第十六話 運命とは常に後ろからひき殺す勢いでやってくるものである (3)
「それでは皆様。随分と夜も更けてまいりましたので、これにて息子は失礼させていただきます。本日はまことにありがとうございました」
その母上の口上と満座の招待客たちの拍手に送られて、俺はようやくきらびやかなホールからの脱出に成功した。パーティが始まって既に三時間以上は経っていたはず。このころには俺の体力はもう限界にきていたからだ。
どうにも頭と足が重い。鉛のよう、というと大げさだと思うけど近い感じぐらいには疲れてた。
その証拠に、生まれなおしてからの九年間、0歳のときからずっと鍛え上げ続けた自慢のポーカーフェイスが崩れかかっていたぐらい、といえばこの時の俺の疲れ具合が分かってもらえるかもしれない。
正直、先生との訓練よりも疲れたから。貴族すげーよ、よくもあんなくだらないことに金と時間が使えると思う。そう思った俺は所詮、貴族に生まれなおそうと自分が庶民であることを深く実感した。庶民万歳だよな。
そんな中身が庶民で、慣れない貴族的な意味のパーティに疲労困憊な主役の俺がいなくなっても、パーティ会場から音楽は鳴り止まない。奥へとひきあげる俺の耳へと追いすがってきたのは、この日のためにどこぞから呼ばれた歌姫の美しい声だった。まさに今宵の宴の最高潮とばかりに、熱気を放つ皆々様方。
よくやるよ、まったくと思いながらよろけてしまった俺をやさしく抱きとめる誰か。
「お疲れ様でした、若様。ご気分はわるくないですか?」
悪いはずなどない。いや、仮に悪くても一瞬で治るに違いない。
だってすんげえやわらかくて、良いニオイがするんだもの。
そう。俺を抱きしめてくれたのは、誰あろう俺専属のメイドさんにして、愛するマリエルであった。そのあまりの心地よさと一気に緊張感から解き放たれた気の緩みの落差から、瞬間的に眠りに落ちる俺。
眠る前の一瞬、母上の「あらあら」という声と、マリエルの「……おやすみなさいませ、若様」という声におくられて、俺は未だ終わる気配もみせないパーティの出席者たちにさきがけて深い眠りへとおちたのであった。
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あいもかわらずヒューマン族というのは無駄に着飾って騒ぐのが好きな種族だな、と思いながらも【氷刃】の二つ名を持つ冒険者、アリエス・イナ・サラシアスは、黄金の髪をした少年が広間から退出していくのを確認してようやく張り詰めていた気をほんのわずかだけ緩め、警戒レベルを一つ下げた。
身に纏っているのは列席のどの人間たちよりのものよりも美しく、そして高価な真紅の革鎧。Aグレード軽防具【レッドドラゴンスケイルレザーアーマーセット】。そのカーネリアンをちりばめたような美しさと、それを纏うエルフの美男子の取り合わせは何よりこの夜会の話題となったことであろう。
彼がいたのはホール全体を視界に入れることができる窓の外から何事かあったときに備えて待機していた。逆にいえば誰からも見えるそんな場所。だが出席者たちの一人として彼に気づくことはなかった。当たり前である。彼の発動していたアクティブスキル【ステルス】LV8を見破ることができるのは、彼と同じ短剣職のパッシブスキル【サーチエネミー】LV7以上の持ち主だけ。
そしてそのスキルをもって彼に気づくことができる人間は、彼が知る限り二人だけ。そのことこそ、彼が大陸に三十人ほどしか現存しないといわれるAグレード冒険者である証明であった。
(……ここまではなんとか、といった感じだな)
心の中でも、そして実際にも大きく息を吐く。それは張り詰めていたものを吐き出すためでもあったが同時に、いまだ胸に残る苦々しさを薄める為でもあった。
そもそもアリエスは今回の、あの可愛げのない自分の弟子の祖父からねじ込まれた、この馬鹿げたお祭り騒ぎの全てについて反対だった。理由は色々とある。その中にはこのようなヒューマン的な顔見せの会などくだらぬという、自然との融和を何より大事にするエルフ特有の感情も少なからずあったが、その大半はジオの師として、そしてなにより彼の護衛責任者としての考えからであった。
はっきりいえば今回の事はアリエスには自殺行為としか思えない。いまだ彼の身を守る準備は整っていない。そんな状態であの子を不用意に外に出した。そのことの意味を分からないフィリップではないのだが、友人も昔と違いしがらみが増えたものだと、わずかな侮蔑の感情の為に美しい口元がゆがんだ。
同時にアリエスにも、今回の事を進めた彼女や彼女の父親の思いもわからないではないのだ。彼らにはフィリップやアリエス自身が危惧する危険への実体験を伴った知識はない。どれだけ言葉を尽くしても、彼ら二人の危惧している事は、自分たちのようにそれを身をもって知る人間以外には絵空事にしか思えない話である。そして今回の事はヒューマンの貴族たちにとってはしごく当たり前の通過行事であり、同時に自分の弟子が貴族としてこの先も生きていくなら避けられない物事だという事も。
親心ゆえ。自分の持つものをできるだけ多く子供にという、ヒューマンやエルフといった種族にかかわらず親ならば誰でも持つだろうその思い。
理解できぬわけではないのだがな……。そう思いながらも胸にわだかまる嫌な予感はまったく減りはしないどころかいや増すばかり。
それほど彼の弟子にまとわりつく宿命は、重い。既に百を四つ重ねるほどに生きている彼にとっても、大昔である千年前以来の兆し。あの子の眼はその確かな現れであり、同時にその眼は厄介な因果を呼び寄せる魔性のものであった。その魔性の真実、それを知る一握りである彼にとっては馬鹿げたことだの一言で切り捨てられる話であっても、知らぬものにはそうではない。たとえそれが迷信だとしても、それを信じる愚か者たちにとってはそうではないのだ。
所詮、人というものは自分の信じたいものを信じる生き物なのだ。アリエスはそう思う。面倒な事だ……と思い、考えが
(いっそあやつが自分の子であれば、これほど悩まずにすんだのにな)
というところまで至ったところで、今度は愉快さがこらえきれずにアリエスの口元がまたわずかにゆがむ。もう一度考え直して結論がでた。あんな可愛げのない子供、こちらから願い下げだと。あれが自分の倅なら胃がいくつあっても足りない。そう思って自分に厄介ごとを押し付けた胃の痛い思いをしているだろう友人のことをひとしきり笑い、彼は今では弟子の側付きが板についてきた旧知の少女に抱かれているジオを見た。その光景だけは、彼にとって微笑ましい。
(まぁ、よい。何が来ようとも私が全て切り払えば済むことよ)
そのための力が自分にはあるのだ。友人の思いも、その妻の心も、そして目の前の微笑ましい光景も、全て自分が守ってみせる。そう思いながら知らず右手を強く握り締める。白磁のごとき細指が薄く赤に染まっていた。
同時に彼は確信していた。いつか来るべきものの到来がかなり早まったであろう事を。
――だが、彼はまだ知らない。そのいつかが既にのど元に突きつけられるその数瞬前であったことを。
今回幕間的な話である為かなり短めです。ごめんなさい。
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