第七話 春風は出会いを運ぶ 前編 (改稿版)
日本人にとって春はことさら大事な季節だと思う。楽しいイベントごとも多いし、なにより色んなことの始まりを感じさせる季節だから。だから春と聞いて連想するのはそういう言葉ばっかりだよな。『桜』に『お花見』、『入学式』に『新成人』、他色々。
もちろん元日本人の端くれ、俺だって春は大好きだ。特にあの特有の穏やかな日差しとやわらかな風でついうとうとと眠たくなってしまうのがなんともいえなかったりする。まさに『春眠暁を覚えず』、昔の人はうまいこというね。
だけど今の俺は前世とは比較にならないほど春が好きだ。いっそ愛しているといったっていい。
だって春は出会いの季節。俺と彼女が出会った季節だから。『風の踊り手』に手を引かれた『運命の女』が初めて俺のところにやってきた季節なのだから。
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ブエロのおっさんとの一件から長くて暑い乾季の夏とすべてが移り変わる秋、そしてわずかな時を惜しむように降る雨季の冬を越え、俺はいつのまにか七歳になっていた。その間というもの俺は食事と睡眠、そして運動と母上とのふれあい以外の全ての時間を、まるで大学時代に戻ったかのように実験室、もとい調合室に篭ってひたすら納品する為に必要なポーションを生産し続けた。
地獄のような缶詰生活……なんてとんでもない。俺のような実験バカにとっては夢のような至福の時間だったわけで。一部の理系なんてそんなもんだ。大学時代の友人にはほとんど下宿先にも帰らず半ば実験室を住処にしてたやつすらいた。俺はまだましなほうさ。
まぁそんな穴熊生活の結果なんだが……金が貯まった。予想を遥かに超えて。だって1年かからず純利益で約十万G。円換算だと……、約一千万。
一年かけずほぼ自力で一千万円稼ぐ七歳児。我ながら笑えない。
まぁその予想を超えた収入のおかげで、色々と具体的な将来に対する布石を考えられるようになったのは大きかった。何をするにも目標から逆算して具体的な計画を立てるためにはどうしてもどこかでまとまったものが必要になるからな。
とにかくMMORPGというやつは、現実と同じで金がモノをいう世界なのだ。
特にそれが顕著に出るのが装備である。『New World』ではレベルによって装備に制限がかかるグレード制を採用しておりそれはこちらでも当然有効だった。
具体的にはレベル1~19が最弱のEグレード。20~39がDグレード。後はレベル10毎にC、B、A、Sと上がっていく。当然同じグレードでも強い武器、弱い武器があって、グレード最弱と最強の間にはかなりの差がある。例えばEグレード最弱片手剣『見習いのショートソード』とEグレード最強の『スチールロングソード』では、攻撃力が『30』違う。この『30』という数字はかなり絶望的な数字で、どのくらい変わるかというとリアルに木刀と真剣ぐらいの差が出ると思ってもらえれば、何とか分かってもらえるかもしれないな。
つまり装備は自分のレベルが上がって上のグレードが開放されたら、すぐにその新しいグレード最強の装備を用意するのが望ましいわけである。
……できないんだけどね、普通は。そんな事ができるのはセカンドキャラを育てている人か、上級者にアイテムや金を融通してもらえた人、そしてMMORPGの世界で最も忌み嫌われる行為のひとつであるRMTをやらかした奴だけ。簡単にRMTに関して説明しておくと、一言で言えば『ゲーム内のお金を現実のお金で買う行為』である。RMTについては話すと長くなるのでこれくらいで。ただ一つだけ付け加えるならRMTはやばい筋のマネーロンダリングなんかにも利用されていたりするので安易に手を出していいもんじゃない。犯罪の片棒を担ぐ事になるし、それにやっぱり遊び(ゲーム)なんだから金策は自力でやってちゃんと苦労しないとな。
というわけで『RMT。ダメ。絶対。』
とまぁそれはさておき逆説的にいうと現金ぶち込んでまでやる奴がいるくらいだから、グレード最強装備の恩恵というやつはでかい。でかすぎるといっていい。だからこそ俺は他の人間からみたら急ぎすぎとしか思えない六歳というあのタイミングでの金策に走ったんだからな。
いい物は高い。これは不変の真理である。Eグレード装備を防具も含めて一通り揃えるのに必要な額はおよそ六万G。日本円換算だと約六百万円。これが金儲けを考えたそもそもの理由だ。
まぁ一応俺は貴族の子供だったからそれくらいは出してもらえたのかもしれない。というか多分出してもらえたと思う。ただそれは俺的に嫌だった。当時の俺のどうにも青臭い独立心は「自分のものは自分でなんとかする!」とかいう考えとなり、俺に変な意地を張らせたのだ。
……そのくせ父上の薬草園をあてにして金儲けしてたあたりが俺のバカな所。こういう時期ってのは誰にでもあるらしいけど。
それでも俺は自分の予想よりも遥かに早い段階で当初の目標を達成した。
そんなわけでこの頃の俺はその小さな達成感の中で毎日を楽しく、そしてゆるゆると生きていた。有体にいえば油断してた。割と何もかもうまくいっている感じがそうさせたんだと思う。
そしてそんな俺の冬眠した熊のそれにも似た生活もついに終わりを告げることとなる。
春は出会いの季節であるだけじゃない。変化の季節でもあるってことだよな。
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「若様、旦那様がお呼びでございます」
その日もカーテンまで締め切った室内で火を使っているためどうにも蒸し暑い調合室に朝から篭っていた俺を呼ぶドア越しの爺やの声。
集中状態で不意をつかれた形となり軽くビックリしながら俺は顔を上げた。父上が帰ってきたということはもう夜なのか? と思いカーテンに覆われた窓に目を向けると、カーテンの隙間からは陽の光がこぼれていた。つまりまだまだ昼間だということである。またこの前のようにまったく気づかないまま夜まで作業に没入していたのではないと分かりほっと小さく息を吐いた後、今度は別の疑問が頭に浮かんだ。
本来この時間ならば当然ワトリアの街中にあるギルドで仕事中のはずの父上がわざわざ帰宅してまで俺に用とは何だろう? と思いながらも爺やに返事を返した。
「は~い、爺や。少し待って。片付けてからいくから」
そういって煮詰めていたポーションを火から下ろし、後始末をはじめる。
この頃になると俺のポーション作りはもはやただの仕事ではなく、趣味ですらなく、習慣となっていた。
何故だかポーションを調合してると落ち着くんだよ、俺。だから気分転換に最適なわけで。人それぞれ違うけど誰にでもあるよな、こういう習慣って。小さな癖レベルだと髪の毛や体のどこかを触るとか。ちょっと変わったとこだと何かあると急に掃除をしてみたり、運動したり、料理をしたりする人なんかもいて、本当に人間って千差万別だと思う。俺の場合はそれがポーション作りなわけだ。我ながら実益を兼ねた素晴らしい習慣だと思う。
まぁそんな話は置いといて、俺は時間にして五分ほどで後始末を終え、調合室のドアノブを足台に乗っかりながら回した。七歳児にはいささかあの部屋のドアノブの位置は高かったからな。
そうやって数時間ぶりに開いたドアの先、直射日光の当たらない廊下の空気はひんやりとしており、暑い調合室から出てきたばかりの俺の熱くなった体を心地よく冷ました。
お気に入りの黒い麻の上下は目が粗く非常に涼しいので、こういう時には少し肌寒く感じることもあるくらいなのだが、今日は非常に気持ちがいい。春になり日増しにあったかくなっていたせいだな。
ひとしきり火照った体が冷えたところで、俺がただつっ立っていたのを待っていてくれた爺やと目を合わせる。
「ごめんね爺や、お待たせ。じゃあ行こうか」
俺がそう言うと微笑みながら小さく頷いた爺や。そのまま何も言わずに俺の後ろに付いてくる。
俺の実家ははばかりながら一応貴族の邸宅なので広い。正直かなり広い。30LDKくらいあるからな、多分。住宅事情に悩む現代日本人に泣きながら殴られそうな大邸宅なんだよ。そんな無意味に広い屋敷の中でも俺が直前までいた調合室は、臭いや危険性の問題から生活や社交の場である本館ではなく、渡り廊下でつながれた離れにあったためそこまで歩くとなるとこの頃の俺の歩幅では結構な時間がかかった。
故に考える時間が少しあったのだが、この時の俺には『わざわざ仕事中の父上が帰宅してまで俺に何の用が?』ということに答えが出せなかったので、素直に知ってそうな人に、つまり俺の後ろを歩く初老の紳士に聞いてみた。
「爺や。父上は俺に何の用? お仕事は?」
「若様、いつも申し上げますが『俺』はいけませんよ。若様ももう少し大きくなられれば色々と社交の場へと出られる機会も出てまいりますからな。さて、旦那様のお呼び出しの理由でしたな。何でも若様にお引き合わせしたい方がお越しということで急遽お帰りになられたそうでございます」
爺やのいつものお説教に小さくはぁいと謝ってから、そこで得られた情報に返って違和感を感じた。
基本当時の俺は一言で言えば『引きこもり健康優良児』だったといえる。何しろ極力『外には出さない』、『知らない人には近づけない』ってのがこの時までの両親の基本スタンスだったから。まぁ『健康優良児』って部分はわざわざ外に出なくても屋敷の敷地だけで運動や外遊びするのには充分すぎるほどだったから問題なかったんだよな。何せ自宅の庭に小さな森まであるんだから。
というわけで身内とごく身近な親戚、そして屋敷の人間を除いた大人で俺があったことがあるのは、実はこの時点においてあのブエロのおっさんだけだったりする。あぁ、後は例の『七五三』の時の神官さんたちくらいか。
……今思えばその不自然さについて大して深く考えもしなかった当時の俺のアホさ加減はいかんともしがたいな。
それはさておき、それ以外でも外に出るときには必ず冬でも大きなひさしの付いた帽子をかぶらされて他の人からはほとんど顔はみられたりしてなかったし、さらに外出時は必ず両親か爺やが付き添っていた。
それを俺は『俺も一応貴族の子供だからな~』とか気軽に考えていた。だって誘拐対策かと思うじゃん、普通なら。まぁ50%は正解だったんだけどねぇ。
……知ってればいろいろ対処も出来たのにと思う。後の祭りでこの認識の甘さが後にめんどくさいことを引き起こすんだよ。俺の人生そんなのばっか。
そんなわけで父上が俺を客人に紹介するというのはある意味異例中の異例な事だったわけだ。
その異例中の異例が何故急に? という答えが出ぬままやがて俺は応接室のオーク材でできた応接間の扉の前にたどり着いた。
「失礼します、父上参りました」
そういって扉を開いた時から俺の人生のスピードはさらに大きく上がった。鈍行列車から特急へと。まったく突然の出来事からは逃げられないのが人生だ、良くも悪くもな。
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「おお、来たかジオ。こっちに来なさい」
そういって応接室中央にしつらえられた大きなソファから立ち上がり、俺に低音の効いたやさしげな声をかけたこのブロンドの髪と鳶色の瞳をもつ見た目三十代前半にしかみえないちょっとイケてるお兄さんこそ、何を隠そう俺の今生の父であるフィリップ・パラケルスス・ラ・テオフラストゥスである。
とりあえず見た感じかなり若い、でも妙に貫禄があるそんな人。何が違うって眼が違う。ありがちな例えになるが、その鋭さはさながら猛禽類のそれのようである。まぁ俺を見るときは基本デレデレに目じりが下がってるんだけどね。溺愛されてたからなぁ、俺。
そしてこの我が父。この時点で実年齢が実は五十の大台をいくつか超えていた。見た目どう見ても三十代前半の切れ味鋭い助教授といった感じにしか見えなかったんだけど。五十歳といえば、普通なら髪に白髪が多くなり始めるような初老に差し掛かった年齢のはずが、である。それがこの世界のおかしな、そして面白いところ。
なんでかっていうと『New World』に限らず、MMORPG内のアバターは『絶対に歳をとらない』。
つまり『冒険者は現役の間は加齢が全盛期のそれで止まる』のである。
……なんというでたらめ。なんというご都合主義。さすが『MMORPGゲームの設定を下敷きにした世界』である、と俺が最初に呆れながら納得させられたのがこの事実。だってどう考えても現実の三時間がおおよそゲーム内での一日だったにもかかわらず、アバターの姿は誰も姿かたちが変わらないんだからそうもなろうというものである。だったらNPCはどうなんだよ! と突っ込まれそうだがそれはそれ、ということらしい。ご都合主義恐るべし。
まぁとにもかくにもそんなご都合主義によって外見三十代の若々しさ、中身五十代の渋みを持った我が父上が誕生したわけだ。
ちなみにうちの父上は俺も含めた世の男性諸君の敵である。何故なら母上と結婚した当時、父上は四十一歳、そして母上十八歳。実に歳の差二十三歳の美少女を娶ったとんでもないリア充親父だからな。
……正直実年齢知ったときには、心の中で「呪われろ! このロリコン!」と強烈な呪詛の念を送り、その三秒後にそのロリコン親父の血が確実に自分の体に流れている事に気づき、軽く絶望したりもしたけど。
そんなことを考えながらふと視線を横にずらした。貴族の応接間に相応しい精緻な彫りの対面式の長椅子には誰も座っておらず、その空間はぽっかりと開いていた。
それを不審に感じた俺が疑問の言葉をあげようとしたその瞬間――
「ほぉ、君がフィリーの息子か。ふむ……小さいな。いや、ヒューマンの七歳ならこれが普通か?」
……え? 何で後ろ? いつのまに背後を取られた? ていうか誰? と何故か自分の背後、しかも肌が触れ合うほど近くから聞こえたその冷えた声に、俺は文字通り背中に氷をぶち込まれたかと思った。その冷たさは先ほどまでの心地よく火照りを覚ましていた時のそれとは対照的に、背中から、いや全身から一気に嫌な汗が、冷や汗が滝のように流れ落ちている気がした。
そんな完全フリーズ状態の俺を尻目に、父上の実に能天気な声が俺の耳をうつ。
「ジオ、後ろを向いてご挨拶しなさい。今日からお前に護身術を教えてくれる私の古い友人、アリエス・イナ・サラシアス殿だ」
父上のその言葉に従って恐る恐る振り向いた俺が、そこで見たものは――
うっすらと、本当にうっすらとだけ片頬をあげて笑いながら俺を見下ろす男。まるで白磁で出来た精巧な彫刻のような顔立ちと長くてとがった耳を持つ、そして前世と現世を通じて生まれてはじめて見た憧れのファンタジー世界の住人、エルフ族の姿だった。
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