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彩色主義

作者: 舛田 久

転んでもただでは起きないと言うのか、根っからの楽天家というのか。

私の友人に一人の画家がおります。

決して有名な画家などではございません。

それでもある種の才能があると見えて、非常に希有な能力を発揮することがございます。

あなた様が今、将来を非常に悲観されて、お力をお落としのご様子ですからひとつ私が聞かせてご覧に入れましょう。

なに、眠くなったら寝てしまっても構いませんよ。

半分は独り言のようなものです。

ははは、そうもいきませんか。


その画家は、仮にW氏としておきましょうか、彼は若い頃、そう丁度あなたと同じくらいの頃、やっと職業画家になりました。

彼は幼い頃から、そのデッサン力には目を見張るものがありました。

いやなに、実は私の幼なじみなのですよ。

しかし、絵がうまいと言っても、そうそう仕事があるわけではございません。

W氏はそれでも運良く、創刊したての文学雑誌の中に、自分の絵を使ってもらえる事になったのです。


今にして思えば、芸術家らしくなく、人あたりの良い、結構にひょうきんな男でしたよ。

え?もう亡くなったのかって?いえいえ、生きてますよ。

これはこれは、変な言い方をしたようですな。

W氏は今も立派に生きております。

ただ今の彼を見てもあなた様の参考にはならないでしょう。

その意味では、W氏は既に死んでしまったとも言えますな。

とにかく彼は職業画家となって、生活も軌道に乗り始めました。

そんなとき、悲劇は起こったのです。

いえ、突然に起こったわけではありません。

彼は徐々に色を失っていってしまったのです。

いわゆる色盲ですな。

初めのうちは本人も気がつかなかったようです。

雑誌に載せる絵もいつもいつも色付きの絵ではありませんから、周りの人々も白黒の絵を見てもW氏の色盲に気付かなかったのです。


ところがある時、一頁いっぱいいっぱいの大きさの、色付き挿し絵を描くことになりました。

普段と同じように白いケント紙に描かれた湖の絵でした。

月明かりのさす湖に、女がたたずんでいる絵です。

その本来青黒くあるべき湖面が、あろう事か赤黒く塗られていたのでございます。

「潜む想い」と名付けられたその絵は、非常に評判がよろしゅうございました。

赤い湖が、冷たく上品そうな女の裏側に潜む激しい本性を感じさせる、と絶賛されたのです。

ところがW氏の胸中は複雑そのものでした。

考えてもご覧下さいませ。

自分が低く評価されるのも苦痛ですが、色を間違えた自分の絵が素晴らしいと言われているのです。

実力以上の賞賛は彼を苦しめたことでしょう。


次の月、その雑誌はW氏にまた、一頁の発表の場所を与えました。

彼は後に話しています。

「あの時は自暴自棄、全てを白状するつもりだった」と。


彼は、完全なる色盲となった目で絵を描きました。

まず、絵の具のラベルを全部剥がして、レッドだとかパープルといった表示を放棄したのです。

そして、純粋にパレットの上に絞り出した絵の具の濃淡イメージを頼りに、絵を作り出したのでございます。

題名は確か、「白状」だか「告白」だか、そんな意味あいのものだったはずです。

彼はその絵が真相の全てを語ると信じていました。

これで職業画家としての経歴にも終止符が打たれることを、確信していたそうでございます。


その雑誌が発売になった頃、既に画材道具は片付け、田舎に帰る準備を始めていたそうですが、他の美術雑誌二誌から、新たに連載の注文が舞い込んだのでございます。

予想のつかない色使いでありながら、完璧なデッサンとコントラストで描かれたそれは、他に例を見ない斬新な手法と絶賛されました。

画家にとっての命とも言える色が自分の目から失われ、絶望のどん底にいたW氏はしばらくの後、これがまたとない好機であることにようやっと気が付きました。


W氏は無我夢中で作品を描き続けました。

絵はどれも独創的で、確かに斬新な個性を感じさせました。

色盲であることで日常生活にささやかな障害もあったようですが、絶望が希望に変わった彼の行動は自信に満ちておりましたから、周りの人々もW氏の不可解な行動も計算づくの個性的行動と捉えておりました。

W氏は当時の雑誌相手の職業画家としては、破格の活躍を遂げたのでございます。


そんな折、治療しても治る見込みがない、と医師に言わしめた色盲がある日突然治ってしまったのです。

徐々に色を失っていったのと違って、朝目を覚ました時、いきなり総天然色が目に飛び込んできて目眩がしたそうでございます。

やがて落ちつくとW氏は自分の作品群を何気なく手にとって再び目眩に襲われました。

一体自分はどうしてこんなスタイルの絵を描いたのか、いえ、おっしゃるとおり、色盲状態で描いたことは本人も承知しているのですが、余りにも想像を超えた作品だったのです。


色を取り戻したW氏は、それらの作品に迫力と同時に嫌悪感を覚えました。

なにしろその余りに自由な色合いに、全く自覚が無いのですから。


彼は普通の色使いで、美しい風景画を発表しました。元々画力のある作家です。悪い作品ではありませんでした。

しかし、非情にも世間からは全く受け入れられませんでした。

人々が望んでいたのは非常識とも思える、あの色使いなのです。


W氏が悩んだのは言うまでもありません。

しかし、悩んだ末再び色盲画を描く決心をしたのです。

もう一度、色盲画家の味を出すために、彼はビデオカメラを使い、白黒モニタを見ながらでたらめの色を使って絵を描いています。

もちろん制作現場を誰にも見せることはありません。

いささか滑稽な感じもしますが、W氏は運命に弄ばれながらも、決してくじけず新たな未来を切り開こうと工夫しているのです。


いかがですか。

あなたにも、いいえ、私たちみんなにとってささやかな提案になる行動だとは思われませんか。


おや、本当に寝てしまったようですね。

どうやら不眠症の悩みは解決したようですな。


終わり

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