初めてのお茶会
「申し訳ございません、申し訳ございません」
慌てて濡れたズボンの裾を拭こうとするメアリーは、ちらりと私に目配せをする。
『リアム様がお怒りになった時がチャンスよ』
彼女の心の声が、手に取るように分かった。
「ここのメイドはどんな指導を受けているんだ!」とリアムが噴火したら、「あら、そんなことで腹を立てるなんて、なんて器の小さな男なの」と嘲る。で、嫌われて、その後婚約破棄。完璧だ。
なるほど。初めからこぼすつもりだったから、冷めた紅茶を用意していたのか。
湯気の立っていないティーカップを見て、私は納得した。
「――君、名前は?」
布巾を手にしたメアリーの動きを遮りながらリアムは訊いた。
「メアリーと、申します」
「そうですか、メアリーさん」
リアムはゆっくり立ち上がって彼女の方を向く。そしてその右手の拳を斜めに振り上げた。
殴られる。私もメアリーも、少し遠くから見張っているクラリス様もロルドも、そう思った瞬間。
「頭に葉っぱ、ついてますよ」
そう言って彼は手に取った緑の葉を見せた。
「へ?」
「あ、紅茶は気にしないでください。ほっとけば乾きます」
「いや、でも、ズボンが汚れてしまいます」
「じゃあその布巾、ちょっと貸してください」
メアリーは明らかに動揺した様子で布巾を手渡す。
リアムはズボンの裏に自分のハンカチをあて、手際よく布巾でシミのあたりを叩いた。
「これで大丈夫です。人間、誰しも失敗くらいします。なので気にしないでください」
リアムはにっこり微笑み、布巾をメアリーに返す。「ハンカチお洗いします」「ではお言葉に甘えて」なんてやりとりが続く中、私は一人ボーッと考えていた。
いや、そんな気、してましたよ!!!
さっきの私の失礼な態度にも不満一つ見せなかったし!!
ほんと何だ、この男は。何か企んでいたりするのか。
「いやいやいやいや」
私は小声で呟く。
体罰覚悟でメアリーが作ってくれたこのチャンス、無駄にするわけにはいかない。そう、目的は嫌われること。そしてそれは、相手を怒らすこととは限らない。
「メアリー、立ちなさい」
「は、はい」
立ち上がりざま、私はメアリーの頬をぶった――振りをした。
メアリーは私の意図をよく分かっていて、派手に後ろに倒れこむ。
パンという音はしなかったが、これなら私が殴ったように見えるだろう。
「荷物をまとめなさい。明日は来なくてよろしい」
「そんなっ」
「そこまでしなくても」
困ったようにリアムが口を挟む。
「あなたがよくても、私が許しません」
鋭い視線で彼を捉える。
「アルセイン侯爵家の格を陥れるような者は排除するまで。客人に紅茶をこぼすメイドなんて言語道断。紅茶だって無尽蔵なわけではないのです。一杯一杯大切に飲まなければ貴族としての示しがつきません」
リアムはポカンと口を開けた。
「明日は茶畑の手伝いに行きなさい。一日中茶葉と向き合って、自分がしたことの償いをするのよ。それ相応の仕事をするまで屋敷には入れないわ」
「あ、今日の仕事は全うするのよ」
木の影でクラリス様が「茶畑って何よ!」と嘆いていたのは、もちろん私には聞こえていない。
どうですか。あなたは貴族では珍しく使用人に寛容な人なんでしょう。それならば、使用人に厳しい女性には幻滅するでしょうね!
私はリアムの顔を盗み見た。
目が細まって、口角が上がっている。
微笑んでいる、、、?!
「そういう考え方もあるんですね」
フッと笑みをこぼすリアムを前に、私は顔をしかめずにはいられなかった。
「そうですね、紅茶も無尽蔵ではありませんよね。メアリーさん、茶畑の手伝い頑張ってください」
「何かおかしいかしら」
「いえ、何も。私はクラリス嬢のことを少々勘違いしていたようです」
「どのように?」
リアムは少しためらいながらも、ゆっくり言葉を続けた。
「あなたについて良くない噂を聞いたことがあります。……情けないですね。根も葉もない話を、疑いもせずに信じかけるなんて」
私もまた、クラリス様の噂を知っていた。
正直に言えば、怖かった。
けれど、こうして向き合ってみると――怖く……ないことはないが、それ以上に、噂が当てにならないものだと分かる。
「まあ、私も同じようなものね」
「同じ、ですか?」
リアムが聞き返してきて、私はしまったと思った。
失言だ。今の言葉はクラリスではなく、エマのものだ。私としたことが、素が出てしまった。
しかしやってしまったことは仕方ない。ピンチをチャンスに変える。それが私のやり方だ。
私は扇を閉じたまま口元に当てた。
「悪く思わないでください。私もあなたの噂を聞いたことがありますの。リアム・ウェードラインは傍若無人で高慢すぎるから、18歳になるまで婚約ができなかったって」
不敵な笑みを浮かべる。
「実際はどうでした?」
リアムは不機嫌になるどころか、少し楽しげだった。
「そうね、私あなたほどおかしな貴族は見たことがないわ。あなたみたいに常にニコニコしていたら私、顔の筋肉が痙攣してしまいそう」
ほら、と私はひきつった笑顔を作り、口元をヒクヒクさせる。
すると驚いたことに、リアムの顔がパッと弾けた。
「はは、クラリス嬢はとても楽しい方ですね」
途端に顔が熱を帯びるのを感じる。
「なっ。この私を、馬鹿にしているのですか!?」
「とんでもない。ただ、可愛いらしいな、と思って」
――木の影にて――
「クラリスの顔は、熟れたリンゴのように真っ赤に染まった。リアム・ウェードラインはその時、初めて彼女の鋼の仮面の下を覗いたのだった―」
「勝手にナレーションしないで頂戴。……私たち一体、何を見せられているのかしら」
使用人に変装したクラリスは、呆れてものも言えない、と首を振る。
もの言ってるじゃないですか、と反論したロルドは、ピンっと額を弾かれた。
「まあでもクラリス様、ここからが面白いんですよ」




