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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

暗殺者、風呂井戸ケンイチの友人

作者: 幕田卓馬

「秋の文芸展2025」テーマ「友情」の参加作品です!

 風呂井戸(ふろいど)ケンイチは暗殺者だ。

 

 それも、ただの暗殺者ではない。日本において5本の指に入るほどの凄腕の暗殺者だ。


 依頼成功率が70%前後と言われる暗殺業界において、風呂井戸の暗殺成功率は99.5%を誇る。


 風呂井戸の仕事は、ただ殺すだけじゃない。ターゲットの思考パターンを予測し、時には導かれるように違和感なくその行動を操り、まるで煙のようにこの世界から消滅させる。

 以前、妻子持ちの中年男(パワハラで部下を自殺に追いやり、その家族から恨みを買っていた)を暗殺した時は、入念なアリバイ工作をターゲット自身に意図せず行わせ、1ヶ月のもの間、妻子にその死を気付かせなかった。


 しかし、そんな風呂井戸も、たった0.5%だが仕事をしくじる場合がある。

 この世界には完璧なものなど存在しない。

 完璧に限りなく近いものが、完璧のふりをして存在しているだけだ。

 

 これは、その稀有な0.5%に焦点を当てた、ある暗殺者の記録である。



   *   *   *



 風呂井戸ケンイチは30代であるが、見ようによっては20代前半にも見えるし、40代にも見える。痩せ型で高身長、そして若干の猫背。好きな食べ物はマーガリンをたっぷり塗った食パン。室温で1時間ほど放置し、適度に柔らかくなったマーガリンを、6枚切り食パンの表面に満遍なく塗り、オーブントースターできっちり4分焼く。それ以上焼くと、マーガリンのジューシーさが失われ、別の食べ物になってしまう。


 風呂井戸は、郊外の閑静な住宅街にある、築5年のアパートに住んでいる。鉄筋コンクリート製で、隣室に音漏れする心配も少ないため、獲物の手入れや日常的なトレーニングも、部屋の中で事足りる。室内に嗜好品は極端に少なく、時間を持て余した時は、近所の小さな図書館で適当な専門書を借りてきて、読むでもなくぼーっと眺めている。

 

 暗殺依頼やターゲットの情報は、暗殺協会から電子メールで届く。

 平凡な暗殺者であれば、名前や顔写真、住所や家族構成、勤務先、直近1ヶ月の行動パターン――といった薄っぺらい情報だけでも、半ば強引に暗殺をこなす。

 しかしその反面、殺した後のアフターケアは粗末なものだ。暗殺後の死体はその辺に転がり、処理班が駆けつける前に発見され、警察に通報される事例も少なくない。中にはわざと死体を一般人に見つけさせ、その発見者の暗殺をも依頼主に提案する、といった悪質な暗殺者も存在していると聞く。

 

 風呂井戸はそんなお粗末な殺しは絶対にしない。それが彼の暗殺者としての矜持だ。

 だから、彼を懇意にして暗殺を依頼してくる大手企業の重役や政府の要人は多いし、一般的な相場より高い価格でも依頼が途切れる事はない。


 風呂井戸への依頼書は、他の暗殺者と比べて情報の密度が桁違いだ。一般的な基本情報はもちろんの事、幼稚園から最終学歴までの学校名や、各クラスメイトの名簿、現在所属している組織でのポジションや評価。趣味や、良く見ているYouTubeチャンネル、数年間にわたるAmazonの購入履歴、などなど……。ターゲットについての思いつく限りの情報が、印刷すれば数百ページにも上るであろう膨大な文量で送られてくる。

 協会の諜報部門からしてみれば、厄介極まりない相手ではあるが、それ相応の売上が発生するため無碍に断るわけにはいかない。


 そこまで膨大な情報を、風呂井戸は何に使用するのか? その疑問の答えが、彼の並外れた成功率にも関係している。


 風呂井戸は自分の頭の中に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。


 提供された情報を組み立て、吟味し、強弱をつけ、『一人の人格』として脳内に落とし込む。

 それはターゲットを寸分違わぬ分身。一つ違いがあるとするなら、その人格に肉体が存在しない事くらいだろう。

 そして風呂井戸は、頭の中に生み出したターゲットとの人格と交流し、知見を深める事で、その人物の()()()()を理解し『秘密裏かつ確実な死』に導く道筋を探っていく。


 それが暗殺者、風呂井戸ケンイチの、一風変わった殺しの流儀だ。



   *   *   *


 

 今日も、風呂井戸のPCに暗殺依頼が届いた。

 きっちり4分間焼いた食パンをゆっくりと咀嚼しながら、風呂井戸は数万文字にもわたる添付資料を、たっぷり1時間かけて読み耽る。

 

 依頼主は指定暴力団『成狼組(なろうぐみ)』の若頭、天誠(てんせい)。ターゲットは飲食店経営者のチンピラ、夜野(よるの)タツハル。

 夜野は天誠が唾をつけていた女と恋仲となり、彼の逆鱗に触れた。しかし、怒りに任せてかたぎに手を出せば、警察から目をつけられる……だから天誠は、自らの手を汚さず、暗殺協会へ殺しを依頼した。

 

 指先についたパン粉をティッシュに落として、風呂井戸は今回のターゲットである夜野に想いを巡らせる。

 その声、その姿、その思考――

 

 リビングの掃き出し窓に向かい、3階から隣の家の屋根を眺めた。無理やり取り付けられたソーラーパネルが、昼前の日差しを反射してキラキラと光っている。


『よう、風呂井戸。久しぶりじゃねーか――』


 背後から声をかけられ、風呂井戸は振り返る。そこには、趣味の悪い赤いシャツを着た夜野が、ボサボサの頭を掻きながら立っていた。


「ああ、ひさしぶりだな……」


 驚くこともなく風呂井戸は応える。

 自分の頭の中に作り出されたターゲット――『夜野タツハル』が、人格を持ち、現実と変わりない幻覚として、風呂井戸の日常へと浸透してくる。それは風呂井戸にとって、食パンにマーガリンが染み込んでいくくらい、さもありきたりな事だ。


『お前、まだこんな寂しい部屋で、一人暮らししてんのかよ……』


 出来る限り物を持たない生活を心掛けている風呂井戸の、殺風景な部屋の中を見渡して、夜野は溜め息を吐いた。


「物が少ない方が、身軽だから……」


 風呂井戸がそう返すと、夜野は片手を口にあてて『かーっ、ほんと変わんねぇな、お前は……』と呟いた。


『なあ、せっかく会えたんだ、ちょっとメシでも行こうぜ? 少し離れてるけど、いい店知ってんだ』


「ああ……」


 不承不承(ふしょうぶしょう)頷く風呂井戸。しかし夜野は、そんな返答を待つ素振りもなく、さっさと玄関に向かっていた。


『どうせお前、仕事の時以外は外出しねーんだろ? ほら、さっさと行くぞ』


 笑いながら振り返った夜野の背中に追いつき、二人は家を出た。



   *   *   *



『ここのお好み焼きはな、本場大阪仕込みなんだ。ほら、キャベツの量が桁違いだろ? お好み焼きは粉物って言うが、メインは小麦粉じゃねぇ。キャベツなんだよ』


 そんな事を熱弁する夜野をチラチラと眺めながら、風呂井戸は言われた通りの手際でお好み焼きをひっくり返す。


『おおっ! なかなか上手じゃねーか』夜野は上機嫌そうに2回手を叩き『しかしだ、まさかお前が暗殺者になるなんてな。確かに、影みてーな奴だったけど――まあそれは、俺も一緒か』と苦笑する。


 お好み焼きをひっくり返した風呂井戸は、一仕事お終えた達成感とともに、フライング気味に配膳された生ビールを一気に半分ほど飲む。


『なあ、お前もよ、いい人みつけたら、そんなやべえ仕事からは足を洗ったほうがいいぜ?』


「いい人なんて、いらねぇよ……」


『俺だって、半年前まではそう思ってたよ』


 頬杖をつき、満足そうな顔で、夜野は風呂井戸を見ている。


『なあ……』


「……なんだ?」


『ノロケ話、していいか?』


「……ああ」


 そして夜野は、恋人との馴れ初めを語り出した。

 

 事業が上手く行かず、酔い潰れていたバーで、隣に座った女が彼女――それがミサキだった。

 くだをまく夜野を嗤うでもなく怒るでもなく、ミサキはその刺々しい愚痴を包み込むみたいに、おっとりと頷いてくれた。

 高校を卒業後、この街の夜へと飲み込まれていった夜野に、理解者と呼べる者はいなかった。全てが敵であり、全てが餌である世界の中で、夜野は孤独だった。ミサキの優しさは、そんな彼の周りに生まれた空洞へ、ゆっくりと注ぎ込まれていく。


『あんなに緊張したのは、久しぶりだった』


 中学時代、好きな子に告白した時のヘタレた自分を思い出した――そう夜野は語る。言葉と共に触れた唇は、よくわからない甘い果実の匂いがした。


 ミサキは自分について多くを語らなかった。

 彼女は二人で街へ出る事を嫌がった。そして、持て余した時間への償いのように、夜野の身体を求めた。それが欲情からくるものだけではなく、外の世界に存在する『目』を恐れての事だと気付くのに、夜野は半年を要した。


 あたしには、首輪がついているの――


 自分は、成狼組の若頭である天誠に見初められた女の一人だと、ミサキは言った。本来であれば、他の男に尻尾を振っていい女ではない、とも。

 その言葉を聞いて、夜野は恐怖した。この街の夜を生きる者として、成狼組の天誠を知らないわけがない。その残虐非道さを多方から聞いていた夜野は、自分の運命を呪った。


 しかし、だからといって、ミサキと離れる事も考えられなかった。夜野が全身全霊で彼女に惚れ込んでいたというのも当然ある。でもそれ以上に、夜野は彼女の孤独な目を放っておく事が出来ないと感じていた。自分には首輪がついていると語った時の、ミサキの空虚な目を――


 逃げよう。

 そう夜野はミサキに告げる。

 天誠がこの事に気付けば、きっとどちらか……もしかしたら両方の命が危ないだろう。そうなる前に、全てを捨てて、遠くの知らない街へ。


『俺達、孤独だったよな、風呂井戸』夜野は、皿に置かれたお好み焼きを、鋭い目で見つめている。『でも悪いな。俺は先に、この孤独の泥沼から抜け出そうと思う』


 風呂井戸もまた、自分の前に置かれた皿を見下ろす。お好み焼きの上のカツオ節は、とうに活気をなくして、褐色の泥沼にへばりついている。

 

『沼の外の世界は、心地良いことばかりじゃない。あの冷たい泥に触れる事で、俺はどっかで安らぎを覚えていたのかもしれない。何の変化もない泥の中は、喜びもなければ、恐怖もない……』


 風呂井戸は頷く。


『でもな、沼の外には、風が吹いている。乾いた冷たい風もあれば、温かなそよ風もある。俺はお前にも早く、その泥沼から抜け出して、風に吹かれて欲しいんだ。同じ孤独に埋もれていた、唯一の友として、な』


 バラッドのように語られるその言葉に、風呂井戸は頷けなかった。安易に頷くことは、出来なかった。


『わりいな、そろそろ行かねぇと。どうやら天誠が、凄腕の殺し屋を雇ったらしい。俺はまだ、死にたくはねえんだ。ミサキとバカップルみたいに手を繋いで、お天道様の下を歩きてぇし、お前とだって、また会いたい』


 そう言って立ち上がり、風呂井戸に背を向ける。歩き出そうとして立ち止まると、顔だけで振り返り――


『そうだ、ミサキの作るお好み焼きも、美味いんだよ。今度会ったら、ご馳走させてくれ』

  

 そう言い残し、夜野は消えていった。

 

 鉄板はまだ生温い熱を持っている。すっかり冷めてしまったお好み焼きを見下ろしながら、風呂井戸はドロドロのソースに塗れたカツオ節みたいな自分を想った。


「お客さん、ひとり辛気臭い顔で座ってるだけなら、帰ってくれねーか? ここは墓場じゃなくて、お好み焼き屋なんだよ……」


 呆れた店主の言葉に、風呂井戸は慌ててお好み焼きを頬張る。固くなったそれは、土塊みたいな味がした。



   *   *   *



 成狼組の若頭、天誠は、事務所の椅子に腰掛けて、タバコをふかしていた。

 

 暗殺者に依頼するのは痛い出費だった。ウチのような小規模組織は、警察に目をつけられた時点でおしまいだ。しかしだからと言って、ペットの首輪を引きちぎった男を、生かしておく気にもなれない。ミサキは良い女だ。自分の買ってるペットの中で、一番アレを舐めるのが上手い。何度もゲロを吐かせながらも、そう厳しく躾けたからだ。

 天誠がミサキの具合いを思い出して、恍惚の表情を浮かべていると、1階から聞きなれない物音がした。下の階では子分共がしのぎに勤しんでる筈だが――まあ、どうせくだらない喧嘩だろう。最近のガキどもは、バカで根性なしで、すぐにキレる。

 まったく、クソ野郎共が。

 そんな事を考えていると、事務所のドアが開いた。


 見慣れない男が立っていた。

 

 帽子を目深に被り、黒いレインコートを着た、長身の男。そのコートは濡れて艶やかに光っている。雨など、降っていない筈だが……? 


「だ、誰だお前……」


 男は答えない。


「下には、子分どもがいた筈だが……?」


「全員殺した」


「殺した!?」天誠の目が見開かれる。「意気がいいガキどもが、20人はいた筈だぞ!?」


「全員、殺した」

 

 男は天誠をまっすぐに見据えたまま、繰り返した。

 その右手にナイフが握られていることに気付く。赤黒く粘つく液体を滴らせた、安物のサバイバルナイフ。


「お前、何者だ……?」


 タバコを吐き捨てて立ち上がる。机の右の引き札しに、拳銃を入れている。それさえ取り出せれば――そう天誠が思考する間に、男は彼の後ろに回り込み、血に濡れたナイフを首筋に当てていた。


「ふざけ――」

 

 恫喝の言葉を放つ間さえ与えられなかった。

 天誠の首に冷たい痛みが走り、その直後に温かな飛沫が飛び散る。


「俺は、風呂井戸ケンイチ」


 意識が薄れていく中、天誠の耳には男の声だけが響く――

 

「夜野タツハルの、()()だよ」



   *   *   *



 男の名は、風呂井戸ケンイチ。

 日本において5本の指に入るほどの凄腕の暗殺者。依頼成功率が70%前後と言われる暗殺業界において、風呂井戸の暗殺成功率は99.5%を誇る。


 しかし彼の暗殺は、0.5%ほど失敗する。


 殺しの世界には様々な思惑が飛び交う。殺す側にも殺される側にも、正義などという大義名分はない。あるのは醜い、欲望と自我のぶつかり合いのみだ。

 だが時として、『殺されるべき者』と『殺されるべきではない者』の立ち位置が、風呂井戸の独善的な倫理観にそぐわない場合がある。吐き気を催すほどの邪悪が、何の罪もない存在を、欲望のままに踏み潰そうとする時がある。


 そんな時、風呂井戸の暗殺は失敗する。


 青森行きの新幹線ホームで、風呂井戸は二人の男女を眺めていた。二人は手を繋ぎ、ホームのガラス窓から差し込む日差しに目を細めている。


 風呂井戸は声をかける事なく、隠れるようにその場を後にした。


 見上げた空は澄んでいて、横切る飛行機雲が一つ、寂しそうに浮かんでいた。


お読みいただきありがとうございます(*´Д`*)

友情……と言うにはあまりにも一方的な情ですが、一つの形として受け入れてもらえるとありがたいです。

最近、殺し屋系の邦画を立て続けに観てたので、少し影響を受けているかも(^◇^;)

でも、書きたかったタイプの文章を、久しぶりに書いたなーって充実感があります。

※一人称より三人称の方が書きやすくて好き……(*´Д`*)

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― 新着の感想 ―
拝読させていただきました。 ハードボイルド。 見事な男の生き様ですね。
面白かったです!(*´∀`*) でも、ちょっぴり疑問(´・ω・`) ホントに0.5%? かな?(笑) もっと確立上がりそう… でもアレかな。そういう下調べは協会でもっとちゃんとやってもらわないとってコ…
面白かったです! なんとなく、幕田卓馬文学の芯といいますか、一番硬派な部分がエンタメとして昇華された、という印象を持ちました。← ナニサマ、な感想ですみません… 風呂井戸、やはりフロイトからなのです…
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