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New World   作者: 池宮樹
ある男の回想 前世から幼年期まで
17/22

第十三話 現実はいつだって厳しい (後編)

 突然で悪いが、例えば誰かが飛行機のパイロットになりたいと思ったとしよう。パイロットになるには色々な努力が必要だと思うけど、もしそいつが高所恐怖症だったとしたら、そいつは根本的にパイロットになることを諦めたほうがいいと思わないか?

 

 例えば、医者。特に外科医になりたい奴がいたとして、そいつが血液恐怖症、つまり血を見るのが怖い奴だととしたらかなり致命的だ。俺なら心療内科医あたりを目指すことをお勧めするな。あれなら血はあんまり見ずにすみそうだし。あくまで俺の勝手なイメージだけど。


 もっと身近なレベルだと、ホラー映画が嫌いな奴は就職先にお化け屋敷を選ぶことはないだろう。だって完全に自爆だろ、それ。


 つまり何がいいたいのかというと、俺の人生計画は八歳にて大きな壁にぶつかったのである。


 あの、ヤンデレストーカー女は、とんでもないものを、俺に残していきやがった。



 ……刃物恐怖症。命のやり取りが仕事である冒険者にとって、どう考えても致命的だよな。



◇◆◇◆◇◆◇◆


 

 というわけで記憶をたどった事で自分に何が起こったのかが分かった。前世むかしの俺の最後にして、最低最悪の記憶である死んだ時の記憶。そのトラウマが、先生から渡されたスチールダガーの刃という形で俺の前に突きつけられたのが原因だったのだ。


 つまり――PTSD(心的外傷後ストレス障害)である。


 そりゃ、父上たちにも分かんないわけだよ。ていうか分かるわけがない。俺がこのトラウマを植えつけられたのは、こっちの世界ではなく前の世界である。そんな生まれる前のことまで予想して訓練できる奴がいたとしたら、そいつはもう人間やエルフじゃなくてエスパーである。エスパー。


 ただ、原因こそ分からなかった二人だったが、俺がPTSDを起こしていたこと自体は分かっていたらしい。もちろんPTSDなんて現代医療用語を二人が知ってるはずもないんだけど、言葉は知らなくても俺みたいになる奴の実例を現役の冒険者時代に嫌になるほど見てきたらしく、お前が落ちいったのはそういうことだと思うと父上から説明された。


 それはともかく再び俺が意識を失ったことで当然母上は再びの大荒れで、次に起きた時にはまたこっぴどく叱られ、そして抱きしめられた。さすがに二回目だったから俺は泣かなかったけどな。


 とまぁそれはともかく先生はともかく、実はこの人大陸有数の錬金術師アルケミストじゃなく、ただの親バカなんじゃない? と疑いかけていたうちの父上の本性が少しづつ見えてきたのがこの頃だろうか? まぁ、はっきり思い知らされるまではもう少し時間が必要なんだけどさ。


 それにしても俺のうかつさはどうしようもないと思う。普通に高いところにのぼって落ち、そして小さな怪我をしただけでも高所恐怖症になる人間はいくらでもいる。それが俺の場合は、殺人の被害者。どてっぱらに刃物を突きこまれる経験をしているわけである。


 ……トラウマにならんほうがおかしいわ。女に対するトラウマを消すこと頼む前に、こっちをどうにかする事頼めよ、過去の俺。


 そして何故このトラウマが表に出なかったのかを考えてみたんだが、これは割とあっさり答えが出た。つらつら考えてみるに俺が生まれなおしてから、そういえば刃物の類が俺の側にあることはほとんどなかった。あるとしてもせいぜい誰かが果物をむいてくれる時にちらりとみることがある程度で、それでは意識しなくて済んでいたんだろうと思う。それも当たり前だろう。自分でいうのも何だが俺は貴族の若様で一人息子。当然料理をする機会なんてないし、そうなれば日常生活で刃物を持つ機会なんてまずありえない。それにワトリア周辺で取れる果物は大体柑橘系だから、そのナイフを使う機会自体も少ないしな。そんなわけで俺の刃物に対するトラウマはこれまで表面化することもなく、まったく気づかなかった俺はうかつにも危険極まりない冒険が待つ世界へと足を踏み出していたわけだ。マジで危なかったと思う。


 一歩間違えば死んでたよな。いや、一応生き返るんだけどさ。


 それはさておき、気づいただろうか? この時の俺が何気に詰んでいたことを。


 そもそも俺はこの世界に『冒険者』になりにきた、いやもっと有体にいえば夢のVRMMOをやりにきたとはっきりいってしまってもいいだろう。ヴァーチャルリアリティMMORPGゲーム。全てのゲーマーたちの見果てぬ夢であり、そして俺が死んだ段階での科学技術では決して作り出せなかった、そしてその先もおそらく到達することが出来ないう夢の世界の産物。厨二病丸出しで恥ずかしいのだが、そんな夢を現実にするため、ゲームの世界の『勇者』や『魔法使い』になるために、この世界に生まれたわけだ。


 自分で、わざわざお願いして、である。


 そしてあちらから提案されたこととはいえ、俺は『勇者』や『魔法使い』をやる為に、ゲーマーとしての夢を叶えるために、様々なズル(チート)能力をもらったりしたわけだ。


 だけどこれでその目論見は完全に壊れた。


 少なくても俺が知るMMORPG『New World』の世界は剣と魔法のファンタジー世界であり、人間とモンスターがしのぎを削る現実がそこにある。それなのに刃物を見ただけで震えて倒れる人間がそこに飛び込んでいけるだろうか? いや、無理だ。


 それは高所恐怖症の奴がパイロットになろうとするのと一緒。血液恐怖症の奴が外科医になろうとするとも同じ。ホラーが嫌いな奴がお化け屋敷に就職するよりさらに無謀だといえる。


 ということで、俺の計画は完全に破壊された。


 まったく一時期狂ったように毎日流れていた消費者金融のCMで散々見てたのにな。「ご利用は計画的に」ってよ。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 というわけで俺はあっさりとぬけがらになった。


 それまでの異常に忙しく、そして充実していた日々がまるで嘘のように毎日ボーとして過ごした。日がな一日食って寝て、まるでニート生活である。いや、嫌いじゃないんだよ? だらだらするのは。でもそれはあくまで自発的にだらだらするのが嫌いじゃないだけなんだよな。その時の俺はあまりの出来事に呆然自失として何も出来なかっただけなんだ。


 まぁ、自己弁護する気はないけど当たり前である。そりゃそうだろ。何の因果か神様も予定外の死に方をして、その神様のお願いにのっかる形でMMORPGベースの世界に転生したら、実は死んだ時の刃物への恐怖がありまして、スタート前にすべてがダメになりました、とか。さすがにこのコンボはきつい。目の前ではしご外されるなんてもんじゃない絶望感といおうか。城を建てようと建材を頑張って集め、設計図を引き、人を集め、さぁこれから建築開始だって段階で、土地を横から誰かに掻っ攫われるような感じというか。


 だって、俺にどんなに才能があろうと、元の世界から持ち込んだ知識があろうと、俺自身が刃物恐怖症のヘタレでは何の意味もない。


 もちろんささやかな抵抗はしてみた。両親の目を盗んで、爺やに頼み込み小さな果物ナイフを用意してもらったがダメ。自分が持つんじゃなくて、ただ見てるだけならいけるのではと、父上に頼んでワトリアの街を守る騎士たちの訓練風景の見学に連れてもらったがやはりダメ。いっそ見ないように目をつぶれば!? と馬鹿なことを考えてみたが、いわゆる心眼のチートスキルなんてお願いしてないから、当然のごとく部屋の中で椅子にすねを思い切りぶつけて悶絶してダメと、とまぁ思い出すだけでも散々な有様だったわけで。


 そりゃぬけがらの一つや二つにもなりますよ、ええ。


 こうやって真っ白に燃え尽きた俺に、みんな厳しく接してくるかと思ったが、幸福なことにそんな事は全然なかった。


 母上は俺が無理なことをしなくなったと喜んでいたし、父上はなにか考えがあるようだったが、やさしく頭を撫でてくれた。使用人のみんなも同じ。とにかく温かく俺を見守ってくれたのだ。


 ただ……二人だけ俺が引っかかっていた人間がいる。


 もちろん一人はアリエス先生だ。先生はその後も我が家に滞在していたのだが、わざわざ危なっかしい俺の指導と監視のために呼ばれたはずなのに怒っていないのだろうか? と不安になった。もちろんあの教育指導の件について、まったく気にしていないかといわれれば嘘になるが、それ以上に先生が「冷静さ」を失った俺に怒るのは理解できたし、そしてその後言われたモンスターの命の尊厳うんぬんに関しては馬鹿なことにまったく理解できていなかったので、どう反応していいのかすら分からなかったのだ。


 そしてそれまでの毎日のスパルタ的指導が嘘のように先生が俺のところに来る事はなくなった。たまに父上の書斎で話してる声を通りかがる時に聞くくらいで、ほとんど姿を見かけることもなくなったのである。


 ……正直それも何故だか分からなかった。絶対「この軟弱者が!」と引きずりまわされると思っていたのに。


 そんな俺はうちの広大な庭の中にある先生の離れを尋ねることがなかなか出来なかったんだ。


 そしてもう一人引っかかっていたのがマリエルだった。


 もちろんマリエルの俺に対する態度がおかしくなったとかではない。彼女は以前と変わらず、いや以前以上にやさしかったし、俺を変な目で見ることもなかった。「この腰抜けが!」的な、な。


 ……そんな目で見られてたら俺の中で絶対折れてたな、大事ななにかが。


 では何が引っかかっていたのか? 答えは簡単。好きな女の子には見得が張りたいくだらない男の意地である。それがその日、事件からまる二週間たったある日、口をついて出た。


 その時俺の部屋には世話係であるマリエルが一人で、つまり二人っきり。他の誰もいなかったし、それが切欠になったんだと思う。


「ねえ……マリエル」


「はい、若様」


 そういって編み物の手を止める彼女は、その日も超がいくつもつくほどかわいかった。


 三つ編みにまとめたつややかな黒髪とおそろいの大きな目。目じりは少したれ気味なのがマリエルのやわらかな性格にすごくよく似合っている。綺麗な鼻筋、形がよくてぷるんとはじけそうな唇。どこをとってもテレビで見ていた芸能人なんかよりはるかにかわいいと思える美少女だった。


 いや、単純な美醜でいうならこのファンタジーな世界なら上には上がいる。マリエルが大好きな俺でさえ、男だけどエルフであるアリエス先生や、この後出会うこととなるアクエリアやシルヴィのほうが綺麗だとは思う。ていうかエルフ族、ダークエルフ族の造形美は異常なので、我々ヒューマン族が勝てるわけがない。奴らはまさに歩くファンタジーだからな。では、マリエルが何故あんなにかわいかったのか? と思い返してみると一番の理由はやっぱり惚れた弱みだと思う。好きな女の子は輝いて見えるアレだ。ただそれだけじゃない。あれは多分中身が美しかったんだと思う。つまり彼女の人間性が、だな。


 綺麗で、純粋で、そして強い。そりゃ彼女には冒険者としての才能はないから今でもマリエルの強さは一般人のそれだけど、そういう強さじゃない。


 とにかく芯が強い。そして、どんな時でも心がまっすぐで、そして俺とは違いとても物事をフラットな視点から見る。だから俺が困ったとき、いつもマリエルはなんでもないことのように俺を助けてくれるんだ。こんな風に。


「ねぇ、マリエル。僕が頑張るのやめるっていったらどう思う?」


「よろしいのではないでしょうか? 別にそんなに頑張らなくても」


 あっさりいわれた。頑張らなくていいと。あまりにあっさりといわれたので逆にこれだけで心の重みが少し取れたほどである。


「でもさ……せっかく色々準備もしたし、先生にも来てもらったし、もったいないじゃない」


 しどろもどろになりながら続ける。俺はこの時まともに頭を働かせていない。ただ思ったことをいっているだけである。だがそれゆえに完全な本音だった。そんな俺の本音にマリエルは微笑みながら答える。


「そうですねぇ……、ところで若様は何になりたくてあんなに毎日頑張ってらっしゃったのですか?」


 それはもちろん冒険者になるためだ。『勇者』や『魔法使い』になるためにこの世界に生まれなおして、そのために努力していたんだから。だから俺がそう素直にいうと、


「若様は冒険者におなりになりたかったのですか? 私知りませんでした」


 とびっくりされてしまう始末。そんな彼女の一言に俺は怒りがこみ上げてきた。毎日あれだけ頑張っていたのに何でずっと見ていたはずのマリエルにそれが分からないんだ! と思い、声を上げようとしたところではっとした。


 そういえば俺は今まで誰かに冒険者になりたいといったことがあっただろうか? そう思いながら『記憶の図書館』を起動しその記憶を探してみた。こういうときこのスキルは便利である。そうしたら俺がそういったのはたった一度。ブエロのおっさんとの商談の時だけだったんだ。


 それに気づいてまたはっとした。その事は同席していた爺やから父上たちには伝わっていたはずだけど、屋敷のみんなはどうだろう? そしてそもそも俺は両親にさえ、自分で俺が何の為に頑張っているのか伝えていない事に気がついて愕然とした。


 完全に自分が独りよがりの元に暴走していたのを、こんな短い会話で彼女は俺に気がつかせてくれたのだ。


 今までと違った意味で呆然としていた俺に、マリエルは少し考えた後こういった。


「若様、例えばですが料理の才能と、詩歌の才能を持った人間がいたとして、その人間が猟師として生きる事を選んだとしたら、その人間はその人でなくなるのですか?」


 混乱しながらも質問に答える。


「……ううん。その人はその人だよ」


「ですよね。若様も同じです。例え神様から与えられた才能通りに生きなくても若様は若様ではないですか。マリエルにとっては何も変わりません」


 そういってまっすぐに俺を見るマリエル。何故だかその姿がゆがんでくる。


 何故と思っていたら目からなにか熱いものが俺の頬を下っていった。泣いているのか? 俺はと思ったところで急に前が見えなくなり、それと同時に抱きしめられてしまった。


「若様……、大丈夫です。何があろうと、何になろうと、若様が私たちの大事な若様であることに変わりはございません。だからそんなに怖がらなくていいのです」


 彼女はそういうと抱きしめる腕の力を少しだけ強めた。それがきっかけになったんだと思う。


 俺は彼女の腕の中でわんわんと泣いてしまった。また子供のように。


 思えば俺は自分が死んだ時にもちゃんと泣いてなかった。


 誰かが死んだら泣くのが当たり前なのに。そして新しい世界に飛び込んだ俺は、多分この世界の全てを信じていない、いやどこかで現実じゃないと思っていたんだと思う。要するに俺は死んだことを認めずに、夢でも見ていると、ゲームの続きをしていると思い込んでいたんだと、泣きながら思い知らされた。


 そんな中でもこの時マリエルの暖かさだけは確かに現実で、その現実が自分が確かに生きていることを俺に実感させてくれた。


 そして同時に肩の荷が下りた。子供でいていいんだと、もう少し甘えていいんだと思えるようになったんだ。


 しばらくして泣き止んだ俺をマリエルはゆっくり離してくれた。


 大泣きして恥ずかしかった俺には、部屋を後にする彼女に小さな声でありがとうというのが精一杯だったんだ。我ながらヘタレなことこの上ない。


 これが俺がマリエルに助けられた最初の記憶。この後人生の節目節目に彼女がいなかったら間違いなく俺は今の俺じゃなかったと思う。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 その夜、といっても夕食の前だから夕方ぐらいの時間なんだけど俺は意を決してアリエス先生のところへ向かった。何となく今日を逃すとダメな気がしたから。何事も勢いというのが大事だと俺は思う。


 先生のところへ向かって夕暮れ時の庭を歩いていると、細く立ち上る煙が見える。


 それに向かって歩いていくと焚き火に照らされた絶世の美男子がそこにはいた。


「ほぉ……、出歩けるくらいには回復したか。思ったより早かったな。まぁいい、座れ馬鹿弟子」


 そういって俺を焚き火の前へと招く先生。あの時の事を思い出し、足がガタガタ震え、少し気持ち悪くなるが必死に押さえつけて、いわれるがまま焚き火の前に座る。


 そんな俺ににやりと薄く笑いながら先生がいう。


「屋敷の料理長殿の作る食事は文句のつけようもなくうまいのだが、毎日となるとやはり私にはつらいものがあるな。たまにはこういうものも食わねば自分がエルフ族、いや狩人であることを忘れてしまいそうになる」


 そういって焚き火に手を伸ばす先生。そこには木の枝で串刺しになったなにかの肉があった。


「昼ごろ射落とした鳥の肉だ。軽く塩をしただけだが……これがうまい」


 そういって先生はその串を一本俺の前に差し出した。


「食べるといい。たまにはこういうのも悪くなかろう」


 いわれるがままにその肉にかじりつくと、屋敷で食べるそれと違って硬いし、独特の匂いがした。だがそれは嫌な硬さでも匂いでもなく、それどころか荒々しいまでの生命を感じさせる味だった。つまり一言でまとめると何ともいえずおいしかったのだ。


 夢中で肉をかじる俺に笑みを深めた先生は自分もそれを食べ始める。


 しばらくの間、肉をかじる音、それを咀嚼する音、そして焚き火の薪がはぜる音だけが辺りに響いた。


 言葉はなかったが、それが苦にはならなかった。何故か言葉を使っていないのに、口を使って話すよりもよっぽど話をしているみたいだったから。不思議だった。多分あれが現代人がなくしたってやつなんだと思う。


 やがて先生がゆっくりと口を開く。


「さて……、何から話せばいいか……。やはり言葉というやつはこういうとき不便だな。改めて思い知らされるよ」


 そういって一度口を閉じる先生。それからおもむろに冒険者御用達のウェストポーチに手をやり、中から大人の手になら収まりそうな鞘つきの短剣を取り出した。


「持てるか?」


 そういって短剣の柄のほうを俺に向ける先生。当然足が震え、俺は今食った肉を少しもどしそうになったが、何とか踏ん張ることができた。


「……成程。恐れているのは『刃』そのものというわけか。……いいかジオ、よく聞け。しばらく私との訓練はお休みだ。但し今まで教えた基礎鍛錬、特に防御方法や足さばきなどはしっかりと毎日復習しておくように。次にあの時私がいったことを今のお前は覚えているか?」


 そういわれたのだが、俺にはとっさのことであの時がどの時か分からなかった。


 そんな俺に先生は、


「あの野外授業の折、お前を蹴りとばした後、私が貴様にいった言葉だ」


 そういわれてそれがなにか思い出した。


 冒険者たるもの常に冷静に。そして――モンスターの命を軽んじてはいけない。


 そんな俺の顔を見て小さく頷く先生。


「思い出したようだな。その意味を考えるのがこれからの貴様への宿題だ。その答えは貴様が冒険者になるにせよ、ならぬにせよ、決して無駄にはならぬ」


 先生のその一言、特に最後の部分に俺は思わず顔を上げる。


「……先生は僕が冒険者にならなくてもいいんですか?」


「あまり問題ないな。そもそも貴族の息子である貴様が冒険者になろうとすることのほうが異常といえば異常だ。私は貴様の父に「自分で自分の身を守れるように」鍛えてくれといわれただけだ。別に無理に貴様を冒険者になどしたいとも思わん」


 そういいきった先生の水色の瞳のどこにも嘘はなかった。

 

 そうしてしばらく俺の目を見つめていた先生だったが、やがて小さく笑っていった。


「もう日が沈む。さっさと屋敷に帰れ」


 そういって最後に真剣な顔と声で俺の手に先ほどの手のひらサイズの短剣を俺に持たせる先生。


「辛いだろうが、それだけは肌身離さずもっておけ。そして考えろ、何のために自分が力を振るうのか、その意味をな」


 そういうだけいうと再び焚き火に向かって腰を落ち着けながら、俺を追い払うかのように手を振るアリエス先生。


 いわれたとおりに家路を急ぐ俺の手に残されたのは、鞘に包まれた小さなナイフと、意味のよく分からない宿題。



 ――それこそが何より大事な教えだと気づかぬまま、不肖の弟子である俺はあの時を迎えることになるのだ。

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