私の悩みは死ねないことだった
私の悩みは死ねないことだった。
こう言うと、精神的な問題が原因だと思われるだろうか。「本当は死にたくないんだろ?」と聞かれた回数は、十を超えた辺りから数えるのをやめた。別に私は病んでいるわけでも、構って欲しいわけでもなかった。単純に事実を述べているだけなのだ。
私は不死の肉体を持っている。
始めにその体質が分かったのは、六歳の頃の事故だった。私はあのとき、父が運転する軽自動車の後部座席に座っていた。母は助手席でフロントミラーを見つめ、何かを気にするように前髪を弄っていた。私はあくびをしながら、流れゆく高速道路のフェンスを眺め、その上に架空のヒーローを走らせていた。
……次の瞬間。
何か一つ、甲高い叫び声があった。その後の記憶は、病室で目覚めるまで途絶えている。声の主は母だったか、それとも父だったか、まあどちらでもいい。事実として、私たちの車は逆走する軽トラックに衝突した。二人はぐちゃぐちゃになり、私はぐちゃぐちゃになってから再生したらしい。デリカシーのない医者にそう言われたが、六歳の頭では受け入れがたい真実だった。
それから私は知らないおばさんの元に預けられた。父母には親戚もいたはずだが、なぜか自然と彼女の家に居たのである。今思えば、彼女は政府関係者か何かで、私の管理役も兼ねていたのだろう。まあ、面倒を見てくれたことには感謝している。育ての親に文句は言うまい。
そんな環境だったものだから、「死」という概念に対して歪んだ価値観を抱いていた。小学二年の頃だったか、一度だけ死のうとしたのだ。台所から包丁を持ちだし、左胸を一思いに刺してみた。自由研究でもするような感覚だった。じんわりとした熱の後、鋭い痛みが胸の底を殴りつける。血が泉のように湧き出してくる。私の意識は泥に沈むように薄れ、最後に、父母の背中が浮かんで見えた。
しかし、死ねなかった。
私は病室にて跳ね起き、自分の胸を思わずさすった。そこには傷一つなかった。ただ、泣き腫らしたおばさんのビンタの痛みで、あれが夢でないことを悟っていた。
……私は死ねない。でも、私の両親は死んでしまった。ならば「死」の価値は、私と私以外で別物なのか? そうだとしたなら、私と私以外は、別の生き物と言って差し支えないのか?
私の体質に関する情報は誰にも言わなかったし、おばさんも言わないでいてくれた。彼女の動機は知らないが、それは非常に心強い選択だった。同級生と動物園に行ったときに実感したのだ。一歩違えば私も、彼らとの間を鉄格子で遮られていたのでは……そう思えていた。
やがて高校卒業を目前に控え、私は軍関係者を名乗る男からスカウトを受けた。おそらくは肉の熟成時期を見極めるように、私の体質が明らかになった瞬間から、ずっと機をうかがっていたのだろう。だが、悪い気はしなかった。どうせこのままサラリーマンや教師になったとて、「死ねないサラリーマン」「死ねない教師」なんて不気味なだけだ。だったら、死ねないことに意味を作りたかった。「死ねない軍人」はピッタリだと思った。
実際、軍での仕事は合理的だった。
地雷原の確認では、私がちょっとランニングするだけで事は済んだ。毒物の人体影響調査では、私が苦しむだけで大勢の命が救われたらしい。任務後には時々、上官が申し訳なさそうに酒を奢ってくれた。普通の人間なら命が足りない仕事を、私は何度でもやれた。
死ぬたびに私は戻ってきた。
焼けても、撃たれても、爆ぜても。
気づけば病室のベッドに寝かされている。
軍の医者は、私の体を「再構築型自己修復体」と呼んだ。私はその言葉を覚える気にならなかった。単純に「死ねない」だけで十分だ。
そうして時は過ぎ、やがて大戦が始まった。新聞やテレビは世界の終わりのように騒ぎ立てたが、人類史を俯瞰すれば当然の流れだった。凪と波が繰り返されるように、戦争と平和はシフト制で回っている。当然、国民として止める努力はした。だが、私は死ねないだけの一般人に過ぎなかった。
我が国は地続きの隣国と戦争を始め、私は最前線へと送られた。どんなに技術が進歩しようと、結局は人同士の殺し合いが必要らしかった。
私の役割は、いわゆる「肉の盾」だった。
戦略も戦術もない。私が敵陣に向かって真っ直ぐ歩き、降り注ぐ弾をその身に受ける。敵が「なぜ倒れないのか」と恐怖し、弾切れを起こして狼狽えるその瞬間に、後ろに控えた味方が引き金を引く。実に効率的で、吐き気がするほど理にかなった作戦だ。
何度、内臓をぶち撒けただろうか。
何度、頭を吹き飛ばされただろうか。
そのたびに私は、泥水の中で目を開け、新築の家のような肌を再生させて立ち上がる。服はボロボロだが、中身は新品。それが私という製品の仕様だった。
ある日の行軍中、私は一人の敵兵と対峙した。
ぬかるみに足を取られた彼は、まだ少年と言っていい幼さだった。彼は震える手で銃を構え、私の胸に三発、正確に弾丸を撃ち込んだ。熱い鉄の塊が肺を焼き、視界が赤く染まる。私は膝をつき、どろりと溢れる血を眺めながら、いつものように「死」を待った。
だが、彼は逃げなかった。
普通なら、死体を確認するか、あるいは恐怖で逃げ出すはずだ。しかし彼は、涙を流しながら私の元へ駆け寄り、あろうことか止血を始めたのだ。
「しっかりしろ! 今、助けてやるから!」
敵国の言葉だったが、意味は通じた。彼は自分の包帯を取り出し、胸の穴へ必死に押し当てる。私は可笑しくてたまらなかった。これは君が撃ったんだぞ。それに、そんな無駄なことをしなくても、私は勝手に治るんだ。
私は彼を突き飛ばそうとして、止めた。彼の手から伝わる必死な体温。それは、軍医が私を見る視線や、上官が向けてくる負い目のような気遣いではなかった。
人間が、死にゆく他人を救おうとする。
ひどく純粋な祈りだった。
「……無駄だよ」
私が遺言を呟くと、彼は目を見開いた。その瞬間、私の傷口がシュルシュルと音を立てて塞がり、弾丸を体外へと押し出した。カラン、と地面に落ちた鉛の音が、曇天へ不気味に響く。
少年兵は腰を抜かし、尻餅をついた。
その目は悪魔でも見るかのようだった。
「……もうじき仲間が来る。逃げろ」
私は立ち上がり、彼の首根っこを掴んで、戦線の外へと放り投げた。彼は何度も振り返りながら、脱兎のごとく去っていった。
その夜、私は考えた。これまで私は、自分の命を「無限に湧くコイン」のように使ってきた。一枚使っても、財布の中にはまた一枚戻ってくる。だから、支払うことに痛みを感じなかった。一枚ぽっちの価値なんてないに等しかった。
しかし、あの少年にとって、命は「たった一枚の金貨」なのだ。それを失わないために、彼は泣き、叫び、私のような化け物にすら手を差し伸べた。それは彼に限らないことなんだろう。人間同士では言う必要すらない、当たり前の認識なんだろう。
やがて戦争は我が国の勝ちで終わった。それでも国土は荒廃し、私は軍を去るほかなかった。「再構築型自己修復体」のデータは、平和な時代には持て余す劇薬だったのだろう。あるいは、他に都合のいい実験体が見つかったんだろうか。ともかく、私は多額の年金と、偽造された新しい戸籍を与えられ、社会へと放り出された。
そうして私は、海沿いの小さな町で郵便配達員を始めた。かつて地雷原を走った脚で、誰かの手紙を届けるために坂道を登るのだ。その仕事は私の性分に合っているようだった。一通の手紙を届けるために、一歩ずつ地面を踏みしめる。地道な努力は嫌いじゃなかった。
そんな中、春の陽気がまどろむ午後のこと。見通しの悪い交差点で、一台の自家用車が飛び出してきた。鈍い衝撃音とともに、私の体はアスファルトを転がった。
「……あぁ、またか」
頭の芯で冷静な自分が呟く。視界の端で、配達バッグからこぼれたハガキが、蝶のように舞っている。右足に焼けるような激痛が走った。見れば、すねの骨が不自然な方向に曲がっている。複雑骨折だろう。
「大丈夫ですか!? すみません、わっ、私……!」
運転席から駆け寄ってきたのは、私と同年代の女性だった。顔を真っ青にし、人を殺したかのように震えている。私は思わず笑いそうになった。
……一度、終わらせるか。
私は彼女の目を盗み、隠し持っていた配達用のカッターナイフに手を伸ばした。頸動脈を一突きすればいい。彼女が救急車を呼んでいる間に死に、「奇跡的に無傷で済んだ男」として起き上がれば、全ては丸く収まる。
だが、刃を押し出した瞬間、私は止まった。
彼女の顔があまりに必死だったからだ。涙を溜めた瞳で私の脚を見つめ、謝罪の言葉を壊れたレコードのように繰り返している。その怯え、後悔、体温。あの日の彼の姿が重なった。
ここで私が死ねば、私の脚は治る……が。
「……大丈夫ですよ。大したことはない」
私はカッターを仕舞い、無理に笑ってみせた。死んでリセットすることを選ばなかったのは、生まれて初めてのことだった。
一週間後、私は町の小さな病院のベッドにいた。右脚はギプスで固められ、ぶらんと吊るされている。軍の医者が聞けば失笑するだろう。死ねば一瞬で治る傷を、わざわざ不便なまま放置しているのだから。
「失礼します……」
消え入るような声とともに、あの時の女性が病室に現れた。彼女は私の顔を見るなり、今にも泣き出しそうな顔で頭を下げた。
「本当に、申し訳ありませんでした。命に別状はないと聞いて、少し安心したのですが……それでも、お仕事に支障をきたしてしまって……」
その白い手には、小さなお見舞いの花束と、菓子折りが握られていた。
彼女は知らない。私が死なない化け物であることも、この怪我をあえて「持ち越した」ことも。彼女が向き合っているのは、ただの郵便配達員らしい。死んでしまえば終わりの人間として、私は見えているらしい。
……そのフリをして、いいのだろうか。軍医が言うには、私は不死であっても不老ではない。果たして老衰という結末が訪れるのかすら、今の研究では明らかになっていない。私が怪我人として振る舞うことすら、本当は人間に対する侮辱なのかもしれない。
それでも。
「いいんですよ。ちょうど、休みが欲しかったところなんです」
私は彼女から花束を受け取った。春らしい匂いが鼻腔をくすぐる。死んで、真っさらな肉体へとリセットしてしまえば、この花の香りも、彼女が流した涙も、なかったことになってしまうような気がした。
効率を突き詰めれば、私は今すぐ死ぬべきなのだ。そうすれば明日にでもギプスを割り、郵便カバンを肩にかけて坂道を駆け上がることができる。痛みも、不自由も、リハビリの苦労も必要ない。
だが、私はこの痛みを愛おしく感じていた。
彼女はパイプ椅子に腰かけ、おずおずと林檎を剥き始めた。慣れない手つきで、危なっかしく刃物を動かしている。かつて私の胸に包帯を巻いたあの少年も、今はどこかの国で、誰かのために不器用な手を動かしているだろうか。
窓の外では、季節がゆっくりと歩を進めている。いつか、私の細胞が本当に役目を終える日が来るのか。あるいはこのまま朽ちることなく世界を眺め続けるのか。それは分からない。
ただ、今だけは。
同じ檻の中にいたいと思ったんだ。
「……甘いですね」
私がそう言うと、彼女はやっと、今日初めての小さな笑顔を見せた。その顔が見られただけで、この一週間の不自由には、お釣りがくるほどの価値があった。




