第7話 エリーナとの陰謀解決、和解
薄闇に包まれた森の中、アレンたちは身を潜めながら前進した。木々の隙間から先を見ると、小高い丘の上に苔むして崩れかけた古びた砦がそびえている。帝国の紋章を掲げた旗が夜風にはためき、中から松明の灯りが漏れていた。
「ここが帝国の施設か…」アレンが低い声で呟いた。「見張りがいる。静かに近づこう」
鬱蒼と茂る下草をかき分け、三人は砦の石壁へと慎重に接近した。幸い砦の石壁の一部は苔むして崩れかけている。しばらく息を潜めて様子を窺う間、アレンは高鳴る心臓の鼓動を感じていた。甲冑の足音が近づき、そして遠ざかると、その隙を突き、ガルザがそっと壁に取り付き、驚くほど軽々と登り始める。「行くぞ、アレン、リリア」低く囁き、彼は上から手を差し伸べた。アレンとリリアも続いてよじ登り、三人は城壁の陰に身を潜めた。
中庭を見下ろすと、数十人の帝国兵が武装して立っているのが見える。周囲には檻が並び、中に人影がうごめいている。「捕虜…?」アレンの胸がざわめいた。罪なき人々が囚われ苦しめられている現実に、彼の拳は怒りに震える。だが今は堪え、様子を窺う。かすかにうめき声も聞こえる。兵士の一人が檻を蹴りつけ、「黙れ、異端者ども!」と怒鳴った。怯えたように中の人影が縮こまる。ガルザの瞳が怒りに燃えた。「捕らえられているのは…獣人族か?」
苔むした石壁の上から、アレンたちは固唾を飲んで見守った。薄暗い檻の中には、獣人族らしき者や耳の尖ったエルフらしき姿も混じっている。男女問わず縛り上げられ、衰弱している様子が一目で分かった。兵士は檻の中の獣人を槍で突き、「おとなしくしていろ」と吐き捨てる。アレンは息を呑んだ。周囲の地面には血の跡がこびりつき、いくつかの小さな遺体まで横たえられている。
その時、中庭に甲高い声が響いた。「準備はいいか? 今宵、計画の仕上げに入る!」
鎧に身を包んだ壮年の将軍が姿を現した。威圧的な眼光で部下たちを一瞥し、檻の方へと歩み寄る。その足元には血のような赤で描かれた魔法陣が広がっており、中庭全体に不気味な紋様が刻まれていた。続いて瘦せぎすの魔導士風の男が書物を抱えて付き従う。アレンは息を呑んだ。月明かりに浮かぶ将軍の顔は酷薄で、その胸甲には黒い狼の紋章が刻まれている。「あれが司令官か…?」
ガルザの身体が小刻みに震えている。その瞬間、ガルザの脳裏に忌まわしい記憶が蘇った。燃え盛る故郷の村、逃げ惑う仲間たち…そして冷笑を浮かべながら剣を振り下ろす黒甲冑の男。「やめろ!」幼い妹の叫び声。ガルザが駆け寄ろうとした刹那、全ては炎に吞み込まれた…。
「まさか…ヴォルフ将軍…!」ガルザは押し殺した声で憤怒と憎悪を滲ませた。(ガルザの仇…奴か!)アレンも怒りに拳を固める。
ヴォルフ将軍は檻の前で立ち止まり、中の獣人たちを嘲るように見下ろした。「感謝するんだな、お前たちの命は帝国の繁栄の礎となるのだ」
傍らの魔導士が恭しく頭を下げる。「素材の準備は万端です、将軍。今宵満月の下、彼らから抽出した精気をもって、大樹のエネルギーを転用する儀式を開始できます」
「ふん、手間をかけさせおって」将軍は鼻で笑った。「だがこれで帝国はさらなる力を得る。世界樹の力も我ら人間の掌中に落ちるのだ!」
「貴様…!」ガルザが堪え切れず低く唸った。その声にアレンははっとして振り向いたが、遅かった。ガルザは燃え滾る怒りに突き動かされ、壁の上から一気に飛び降りた。「ヴォルフーーッ!」
巨体が地響きを立てて着地し、砦の中庭に怒号が轟いた。突然の獣人の出現に兵士たちがどよめく。「何者だ!」「侵入者だ、捕えろ!」
「ガルザッ…!」アレンもすぐさま腰の剣を抜いた。「リリア、行こう!」
リリアが頷き、二人も壁の上から飛び降りる。着地と同時にアレンは兵士たちに向かって叫んだ。「この非道を今すぐやめろ!」
兵士の隊長らしき男が剣を抜き放ち、嘲笑った。「何者か知らんが、ここで朽ち果てるがいい!」
ヴォルフ将軍は目を細め、ガルザを一瞥した。「ほう…その顔、どこかで見た覚えがあるぞ。貴様、あの時の生き残りか?」
ガルザの瞳が憎悪に燃え上がる。「忘れたとは言わせねえ…俺の村を焼いた張本人、貴様だけは許さん!」
ヴォルフは嘲るように嗤った。「吠えていろ。貴様もすぐあの村の連中と同じ末路だ」そう吐き捨て、部下に手を振った。「こやつらは貴様らに任せる。私は儀式の準備に入る。時間を稼げ」
将軍は魔導士を従えて中庭を横切り、奥の建物へと悠然と姿を消した。
「逃がすか!」ガルザは咆哮し、将軍を追おうとする。しかし次々と兵士たちが押し寄せ、行く手を塞いだ。ガルザは猛然と大剣を振るい、一人、また一人と帝国兵をなぎ倒す。
アレンもまた懸命に剣をさばき、迫る刃を受け流した。一太刀がアレンの肩先をかすめたが、彼は歯を食いしばって踏みとどまった。剣撃の合間から隙を見つけ、柄で相手の頭部を打ち昏倒させる。「道を開くんだ!」
リリアは後方で素早く詠唱を紡いだ。「ウィンド・カッター!」鋭い風の刃が奔り、兵士たちをまとめて吹き飛ばす。悲鳴が上がり、数人が地に倒れ込んだ。剣戟の音と怒号が砦にこだまし、揺れる松明の炎が乱舞する影を壁面に映し出す。囚われていた者たちは檻の中で固く抱き合い、恐怖に震えていた。
それでも帝国兵の数は多い。「ば、馬鹿な…」明らかな内輪揉めに士気は下がったとはいえ、次々に援軍が駆けつけてアレンたちを取り囲む。ガルザは猛然と突進すると、残る兵士たちを薙ぎ倒した。立ち向かってきた者はその巨体と剛力の前に次々と吹き飛ばされる。それでもガルザの腕や胴には幾筋もの血が滲んでいたが、彼は荒れ狂う獅子のごとく怯むことはなかった。怯んだ敵兵がクロスボウを構え、エリーナに狙いを定める。「危ない!」ガルザが咄嗟にその兵士に体当たりし、矢を外れさせた。自分を救った形になった獣人に、エリーナは驚いた表情で一瞬視線を交わす。ガルザは照れくさそうに鼻を鳴らした。「借りを返しただけだ!」エリーナは微かに笑みを浮かべ、「助かった」と短く礼を言った。
その時、砦の正門が内側から勢いよく開かれた。「何事だ!」鋭い女の声が響き、数名の騎士が中庭に駆け込んでくる。先頭に立つのはエリーナだった。彼女は乱戦の光景に目を見張った。ちょうどその瞬間、一人の帝国兵が檻の中の獣人に剣を振り上げている。「黙らせてやる!」
「やめろ!」エリーナは即座に駆け寄り、その兵士の剣を自分の剣で受け止めた。火花が散り、兵士はぎょっとして後退する。「エ、エリーナ様…?」
「貴様、何を…なぜ捕虜を斬ろうとする!」エリーナが凄まじい剣幕で問い詰めると、兵士は戸惑いながら答えた。「し、司令官の命令で…奴らは実験材料で、生かしておく必要はないと…」
「実験材料だと?」エリーナの表情が愕然と歪んだ。その隙に兵士は剣を振り払い間合いを取ると、「裏切るのですか、エリーナ様!」と叫んだ。エリーナは一瞬揺らいだ。その胸を、帝国への忠誠と騎士の正義がせめぎ合う。しかし倒れた獣人の怯えた目が目に入り、彼女の迷いは氷解した。「騎士として、人々を守る。それが私の正義…たとえ帝国に背くことになろうとも!」エリーナは宣言し、兵士に剣先を向けた。
周囲の帝国兵たちは動揺した。「ば、馬鹿な…」露わになった内輪揉めに士気は地に落ちる。エリーナに従う騎士たちも困惑しつつも彼女の隣に剣を構えた。「エリーナ様についていきます!」と一人が叫ぶと、他の騎士も頷いた。かくして戦場は三つ巴から、帝国兵対アレンたち&エリーナ一行という構図に変わった。
アレンは信じられない思いでその光景を見ていた。かつて剣を交えた騎士が、今は共に弱き者を守っている――胸の奥に小さな希望が芽生えた。正義と信念があれば、種族の壁も越えられるのではないかと。「エリーナさん…」思わず名前を呼ぶ。
「話は後だ、アレン!」エリーナは短く言い放つと、近づく別の兵士の盾を叩き払い、一撃で地面に沈めた。「今は協力するしかないだろう!」
新たに加わったエリーナたちの援護で戦況は一気に傾き、帝国兵たちは次々と制圧されていった。やがて中庭に静けさが訪れた。帝国兵はほとんどが地に倒れ、呻き声だけが残響する。リリアは急いで檻へ駆け寄り、解錠の呪文を唱えた。「オープン!」錠が音を立てて外れ、扉が軋みながら開く。中の獣人やエルフたちが怯えた様子で身を寄せ合っている。「もう大丈夫です。私たちは助けに来ました」リリアが優しく声をかけ、中に手を差し伸べた。
エリーナも駆け寄り、水筒を取り出して衰弱した獣人の少女に差し出した。「飲めるか?」やさしく問いかける。その少女はおびえながらも、一口水を口に含んだ。エリーナの顔を見上げた瞳に、恐怖だけでなく確かな感謝の色が宿る。それを見て、エリーナの胸に熱いものが込み上げた。種族の壁など、もはや彼女の中で何の障害でもなかった。「ありがとう…ありがとう…」檻から救い出された初老のエルフが、震える声でアレンたちに礼を言った。エリーナは静かに頭を下げ、「礼には及ばないわ」と穏やかに答えた。
ガルザはエリーナを横目で見やった。「…見直したぜ、人間」
エリーナは苦笑し、ガルザに手を差し出した。「ありがとう。あなたもね」ガルザは一瞬きょとんとしたが、すぐに照れ臭そうにその手を握った。
「ヴォルフ将軍を追うぞ」ガルザが歯噛みしながら言った。怒りの中にも、先ほど共闘した仲間たちへの信頼が垣間見える声音だった。
「ええ、放っておけばまた恐ろしいことをしかねません」リリアもうなずく。
アレンはエリーナを見つめ、「……来てくれるかい?」と尋ねた。
エリーナは静かに息を吐き、毅然とうなずく。「もはや迷いはないわ。一緒に終わらせましょう、この暴虐を」彼女は部下の騎士たちに「皆を連れて一旦村へ戻って」と命じ、新たな仲間たち(先ほどまで囚われていた人々)の保護を託した。そしてアレンたちと共に砦の奥へと駆け出した。満月の光が、初めて一つとなった四人の背中を静かに照らしていた。




