偽りのクラリス
時は1週間前に遡るーー
「はい、エマ。これを着なさい」
クラリス様から渡されたのは美しい青いドレスと、クラリス様同様、黒くまっすぐな髪のカツラだった。
「ウィッグの付け方は、わかるわよね?」
「はい、芝居のためによくカツラ使いますから」
「カツラって言わないで。品がないから」
クラリス様の紫の瞳が私を睨んだ。
この主人、厳しい。
「あらあなた、一人で着替えるつもり?無理よ」
「え?」
すると、部屋にメイドが入ってきた。と同時に、ロルドは出て行った。
「私の専属メイドを貸すわ。メアリー、この子を着替えさせて、化粧もしてあげて」
「かしこまりました」
「では終わったら呼んで頂戴」
クラリス様はパタン、と扉を閉めて行った。
「あなた、エマよね?」
メアリーという名のメイドは、私にドレスを着せながら優しく尋ねた。
クラリス様の専属メイド。同じメイドとはいえ、掃除をするハウスメイドである私より地位が高い。
「はい、そうです。あの、なぜご存知なので?」
「ふふ、恨まないでね。あなたがルーティア劇団で芝居をしていることをクラリス様に伝えたの、私なの」
「えっ」
「私も芝居が大好きなのよ、エマ。だから休みの日にはよく、ルーティア劇団に観に行っているの」
メアリーはコルセットの紐を引っ張りながら続ける。
この人が原因だったとは。そして、コルセットというのがここまで苦しかったとは。
驚きの連続だ。
「先月、久しぶりに足を運んだら、『最近、新人のシャーロット・リースという役者が良い』っていう噂を耳にしたの。そして舞台で見てみるじゃない、そしたらなんとまあ、見覚えがあるのよ」
シャーロット・リースというのは私の芸名だ。私は最近評判がいいのか、なんて思っていると、メアリーが更にコルセットを締め上げた。
「私、あなたのチラシをもらって帰ったの。この人は誰だったっけ、って。次の日ほんとうにびっくりしたわ。まったく同じ顔した人物が、メイドの服を着て、屋敷を掃除しているんですもの!」
もう少し頑張って、とメアリーは追い打ちをかけてきた。お腹が、苦しすぎる。
「だから私、感動のあまりそのままクラリス様に報告しちゃったの。ハウスメイドの中に、素晴らしい役者がいます!って」
はい終わり、とようやくメアリーはコルセットから手を離した。
「ごめんなさいね、面倒事に巻き込む形になってしまって。でもエマ、私いまとっても嬉しいの。あのね、私、シャーロットという役者の演技に、一目惚れしちゃったのよ!」
メアリーの100%の笑顔により、お腹の圧迫感が一瞬にして消え去った。
「だからね、エマ。私とお友達になってくださらない?二人だけの時は、メアリー、と呼んでほしいの。」
「メアリー、ですか」
「敬語もいらないわ。だって私たち、同い年なんですもの!」
「好きですメアリー」
彼女を見ていると、自然と言葉が口から溢れた。
「あら、愛の告白?嬉しいけど、それは運命の相手と出会うまで、とっておきなさいな」
「これが、私…?」
「そうよ、エマ」
ドレスとウィッグを装着し、メアリーに化粧を施された私は、鏡を前に驚嘆した。
確かに、そっくりだったのだ。クラリス様に。
「メアリー、すごい。この、ちょっと釣り上がった目とか、クラリス様そのものよ!」
「クラリス様もね、化粧で吊り上げているのよ。侮られないように、って。クラリス様を呼んでくるわね」
メアリーはそう言うと部屋から出て行った。
本当に、見れば見るほど不思議な気持ちになる。まるでクラリス様の身体を、私が乗っ取っているような。
「でも、瞳の色だけは違う…」
クラリス様は紫だが、私は緑なのだ。
「心配無用よ、エマ」
振り返ると、メアリーに呼ばれたクラリス様が戻ってきていた。
「この目薬を差しなさい。一滴で3時間、瞳を紫に変えられるわ」
言われた通り、私は手渡された目薬を垂らした。
少し瞬きをして浸透させるとーー
「うわーお」
鏡の前に、クラリス2が爆誕した。
「想像以上ね」
本物のクラリス様は、満足そうにニヤリと笑った。
その後、メアリーを相手に「どっちが本物でしょう」クイズをすると、彼女でさえ見分けがつかなかった。
「どっちだろう…」
「向かって右側が本物ですね」
ロルドがひょっこりと現れて、正解を言い当てる。
「あらロルド、よく分かったわね。どうして?」
「匂いですよ、お嬢様」
そのあとクラリス様にぶっ叩かれたロルドは、頬を押さえながら「これです、これ」とか意味の分からないことを呟いていた。こうしてアザが増えていくのだろう。
「作戦はこうよ、エマ。来週、私がリアムをお茶に誘う。その場に“私”として出るのは、あなたよ」
「わがままな振る舞いで、嫌われればいいんですね」
「それでいいと思うわ。問題は、彼の性格が読めないこと」
クラリス様は紅茶を一口すすった。
「リアム・ウェードラインは社交に姿を現さない謎の人物。分かっているのは、金髪で十八歳だということだけ」
「お嬢様もあまり社交の場に出ないから、謎が多いと噂ですけどね」
「うるさいわね、ロルド。私は家のことで手いっぱいなのよ」
存じております、とロルドは紅茶を注ぎ足す。
「つまり……」
「そう。全てはあなたの臨機応変さ次第よ。私を演じることだけに集中しなさい」
私は唾を飲み込んだ。
「……もし、成り代わりがバレたら?」
「婚約破棄になるか、お父様に即結婚させられるか。前者ならいいけど、後者なら最悪ね」
クラリス様はカップを置き、紫の瞳で私を射抜いた。
「使用人に令嬢を演じさせた、なんて噂が世間に広まれば、アルセイン家は終わりよ。だから――」
一拍置いて、静かに言い放つ。
「絶対に、バレないで頂戴」
* * * * *
リアム・ウェードラインに危害を加えないこと。
他人にかかる迷惑は最小限にとどめること。
この二つの遵守を約束し、私はリアムとのお茶会の日を迎えた。
遠くから馬車の音が聞こえてくる。心臓が、規則正しく速まった。
門が開き、黒塗りの馬車が止まる。先に降りてきた御者に続いて、金髪の青年が姿を現した。
「お迎えいただき、ありがとうございます。ウェードライン侯爵家長男、リアム・ウェードラインです」
そう言って、彼は丁寧に一礼する。
「なかなかいらっしゃらないので、少しくたびれてしまったところですの。……ああ、挨拶は結構ですわ。さあ、庭園へ参りましょう」
どうだ、初対面の婚約者相手に失礼な態度をとる令嬢は。
負の感情を伝える+自己紹介を返さないのダブルコンボだ。
リアムはその青い瞳を一瞬ぱちくりさせたが、ふっと細めた。
「はい、分かりました」
「噂に聞いていましたが、素敵な庭ですね。静かで、落ち着きます」
「当然です。日々、入念な手入れをしておりますから」
私も含めた使用人が。
「リアム様のすぐ横に咲いているのが、アイリスです。葉が剣のようでしょう。少し近寄りがたいけれど、形が整っていて……侯爵家の庭にはよく植えられますの」
私は何気ない調子で花を指さす。
「その隣がアネモネ。風が吹くたび、花弁が揺れるの。繊細で、扱いが難しい花ですわ。そしてあの青いのが、デルフィニウム。色が美しいでしょう。暑くなっても、涼しげに見…」
メアリーの顔が視界の端に映り、私は我に返った。何をしているんだ、私は。
自分の仕事が褒められたように感じて嬉しくなってしまっていた。
しっかりしなくては。これは、人生がかかった仕事なのだから。
「花にお詳しいんですね、クラリス嬢。今度送らせてください。何が一番お好きですか」
「……では、青いバラを」
わがままに振る舞え、エマ・グレイ!
「青いバラ、ですか。自然界ではほぼ存在しない、と聞いたことがあるような」
「ええ。その通りですわ」
「それでは無理ですね」と断られたところで、嫌味を一発お見舞いしよう。
よし、来なさい!
「分かりました。青いバラですね」
そう言って、彼は少しだけ目を細めた。
「待っていてください」
予想外にも、返ってきたのは笑顔の快諾。
――ちょっと待って。この世に存在しない花を、どうやって用意するというの?
私が首を傾げていると、メアリーが紅茶を注ぎ始めた。
一瞬だけ目が合い、彼女はリアムに気づかれないよう、そっとウインクする。
今朝、彼女が「私も手伝うわよ」と言っていたのを思い出した。
どう手伝ってくれるのか――正直、少し楽しみだ。
その楽しみは、意外と早く訪れた。
カチャン
「あっ、も、申し訳ございません!」
メアリーの声が、庭中に響き渡る。
「……」
メアリーが注ぎ終わった紅茶を、リアムの膝元にこぼしたのだ。




