜け落ちていく時の全身の冷たさ。そして灰色に変わって行く世界の中で唯一色あせなかった俺の腹部から流れ落ちる真っ赤な血の赤。
あとは狂ったように「あなたが私を無視するのがいけないのよ?」とか「本当は好きだったくせに」とかほざく女の猫なで声がいつの間にか遠ざかっていったことだけ。
遠く、遠く。遥か遠くに。
これが前世の俺、中村秀人としての最後の記憶だ。
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