マーメイド・イン・バスルーム
海を離れ、陸地で暮らす人魚は決まって入浴を好む。
初めは温かい水に違和感を覚えるのだが、だんだんとそれが癖になり、叶うなら一日中入っていたいとすら思うらしい。
ここはとあるお屋敷の第三浴室。
一面に貼られた真珠色のタイルが、アーチ型の窓から差す真昼の日光に当たってちらちらと光る。
そこには人魚と、そのメイドがいた。人魚の入浴する猫足のバスタブから泡が溢れる。
二人でいる分には広く、三人になると狭い浴室内に、人魚の鼻歌が反響していた。人魚はメイドに紅茶を淹れるよう指示する。
「プールでは駄目なんですか?」
「私も最初はそう思ったんだけど、結局アレは海の真似事にすぎないの。模造品じゃなくて、陸ならではの癒しがほしいと思っちゃうのよね」
人魚はそう言いつつ、紅茶を一口飲んだ。人魚の入浴にはメイドが付き添うのがここでのルール。話し相手だったり、お茶やお菓子の用意をしたり、たまに扇いだり。スカートの裾が濡れるのが気になるが、仕事だから仕方ない。
「この紅茶もそう。陸から取り入れないと飲むことができないもの。海でもお茶作りが進んでいるけど、チャノキには敵わないわ」
曰く、大昔にたくさんの茶葉の入った箱が陸から降ってきたらしい。海に住む者はそれがきっかけで紅茶を知り、現代でも茶を嗜む人魚は多いそうな。
「陸ってそんなにいいでしょうか?」
「知らない場所に憧れちゃうのは生き物の性よ」
人魚という種族は特に好奇心旺盛らしく、海沿いにあるこの屋敷には何人もの人魚が暮らしている。人魚の中でも高貴な血統を持つ一族だそうだが、メイドの知るところではない。
「陸の人たちってずっと空中にいられるのに、お水を飲まないと死んじゃうなんて不便な体よね」
アザラシみたい、と人魚は笑った。
留学とか、仕事とか、旅行とか。人魚が陸へ上がる理由はさまざまで、彼女もまた何かしらの目的があるように見えた。
「お嬢様は、なぜこちらに? 海の方がずっと広いではありませんか」
泡と戯れていた人魚は目を丸くしたあと、ふふっという笑みをこぼした。
「炎を纏う人間を見てみたいのよ」
メイドはぎょっとして、思わず視線を逸らした。
「私もなってみたかった、マリンスノーに。……けど、それは叶わないから」
人魚は死ぬと泡になり、人は死ぬと灰になる。
といっても、人間に関しては埋葬方法によるからその限りではないけれど。
少なくとも、この街では彼女の望むものは見られないだろう。「旅をなさるんですか」と問う前に、メイドの顔にぱしゃりという音が降りかかった。
「わっ」
「……なんてね」
花のような、草木のような香りが漂った。




