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New World   作者: 池宮樹
ある男の回想 前世から幼年期まで
15/22

第十一話 現実はいつだって厳しい (前編)

 これはあくまでも俺の二十うん歳×二回分の人生経験からの個人的な意見なんだが、人生における面倒ごとの理由の大半は、大体が自業自得。つまり大方の場合、そいつがなんかやらかすのはそいつのせいというわけだ。それが発言にしろ、行動にしろ、選択にしろな。


 そもそも人間っていう生き物はそれほど賢い生き物ではなく、むしろ馬鹿な、そしてどうしようもなく阿呆な生き物だと思ってる。だって自分のことすら上手にコントロールできない生き物なんだから。


 俺を見てみろ、俺を。説得力がありすぎるだろうが。


 まぁ、その一例といってはなんだけど、俺があっちで生きてた当時のごくごくありふれた日本人ってやつは、心のどこかで何でもできるなんて思いながら思春期を迎え親に反抗し、そしてだいたい高校生ぐらいの歳になるとバイトだの部活の先輩との兼ね合いなどで嫌でも世の中のシビアさにふれることになり、その結果として自分が思い描いていた考えが妄想だとに気づかされ、あちらで頭を叩かれ、こちらで蹴りを入れられて、およそ物事ってやつが自分の思い通りに進むことなんてことがめったにないことだっていうのを学習する。それが人の世の常だろうし、このぐらいの時期の苦すぎる経験ってやつは大なり小なり誰にでもあると思う。


 くそ甘酸っぱい初恋で、周りがまったく見えず暴走してしまったり(そしてあえなく撃沈したり)とか、思春期な反抗期で意味もなくイライラしたあげく、どうにもならなくて親に当り散らしたり(それで親父に思いっきり頭叩かれたり)とか、何でもできるつもりのガキが初めてのバイト先で、自分の世間知らずさとアホさ加減にはじめて気づいたり(そしてそのことを思い出す都度あまりの恥ずかしさに身悶えたり)とか。理由は人それぞれだろうけどな。ちなみに俺は全部やらかした。まったくもって恥ずかしい! まったく自慢にも何にもなりやしない。あぁ、あのころの自分を殴りたい……。俺の人生、右を見ても左を見ても、二回やっても、そんなのばっかだけど。


 その後大人になり、社会に出てもそうだ。失敗、失敗、失敗の連続。それでも何とかへこたれず、周りから叩かれながらも少しずつ大人になり、やがて伴侶を得て、家庭を作り、そして老いて死んでいく。それが人間である。


 まぁ、あくまで一般論だけど。


 いまいちまとまりがないこといってるけど、つまり結局何がいいたいかというと、多くの場合、人間っていうのはお馬鹿で、たいていちょっと先のことさえ見通せなくて、――そして自分の掘った穴にはまる生き物だっていうことだ。それも意気揚々と、傍目には完全にコメディにしか見えない感じでな。


 そう。人はこの穴のことを墓穴と呼ぶ。


 そして俺という人間は他の人と比べてなお、この穴を深めに掘って、そして忘れたころにずっぽりはまるのが随分と得意な人間のようで。


 そう、それを本当に身をもって思い知ったのはこのころ。忘れたくても忘れられない八歳の時の話。


 記憶の完全保存を可能とする『記憶の図書館』なんていう大層な能力プレゼントなんてなくても、絶対に、ぜぇぇぇったいに! 忘れない、忘れられない、情けなすぎる俺の八歳の幕開けである。


 チート転生なんて絶対に望んでやるもんじゃない。そういう類の夢は一人夜な夜な妄想して楽しむものであって、それが現実に変わった瞬間、そいつは自分自身に容赦のない牙をむく。


 そんな八歳のころの話。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 というわけでまたエルトリン地方の地中海性気候的な乾季と雨季が過ぎ、毎日太陽と月をかわりばんこに眺めながら日々を重ねた俺は、めでたくまた一つ歳をとり八歳になった。


 七歳の時にアリエス先生とマリエルが俺の家にきてからというもの、一日がいろんな意味で早い早い。朝から晩まで動きっぱなし。本当に飛ぶように時間が過ぎていった。早朝から始まるアリエス先生からのしごきという名の地獄の合間を縫って、ブエロのおっさんに納品するためのポーションの調合、そして毎日くたくたになった後、寝る前に着替えとかその辺で、かいがいしく俺の世話を焼いてくれるマリエルとのふれあいという天国を味わう、そんなジェットコースターな日常。


 そういえばマリエルと面と向かってお話するのにようやく慣れ始めたのもこの時期だったな。とはいえまだ幼く背の低かった俺に目線を合わせるため、割と至近距離でかがんで話しかけてくれる彼女に心臓バクバクいいっぱなしではあったけどな。


 ちなみにいっておくと、性的な意味でのお世話とかふれあいなんてものは存在しなかったからな。俺はそこまで鬼畜じゃない。


 そんな日々を送っていた俺だが、少しづつではあるがゆっくりと物事は変化していった。


 そしてその間の努力の成果は、アリエス先生の指導内容の変化という形で徐々に現れていったのだ。


 鬼ごっこの場合なら木剣を使うようになり、それが体に触れた時点で鬼の交代となったり。ちなみに木剣同士がふれあった場合はノーカウント。


 座学の内容が単なる知識の伝授から、ケーススタディの形で実際自分がその場に立った時にどうするのか? といったより実戦的なものになっていき。例えば現実にドラゴンという最強種をいかに効率よく安全に討伐するのか? とかモンスターの集団に囲まれた時にいかに逃げおおせるか、いった感じのより実地に添った形のシミュレーションだったり。


 他にも冒険者にとって必要な心構えとは? といった観念的かつ哲学的な道徳の時間が増えてきたり。特に強調されたのが、冒険者たるもの『常に冷静であるべき』であるということ。そして『モンスターはけして人間族と相容れぬ敵ではあるが、それでもそれに相対するとき冒険者は謙虚であるべき』だということ。


 鬼ごっこの場合は、完全に動きの質を実際の戦闘のそれに近づけるためのものだったと思う。ていうかあれは既に組み手だと思うんだけどな。


 座学に関しては、先生には悪いが完全に『釈迦に説法』状態だったので、実際にはほとんど聞き流していた。幸い聞き流すだけでも『記憶の図書館』のおかげで一言一句それらは覚えていたし、あとは神妙に聞いているフリをしていればよかったからだ。だって『New World』を遊びつくしていた俺にとってその手の知識や経験的なものは、実践的なものを含めて全て前世むかしからこれでもかというほど持ち込んでいたからな。


 但しそれらはあくまでディスプレイ越しに、である。この辺の俺の認識の甘さこそ、俺がこの後ずっぽりと墓穴にはまった要因だと今なら分かる。


 最後の『冷静に』とか『モンスターとは』とかの話にいたっては、よくある大人の説教話としか思っていなかった。若いときが失敗するのは、大抵この手のことを軽視するのが原因だと、あの地獄のような就職活動で学んだはずだったのにな。


 そんな日に日に実践的になる先生の指導が一年を過ぎ、俺の訓練に対する態度に慣れではなく馴れが、先生の表情に厳しさ以外に険しさが浮かぶようになったころ、ようやく俺にその念願の時がやってきたのだ。


 それすなわち――


「ジオ、くれぐれもくれぐれも無理をするんじゃないぞ? やめるのなら今のうちなんだぞ?」


「そうよ、ジオちゃん。まだあなたは八歳なんだからね。そんなに頑張ることなんてないの。普通の子供らしくおうちで甘やかされたり、いざというとき失礼のないように貴族の方々のお名前を覚えたり、宮廷作法を習ったりしていたらいいんですからね?」


 父上はそういいながらも、俺の後ろに立ってそのやり取りを憮然としながら見ていたアリエス先生と何度もアイコンタクトを取っていた。何度も俺に意思は変わらないのかと、やめる気はないのかと、確認しながらずっと俺の手を離さない。そして母上も実に母上らしい少々ずれた心配の仕方で、父上の手の上から重ねるようにして俺の小さかった手を握り締めていた。

 

 ただ母上、それは普通とはいいませんよ? 最初のやつはともかくあと二つは絶対に普通じゃありませんので。それはあくまで貴方の、ひいては貴族様の常識です。一般常識ではありませんからね? とまぁ過去の母上のとんでも台詞に今更突っ込んでも仕方ないんだが。


 そんな感じで俺に目線を合わせるために跪いて、何度何度も気をつけるように、油断しないようにといいきかせる両親。何故そんなことになっているのかというと遡る事この日から数日前、俺の実力がついにアリエス先生の「最低限、街の外に出ても大丈夫=死なない」というお墨付きと、これ以上の訓練は実戦でという方針を打ち出したため、俺は約三年ぶりのワトリアの街の外への冒険へと出発することになったわけだ。


 そうなのだ。五歳のときにやらかしてこっぴどく叱られて以来、一度も許可が出なかったワトリアの街の外への『外出許可』。それがついに許されたのだ。そのときの俺の喜びようといったらそりゃあもう病気や骨折で長い間遊びに行けなかった小学生が、久しぶりに親から外出許可をもらって嬉々として外へと飛び出していくそのテンションと何も変わることがない。まぁ勿論、護衛兼指導役兼監視役の先生付きではあったのだが、そんなことより再びの冒険への旅立ちの許可に、俺の八歳児相応だった小さな胸は興奮のし過ぎで張り裂けんばかりで。


 MMORPGプレイヤーにとってレベル上げというのは、もはや習性に近いのである。本能だと言い換えてもいいな。犬がそこらじゅうにマーキングしたり、猫が家の柱を使って爪をガリガリしたりするのと一緒。それが解禁となる喜びは何と表現してよいやら。まぁそんな感じなわけで。


 つまり俺が、中身いくつになろうが(ちなみにこの時点で俺はトータル三十二歳だった)ガキのまんまという証明が、ここで為されたわけである。よくある子供の体に引っ張られたから、な~んてご都合主義な言い訳なんて出来はしない。三十云歳相応の理性を地平線の彼方までぶっとばして浮かれまくってたのを、ちゃんと憶えてるからな、俺。


 そんな俺の浮かれきったアホさ加減を心配したマリエルが、俺の冒険禁止の解禁を聞いたその日から「若様、危ない事はしてはなりません」という、モンスター討伐という危険に自ら飛び込むにもかかわらずある意味ナンセンスなことを、必死な顔で俺に言い聞かせてくれていたのだが、アホ全開だった俺は当然真剣にそれに取り合うことなどせず、必死で何かを俺に伝えようとするマリエルもかわいいな、なんてことを考えながらその日を迎えた。


 アホである。まったくもってフラグとしかいいようがない。


 そして冒頭の両親とのふれあいに戻るわけで。そしてそんな心配性で子煩悩かつ、元一流冒険者だった父上は初陣(実際は二度目だが)を飾る俺に、最高の、ある意味俺の今までの努力を全てふいにする、プレゼントを用意してくれていた。


 『トネリコスタッフ』と『マジックコットンローブセット』――ともにEグレード最高の性能を誇る魔法職の装備であった。


 これらを買うために、俺が六歳になるころからこつこつとポーションを作っては売っていたのは前にはいったとおりで、うれしいやらやるせないやらで俺は引きつった笑顔で父上たちからのプレゼントを受け取って装備した。


 とたんに全身に力がみなぎった。『トネリコスタッフ』と今まで使っていた『見習いメイジのワンド』の魔法攻撃力の差は25。さらに『マジックコットンローブセット』は、あくまで初期装備に比べての話であるが、当然その物理防御力は戦士系初期装備をはるかに上回っていたし、セット装備効果により『MP回復力+3%』と『移動力+3%』のボーナスまでついていた。


 単純にいうと装備面だけ見ればワトリアで死ぬほうが難しい状態になったわけである。このようにグレード最強装備の恩恵はかくもすごいものなのだ。

 

 これで心のどこかにあった小さな、だが大事な不安感、もどこかにいってしまい俺は意気揚々とアリエス先生と屋敷を飛び出した。そんな浮かれまくった俺に、心配そうに視線を向ける両親や屋敷の使用人さんみんなの視線に気づきもせずに。


 さて、ここで少し唐突だが、俺がもらったチートスキルの一つを紹介しておこうと思う。じゃないとこの先の展開がよく理解できないと思うから。


 パッシヴスキル『トラウマブレイカー』――克服したトラウマによる心身へのマイナス補正を無効化する。


 これは言わずもがな俺が幼女様にお願いした最後のアレを元にしたチートスキルだ。「女性に対して苦手意識を持たないようにしてくれ」ってアレな。そしてこの時点で克服済みだったトラウマは、最初からのデフォルトであった『女性に対するトラウマ』のみだったことを付け加えておこう。


 察しのいいやつはこの辺で気づくと思う。そしてありがとう、幼女様。あなたの勘違いというか、拡大解釈がなきゃ俺は今頃引きこもり確定でした。



◇◆◇◆◇◆◇◆


「いっけえぇぇ!」


 そんな景気のいい叫び声をあげながら、俺は十メートルほど離れた場所にいる不細工面のモンスター、ウェアラットに向かって俺は父上からもらったばかりのトネリコスタッフを構えて『ファイヤーボール』のスキルを行使した。


 一瞬の間(これをゲーム用語でタイムラグ、もしくはラグという)があってから杖先に現れたバスケットボールほどの炎の玉が、標的であるウェアラットへと向かって飛んでいき、そして丸焼けにしていく。次から次へ、傍目には狂ったように見えたかもしれない。


 比較的近い感覚のものとなると、おそらくゲームセンターには付きもののガンゲームだろうか? 最高にうまくいってパーフェクトに出てくる的を次々にうち抜いていくあれが、おそらく一番近いと思う。


 楽しいだろ? それが何にせよ『一方的』とか『完璧』とかさ。


 その爽快感たるや、五歳のときにもいった覚えがあるが最高である。自分自身が魔法という不可思議な力を使うことができる事実がもたらす満足感と万能感が、『ファイヤーボール』の行使のたびに俺の脳髄を甘く痺れさせた。全身の末梢神経を侵していく様な甘美な感覚――あれははまる。恐ろしいほどにはまる。

 

 俺は当然そんなものやったことなんてないけど、いわゆるドラッグによる快楽ってやつはアレに限りなく近いものなんじゃないかと思っているほどだ。実体験した俺がいうんだから間違いない。アレは危険だ。前世の近未来においてVRMMORPGなんてものが本当に出来たのなら、現実の三次元世界の住人から仮想現実の冒険の世界へと籍を移す奴が後を絶たなくなるのはおそらく間違いない。当然そいつらはその甘い夢から抜け出すことなどできず、ほぼ全員ネット用語のそれではなく原意通りの廃人決定だろうな。

 

 まぁ『中二病』ってよくいうけど、もっと昔から使われている言葉に直せば、それは『英雄願望』になるだろうと俺は思う。神話の昔から人間を甘く酔わせるその言葉のあまりの甘さに俺はその時我を忘れていたわけだ。


 要するに理性のたがを完全に完全に外した大バカ者になっていた。


 それをその時おそらく冷静、いや冷徹な目で見ていただろうアリエス先生なのだが、実は内心安心していたそうだ。独り立ちしてから数年後お酒の相手をしながら聞いた話なんだけど。


 その時初めて俺が普通の冒険者がよくやる失敗をやらかしたことで、ようやく俺にも普通の人間らしいところがあったのだとほっと胸をなでおろした、とかすごいヒドイことを、その日から三日ほど二日酔いで身動きが取れなくなるほど飲まされながらいわれたんだよな。そう思っていたんならあれだけ徹底してやるなよといいたかったが、俺は未だに先生に頭が一ミリたりとも上がらない。


 ちなみに先生はザルを通り越して底の抜けた樽である。普通それはドワーフにこそ相応しい特徴だと思うが、そんなこといったらリアルに殺されかねないのでいったことはないけどな。


 そんなわけでこの後何がまっているかも知らず、次から次へとウェアラットを見つけては『ファイヤーボール』、ウェアラットを見つけては『ファイヤーボール』の繰り返しであっという間にレベルが5になったころ、さすがにMPが空になった俺は、その場にへたり込みながら最高の充実感とともに空を見上げた。


 雲ひとつない抜けるような青空。


 そうして無防備に地面に転がっている俺に、それまでは何一ついわずに静かに見ていたアリエス先生が近づいてきて、そして――思いっきり頭を蹴り飛ばされた。


 いや、当時の俺は思い切りだと思ったが、実際には完璧に細心の注意を払って手加減された一発だったに違いない。じゃないとさすがに俺はあの一撃で死んでいる=人生初の神殿行きだったはずだから。Aグレード戦士職というのは伊達じゃないのである。


 そしてそんな突然の事態に目を白黒させる俺を、絶対零度の視線で見下ろすアリエス先生がいった。


「さっさと立て、この愚か者が。貴様はこの一年どうやら私から何も学ばなかったようだな」


 そういって再度俺に襲い掛かるアリエス先生の蹴りを、俺は避けることができなかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 雲ひとつない空に燦燦と輝く太陽の光りを浴びて、赤い燐光を放つ革鎧に身を包んだ白い悪魔が俺に迫る。


「一歩街という安全地帯から出たなら一瞬たりとも油断してはいけない。そう私はお前に教えなかったか?」


 そういいながら一瞬で十メートルを超える距離を詰め、三発目の蹴りを俺に入れてくるアリエス先生。そのレベル一桁には重すぎるダメージに目の前が真っ赤になった。当然俺は突然の出来事に混乱中。その中でも先生は追撃の手を緩めなかった。当然だ。『鉄は熱いうちに打て』、鉄則である。


「それに貴様。MPを使い切ったな、この大馬鹿者が。それでいざというときどうやって突然襲ってくる非常事態に対応するつもりだ。『冒険者たるもの常に冷静に』、そう何度も教えたはずだが?」


 そういいながら止めとばかりに俺の頭を踏み潰さんと迫る一撃を何とか横に転がりながらかわした俺を、容赦のないサッカーボールキックの追撃が襲う。


 弧を描いて宙を舞う俺。小さかったから我ながらよく飛び、その後再び地面とのキスである。


 この時点で俺のHPは三分の一を切り、レッドゾーンへ。しかし未だ混乱している俺には事態の把握などできやしない。


 そこでようやく攻撃の手を休めた先生は、俺へと『超高級回復ポーション』を投げてあごをしゃくる。


「さっさとそれを飲んで立ち上がれ、この馬鹿弟子。この数日の浮かれきった貴様の様子を見ていて、やるのではないかと思っていたら案の定この様か。呆れてものもいえん」


 そこまでいって一度言葉を切り、とんでもない殺気、Aグレード冒険者という超一流の戦士のそれ――とともに俺を睨みつけながら先生は続けた。


「貴様のように相手の吐く息も感じず、その返り血も浴びることのない距離で戦えるものたちにとって、相対するモンスターたちが、射的の的か何かのように思えるのだろうな」


 変わらずに空は青く、太陽は明るいのに、その時の俺には何故だか吹雪が吹き荒れているかのように感じられた。足が震えて、とてもではないが立ってなどいられない。


「だが違う。断じて違う。彼らは確かに闇の神々に属するものではあるが、だからといってその命は決して軽んじてよいわけではない。私は何度もいったはずだ、『彼らは冒険者の快楽の為に存在するのではない』とな。それにもかかわらず……貴様は何をやった? この私の目の前で」


 突然の暴力に抗議することはおろか、反論一つできずに呆然としながらいわれたとおりにポーションを飲むことしかできない俺に先生はいつもの授業の続きとばかりにまくし立てた。


「いつまで呆けているつもりだ。ここは『戦場』だ! 子供の遊び場ではない! 死にたいのか、この愚か者!」


 その声とともに再び迫る先生の蹴りを何とかかわしながら立ち上がる俺。何とかいわれた通りポーションは飲みほしたが、膝がガタガタ震えているし、いつの間にか顔は泥と涙とよだれまみれだった。


 ゆっくりと俺に近づくアリエス先生。蛇に睨まれた蛙のように微動だにできない俺。そうして俺の目の前まできた先生は腰の付けたポーチから一本の刃物を取り出した。


 それはEグレード最強の短剣である『スチールダガー』、その刀身は鈍く光り、俺に何かを思い出させた。


 それは思い出してはいけない何か。深く深く記憶の海の中に沈めたはずの何かだった。


 その何かは俺に更なる恐怖をもたらした。膝が勝手に今まで以上に暴れだす。歯がうまくかみ合わず、ガチガチと鳴る音が止まらない。そんな俺に先生はその鈍色の凶器を、がちがちに固まった両手を力ずくで開いて、そして無理やり握らせた。


「ジオ、私の眼を見ろ。貴様が私の弟子である以上、貴様が独り立ちするまでは貴様の生殺与奪の権はこの私にある。これは貴様の父であるフィリップも承知のことだ。であるが以上、いかなるモンスターも己の快楽の為に殺戮するなどこの私が断じて許さん」


 いわれるがまま先生の眼を見る。その水色の瞳がまるで永久氷河を思わせて、さらに俺の震えがひどくなる。


「モンスターであろうが、他の禽獣であろうが、生き物を殺すということ、その罪深さと恐怖を正しく学べ。それが冒険者への本当の第一歩だ」


 そういって先生は、完全に固まってしまった俺の背中をドンと押して、無理やりにウェアラットの前に突き出した。目の前にいたそいつは、つい先ほどまで文字通り乱獲して雑魚極まりないと思っていたウェアラットたちと、とてもではないが同じものだとは思えなかった。


 もっと何か別の、はるかにレベルの高い恐ろしい何か。そうその時の俺には見えた。


 それでも催眠術にかかったかのように、俺は全身を震わせながらもそいつへと突進した。大声をあげて、泣きながら。


「うわあああああああああああああああああああああぁぁぁぁ!!」


 ズブリという何ともいえない嫌な手ごたえが、末梢神経から逆に俺の全身を侵していく感覚。それは先ほどまでの快楽そのもののそれではなく、この世で一番忌まわしいもの――命を奪う感覚のそれであり、それは同時に前世むかしの最後の場面において、俺自身が味あわされたであろうものであった。


 あの時の場面がフラッシュバックして蘇る。遠くに高笑いをする女の声さえ聞こえた気がした。


 そして忘れていた、いや無意識に封印していた忌まわしい過去が次々に俺へと襲い掛かり、そして――


「嫌だああああああああああああああああああああああああぁぁぁ!!」


 そう叫んだ後の記憶が、今も俺にはない。


 これが苦すぎる八歳の最初の思い出、戦いを隣人とする異世界に安易に転生した俺が味わった苦すぎる現実である。

ご意見、ご感想、誤字脱字の指摘など幅広くお待ちしております。


但し週末実家ですので、返信は早くて日曜深夜です。ご了承ください。



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