おかしな仕事
5分後。
「相手の令息、リアム役は執事のロルドがやるわ。では始めなさい」
ロルドが「よろしくお願いします」と挨拶をしてきた。なかなかスマートな青年だが、よく見るとその右目の周りが少し青くなっている。怪訝に思いながらも、私は演技に集中することにした。
軽く目をつむり、深呼吸する。
今から私はエマではない。令嬢Aだ。
「リアム様、どいてください。邪魔です」
「なんだと。この私が、邪魔だと?」
「そうです。ほら、今まさに私の道を塞いでいるじゃありませんか」
私はリアム役のロルドを指差す。
「……お前は、侯爵令嬢でありながら礼儀というものを学ばなかったようだな」
ロルド(リアム)の冷たい瞳が私を捉えるが、令嬢Aは怯まない。
「婚約した相手の令嬢にお前、と言うあなたこそ、非常識ですわ」
フッと、小馬鹿にしたような笑みを浮かべてやる。
「……いいか、この婚約における我々のメリットは少ない。破棄をしてもいいんだぞ」
「破棄…?」
「そうだ。困るなら今すぐその態度を改めてろ」
「本当に、困りましたね」
「だろう。ならば…」
彼の話を遮り、私はニッコリと笑った。
「そんな願ってもない状況、嬉しすぎて困りましたわ」
「なっ」
「こちらとしても、そのような傲慢な方と生涯を共にしたいとは思いません。ええ、1ミリたりとも」
「ふざっ」
「そう、その態度です。そうやって感情まかせに生きていては将来、当主など務まりませんよ?ずる賢い親戚にのせられて何かしでかした挙げ句、ポイされて終わりです」
私は、ポケットに入っていたハンカチを床に投げ捨てた。
「あら、失礼」
ゆっくりとしゃがみ、それを拾い上げる。
「……お前こそ、その人を愚弄するような態度では誰もお前を愛さないだろうな」
私は口角を上げながら彼をまっすぐ見る。
「愛だの恋だの、くだらない。貴族の結婚に必要なのは責任感です。あなたはそれを微塵も持っていない。そんな人との結婚なんて、そうですね…」
「腐りかけた果実を、わざわざ買うようなものですわ」
その瞬間、彼が勢いよくこちらに歩いてきて、私の頬を殴った――仕草をした。
この執事、なかなか良い演技をする。
「傾きかけたお前の家が崩れるよう、最大限手を尽くそう」
「淑女に手をあげた令息の話を広めますので、おあいこですね」
私はなおも毅然と続けた。
「二度と俺の前に姿を現すな」
「勿論ですとも。では、ごきげんよう」
私が踵を返した途端、クラリス様の声が響いた。
「はい、カーット!」
彼女は私たち二人に近づいてくる。
「こんな茶番のような芝居をよく演じました。ロルドもありがとう」
「お安いご用です。私はお嬢様のためなら全てを捧げる所存ですので」
クラリス様はロルドの頭を叩く。バシッと、かなりいい音がした。
「そういうの気持ち悪いからやめてって言ってるでしょ」
嬉しそうな表情を浮かべるロルドを見て、私は「うぇっ」と思った。
なんだ、この執事は。かっこよく見えるのに、こんな変態だったとは。
じゃあ、彼の右目あたりにできているアザも、今みたいにクラリス様が……?
「エマ」
「はぃっ」
急に名前を呼ばれ、 声が裏返ってしまった。
「あなた、演技を始めると随分雰囲気が変わるのね。親とはぐれた子鹿みたいだったのに。さすが、無断で役者をやっていただけあるわ」
「は、はぁ」
「合格よ、エマ。解雇の代わりにとある仕事をしてもらいましょう」
解雇回避!ひとまず安心だ。
「それでその、仕事というのは…?」
危ないことだったらどうしようと考えを巡らす私に、クラリス様ははっきり告げた。
「私を演じなさい、エマ・グレイ」
……?
「あなたも気づいたでしょ。今の芝居の中のリアムという男は、私が先月婚約したリアム・ウェードライン。ウェードライン侯爵家の長男。そしてあなたが演じた令嬢Aは、私がモデルよ」
そうだとは思った。先月、屋敷はずっと二人の婚約についての噂で持ち切りだったから。
いや、しかし。
「私、婚約破棄したいのよ」
「ふぇっ!」
キッと睨まれた私は、身をすくめた。
「知っているかもしれないけど、このアルセイン侯爵家は少し前まで財政の危機にあったの」
ロルドがあの頃は大変でした、とうなずく。
「お父様は騙されやすい上に頑固な人でね。5年前の凶作の時、怪しい商人に吹き込まれて森林を切り開き、そこに大きくて豪華な教会を建ててしまった。領民が飢えに苦しんでいる時によ。なんでそんなことしたのか、って尋ねたら、お父様、何と答えたと思う?」
「な、なんでしょう......?」
「『これで皆が救われる』って。私、本気で言っているのだと分かって愕然としたわ」
クラリス様はハァ、とため息をつきながら眉間に手をそえた。
「一時は使用人を最低限まで解雇したり、ドレスや宝石をいくつも売ったりで、本当に大変だったのよ。それから、私は勉強して領地経営のことを学んだ。そして新たな事業を始めたりしてなんとかここまでやってきたの。そんなことをしていたから、いつの間にか貴族の中での地位が下がってしまった。名門の侯爵家なのに、情けないわよね」
そんな過去があったとは。そういえば、「ここの給料、前に働いていたところより安い」とかなんとか言って辞めてしまった同僚がいたのを思い出す。彼女は今、どうしているだろう。
「私がアルセイン家を元通りに、いやそれ以上にしようと思っていた矢先、お父様が勝手に婚約を取りつけてしまったの。相手は去年昇爵されたウェードライン家の長男。結婚したらうちに融資してくださるんですって。あっちはお金持ちだから」
ほぉ、と相槌をつくと、ギリっと睨まれてしまった。
「そんなの御免だわ!私、せっかく経営が軌道に乗ったところで降ろされて、知らないところで静かにウフフ、オホホとか言いながらお茶をすすってなくてはいけないのよ。そんな婚約は受け入れないから破棄してくれって訴えたらお父様、『これはお前のためでもあるんだ』なんて言ったの。冗談じゃない!」
クラリス様が、鬼のような形相で力強く机を叩いた。そのあまりの音の大きさに、心臓が飛び跳ねる。
張り詰めた空気の中、ロルドがススーっと彼女の横からティーカップを滑らせて置いた。クラリス様はそれを一気に飲みほす。
「……とういうわけで私はお父様を説得できなかったので、あなたが私に成り代わって婚約者のリアムに会い、彼に嫌われて向こうから婚約を破棄してもらいなさい。ちょっと工程多いけど、覚えた?」
「え、いやちょっと、ちょっと待ってください!!」
私は片手の平を前に突き出し、待ったのポーズをした。話の展開に、頭が追い付かない。
「つまり、私がクラリス様を演じてリアム様に会い、嫌われるようなことをして、婚約を破棄してもらう、と?」
「だからそう言ってるじゃない」
「え。……どういうことですか」
そう言うと、刺すような冷たい視線が私に向けられる。
「解雇するわよ」
だめだ。これはもう尋ねてはいけないやつだ。そう悟った私は、「イミフ」という感想を飲み込んだ。
「わかりました。……しかし、なぜ私なのでしょう。ほらあの、私とクラリス様は髪色も目の色も違いますし、私は御覧の通り素朴ですし......」
「髪や瞳なんてどうにでもなるわ。実はね、エマ。あなたの顔がよく似ているのよ」
化粧を落とすと、とクラリス様は加える。
「誰に、でしょう」
「私に決まってるでしょう」
声に不機嫌さが混じった。無駄なことは言わない方が良さそうだ。
「骨格から顔のパーツの一つ一つまで、そっくりなの。だから声質も似ているわけ。逸材よ、エマ」
逸材、という言葉に私の耳はピクッと動いた。
「そして何より、演技力。私はそういうのはさっぱり出来ないのよ。でもさっきの芝居を見て、私確信したわ。エマ、あなたなら私を演じられます。婚約者に嫌われる令嬢になれます」
思わず口元が緩む。
「成功したら報酬を弾む上、この私が、役者としてのあなたの後ろ盾となりましょう」
なんということだ。貴族がついている役者ほど有利なものはない。もしかすると、主役を務めるという夢も現実になるかもしれない。
「エマ・グレイ。引き受けてくれますね?」
是、としか受け入れそうにない彼女の表情。私も答えは一つしかなかった。
「もちろんです、クラリス様。このエマ・グレイ、全身全霊をもってその仕事、承ります!」
* * * * *
クラリス様を完璧に演じ切って身勝手な行動をすれば万事解決、と思っていたのに。
実際、「私もそう思うわ」とクラリス様のお墨付きも頂いていたのに。
「はは、クラリス嬢はとても楽しい方ですね」
「なっ。この私を、馬鹿にしているのですか!?」
「とんでもない。ただ、可愛いらしいな、と思って」
透き通るような青い瞳を細め、柔らかく微笑んでくるリアム・ウェードラインを前に、私は困惑せざるを得なかった。
そして気づいたのだ。
私はこの仕事を、甘く見すぎていたと。
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