第5話:ガルザとの共闘と友情
大地が微かに震え、空気を切り裂く咆哮が森の奥深くに響いた。アレンは喉元までこみ上げる緊張をのみ込み、手にした長剣を握り直す。ほんの数分前まで、彼とガルザは互いに刃を向け合っていた。しかし今、背中合わせに立つ二人に共通の敵が迫っている。黒甲冑の魔物どもがじりじりと間合いを詰めてきた。それらは帝国の錬金術師が生み出した合成獣らしく、甲高い金属音をたてて刃のような爪を振りかざしている。アレンとガルザは一瞬だけ目配せし、無言のまま頷き合った。それは短い出会いの中で初めて交わす、信頼の証だった。
「行くぞ!」ガルザの低い唸り声が合図となった。彼は大剣を横薙ぎに振り払い、迫り来る魔物たちを薙ぎ倒す。凄まじい腕力に乗った一撃で黒い甲冑が砕け、獣じみた咆哮が悲鳴に変わった。その背後からアレンが風のように駆け抜ける。「はああっ!」気合と共に繰り出した剣閃が一体の魔物の胴を斬り裂いた。返す刃でもう一体の腕を斬り落とし、なおも勢いを殺さず宙返りしながら距離を取る。
突如、青白い稲妻が一閃し、アレンたちに迫っていた別の魔物を貫いた。森の薄暗がりが瞬時、昼のように明るく照らされる。「援護するわ!」澄んだ声とともに、杖を手にしたリリアが木立の間から姿を現した。彼女はアレンの仲間で、精霊魔法を操る魔法使いだ。続けざまにリリアの詠唱が響き、緑の光の矢が放たれると、二体の魔物が光矢に貫かれ、煙のように消え去った。しかし、それでもなお巨躯の魔物が一体、血走った目で三人を睨み据えている。指揮役なのか、その怒りの咆哮に周囲の木々がざわめいた。
ガルザが大剣を構えて前に出た。「こいつは俺が――」言い終わるより早く、魔物が猛然と突進してきた。ガルザは渾身の力で剣を振るい一撃を叩き込む。だが鋼の鱗に覆われた敵の体は硬く、斬撃は浅い。魔物の巨大な爪が唸りをあげて振り下ろされる。「くっ…!」ガルザが咄嗟に剣で受け止めるも、強烈な衝撃に膝が沈んだ。その隙に魔物の尾がうなり、横合いからガルザをなぎ倒す。「ガルザ!」アレンが叫ぶ。ガルザは地面に転がり苦悶の声をあげた。魔物は容赦なく止めを刺そうと再び爪を振りかぶる。
瞬間、横合いからアレンが突撃した。身体ごとぶつかる勢いで魔物に斬りかかり、その注意を引き剥がす。「こっちだ!」アレンは挑発するように叫び、俊敏な動きで敵を誘い、自分の方へ向かせた。力任せに爪を振るう魔物の攻撃を紙一重でかわし続け、アレンは息を切らす。巨体の魔物相手では分が悪い。それでも時間を稼ぐように立ち回るうち、背後に殺気を感じた。「どけ、人間!」ガルザの怒号と共に、大剣が唸りをあげて振り下ろされた。アレンはとっさに身を低くする。直後、ガルザの渾身の斬撃が魔物の首元に深々と叩き込まれた。「これで終わりだ!」ずしん、と巨体が地に沈む。頭部を断たれた魔物は断末魔の嗚咽を漏らし、そのまま動かなくなった。ガルザは荒い息を吐き、黒い血を振り払うように剣を一振りする。「ふう…何とか倒したか」
アレンも安堵の息をつき、落としていた自分の剣を拾い上げた。リリアが木陰から駆け寄ってくる。「二人とも、大丈夫?」
「ああ…平気さ」アレンが笑みを浮かべ、そしてガルザに目を向けた。「ガルザ、助かったよ。君がとどめを刺してくれなければ危なかった」
ガルザは肩で息をしながらぶっきらぼうに答えた。「ふん、お互い様だ。お前が時間を稼がなきゃ俺がやられてた」そう言って短く笑う。
戦いが終わり、森に静寂が戻った。周囲には黒い血と砕けた甲冑の破片が散らばり、先ほどまでの死闘が嘘のように感じられる。アレンは荒い呼吸を整えながら、そっとガルザの方へ視線を送った。互いに傷だらけだった。つい先程まで刃を交えていた相手とは思えぬほど、不思議な連帯感が芽生えている。
「助かったよ、ガルザ」アレンが礼を述べると、ガルザは照れくさそうに鼻を鳴らした。「ふん、礼を言うのは俺の方だ。貴様らがいなければ危なかった」強がりの中にも感謝の色がにじむ。
アレンは肩で息をしながら問いかけた。「どうして僕たちに襲いかかってきたんだ? 俺たちが敵じゃないことは、今ので分かっただろう」
ガルザの表情が陰る。「……疑って悪かったな。お前たち人間が帝国の手先かと思った」
「帝国の手先?」リリアが静かに問い返す。「私たちは帝国とは関係ないわ。むしろ……」
ガルザは苦い表情で森の闇を睨んだ。「獣人の集落が帝国軍に襲われ、多くの仲間が殺された。俺は…復讐のために帝国の動向を探っていたが、逆に追われる身となってな。昨夜、帝国の兵どもに囲まれて逃げ延びたはいいが、この森でお前たちに出くわした。てっきり敵の増援か何かだと思ったんだ」
アレンはうなずいた。「そういう事情だったのか……俺たちも、この森の異変を追ってここに来たんだ。精霊たちの声が弱まっている。世界樹が沈黙し始めたという噂もある。帝国が何かよからぬことをしているのではないかと調べていて、君と出会ったんだ」
「世界樹だと?」ガルザが目を光らせた。「獣人族にとっても、世界樹は大地の母…それが危ないというのか」
リリアが神妙な面持ちで頷く。「ええ。さっきの魔物も本来この森にいるはずのない存在。それに戦いの最中、精霊の流れが不自然に乱れていた…帝国の術者が何かを企んでいる兆しかもしれないわ」
ガルザは拳を握りしめ、悔しげに吐き捨てた。「帝国め…奴らの仕業だったか」
アレンはガルザの横顔を見つめ、静かに言った。「敵は同じだ、ガルザ。俺たちと一緒に来ないか? このまま放っておけば、帝国はさらなる犠牲を生む。力を合わせて止めよう」
ガルザは黙り込んだ。長い沈黙の末、ぽつりと呟く。「…不思議なものだな。ついさっきまで斬り結んでいた相手と、こうも肩を並べることになるとは」そして口元にわずかな笑みを浮かべ、アレンに向き直った。「いいだろう。お前たちの剣と知恵…借りてやる。ただし俺の足は引っ張るなよ」
アレンは安堵して微笑んだ。「ありがとう、ガルザ」リリアも柔らかな笑みを浮かべる。「これからよろしくね」 ガルザがわずかに顔をしかめたのを見て、リリアがそっと歩み寄った。「傷を見せて。治療するわ」
「必要ない。これくらい平気だ」とガルザは強がったが、腕から流れる血は多かった。アレンも心配そうに覗き込む。「ガルザ、リリアの癒しの魔法はすごいんだ。任せてくれ」
少しためらってから、ガルザは黙って腕を差し出した。リリアが静かに呪文を唱えると、柔らかな緑光が傷口を包む。苦痛が和らぎ、裂かれていた肉がみるみるふさがっていく。ガルザは目を見張った。「…ありがたい。魔法使いに世話になる日が来るとはな」
リリアは微笑んだ。「敵も味方も関係ないわ。困っている誰かを放っておけないだけよ」
ガルザは照れくさそうに視線をそらした。これまで人間に助けられることなどなかったのだろう。微かな沈黙が三人の間に満ちた。やがて、アレンが口を開いた。「この森から少し離れた所で休もう。お互い傷もあるし、夜が明けてから動けばいい」
ガルザも無言でうなずいた。こうして奇妙な縁で結ばれた三人は、慎重に森を抜け出し、近くの小高い丘の上に陣取る。幸い夜までに追手は現れず、三人はようやく焚き火を囲み一息つくことができた。静かな森に、焚き火のはぜる音と虫の音だけが響いている。 赤々と燃える炎が揺らめき、木漏れ日のような明かりがガルザの横顔を照らし出す。灰色の獣毛に覆われた逞しい腕、いくつもの傷跡が刻まれた肌――初めて出会った時はその威圧的な姿にアレンも警戒したものだ。しかし今、炎の光に浮かぶ彼の瞳には疑いや敵意の影はない。代わりに宿るのは、仲間と認めた者だけに向ける穏やかな光だった。 アレンは火を見つめながら、おもむろに手を差し出した。「改めて、よろしく頼むよ、ガルザ」
ガルザは一瞬きょとんとしたが、すぐに豪快に笑って厚い手を握り返した。「ふん、こちらこそだ、人間」ざらりとした毛皮と固い掌の感触。しかしその握力には、友情の温かみが確かに込められていた。 静かな夜気の中、火の爆ぜる音だけがしばらく耳に心地よく響いた。ふと、アレンはガルザの横顔に目を向ける。先ほどまでの険しさは影を潜め、彼は炎を見つめて何か考え込んでいるようだった。
「ガルザ…」アレンが遠慮がちに口を開いた。「君の故郷のこと、聞かせてくれないか」
ガルザは少し驚いたように眉を上げ、それからゆっくりとかぶりを振った。「大した話じゃない。ただ、小さな集落だ。獣人だけでひっそり暮らしていた…幼い妹がいてな、好物は蜂蜜酒で煮たヤマイモだった」不意にくぐもった声になり、ガルザは拳を震わせた。「帝国の連中は突然現れて、容赦なく村を焼き払った。隊を率いていた帝国の将軍が嘲笑う姿が、今も瞼に焼き付いている。抵抗らしい抵抗もできなかったよ。あの日の煙と妹の泣き声が、今も耳から離れん。…俺はその将軍の名を絶対に忘れん。必ず仇を討つと決めたんだ」
「……そうだったのか」アレンは胸の奥が締め付けられる思いだった。炎に照らされたガルザの横顔に、一筋の涙が伝って消えるのが見えた気がした。アレンは言葉を探した末、静かだが力強い声で告げた。「絶対に許せない。帝国がそんな非道を繰り返すというのなら、僕たちが止めてみせる。君の妹さんの無念も、晴らそう」
ガルザはぶっきらぼうに鼻をすすった。「勝手に張り切りやがって…だが、礼を言う、アレン」その声は震えていたが、確かな友情の響きがあった。
リリアが優しく微笑む。「ガルザ、一人で背負い込まないで。私たちが一緒よ」
ガルザは照れ隠しに勢いよく薪を火にくべた。「ふん、甘い連中だぜ…」だがその横顔はどこか救われたように見え、アレンの胸にも温かなものが灯った。 やがてガルザがぽつりと尋ねた。「お前たちは不思議な組み合わせだな。人間とエルフが連れ立って旅をするとは、珍しい」
リリアが笑みを浮かべて答える。「確かにそうね。私がアレンと出会ったのは半年前。彼が森で魔物に襲われていた私を助けてくれたの」
「助けたなんて、大げさだよ」アレンが頬をかく。「あの時はたまたま近くにいて剣を振るっただけさ。おかげで僕も君の魔法に救われたんだから」
リリアはくすりと笑った。「ふふ、そうだったかしら。…でもあれが縁で、共に旅をすることになったの。世界樹の異変を感じ取った私にとって、アレンの目的は放っておけなかったから」
ガルザが興味深げに眉を上げる。「アレンの目的?」
アレンはゆっくりと頷いた。「ああ。俺は各地を巡り、世界樹の力が弱まっている原因を探っている。幼い頃から伝承を聞かされて育ったんだ。世界樹はすべての生命を見守る存在だと。だから、もしそれが失われれば世界はどうなるのか…放っておけなかった」炎の揺らめきの中で、アレンの瞳が決意にきらめく。「帝国のやり方にも、ずっと疑問を感じていた。彼らは人も自然も犠牲にし過ぎる。そんな未来は嫌なんだ」
ガルザは感心したようにうなずいた。「なるほど…お前みたいな人間もいるとはな。だからリリアもついて来たというわけか」人間への不信感を口にしないまでも、ガルザの声音にはどこか尊敬が混じっていた。
アレンは照れくさそうに首を振る。「大それたことじゃないさ。ただ、自分にできることをしているだけだよ」 夜は更け、満天の星々が森の梢越しに瞬き、朧月が銀の光を投げかけている。種族も生い立ちも異なる三人が、今は同じ火を囲み、同じ未来を語り始めていた。その様子をどこか遠くで見守るかのように、夜風が世界樹の方角から吹き抜けてくる。顔なき世界樹――この大地を見守る永遠の木は、静かに彼らの姿を星明かりに浮かび上がらせていた。その闇の中、小さな友情の芽がひっそりと息づき始める。それはやがて、世界樹のごとく大きな絆へと育ってゆくのだと、この時の彼らはまだ知らない。




