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第3話 魔族ゼオの襲撃

 木立を抜けると、目前に小さな村が広がっていた。夕闇迫る中、石造りの家々から漏れる灯りが温かく揺れている。アレンとリアナは安堵の表情を浮かべ、互いに頷き合った。  


村人たちは見知らぬ旅人の到来にやや驚いた様子だったが、リアナの姿を認めるとさらにざわめきが広がった。精霊族の来訪など滅多にないことだったからだ。「まあ…精霊様かい?」と白髪の老女が目を丸くし、子供たちが半分好奇心、半分畏れといった様子で遠巻きにこちらを見つめている。  


アレンは軽く手を振って笑顔を見せ、警戒しないよう努めた。「こんばんは。突然お邪魔してすみません。日が暮れてしまって…」  


「おやおや、旅の方かね」杖をついた小柄な老人が人垣を割って進み出た。村長らしい。皺深い顔に穏やかな笑みを浮かべている。「こんな辺境にようこそ。夜道は危ない、この村でよければ泊まっていきなされ」  


厚意に甘え、アレンたちは村の広場へと迎え入れられた。焚き火に照らされた丸太の椅子に腰を下ろすと、村長が温かいスープを振る舞ってくれた。リアナが静かに礼を言うと、村人たちはその澄んだ声に聞き惚れたようにしばし言葉を失った。  


やがて村長が口を開いた。「精霊族のお嬢さん、お初にお目にかかる。わしはこの村の長老じゃ。何か神聖な用向きでここに?」  


リアナは一瞬迷うようにアレンを見た。アレンは軽く頷き、村長に向き直る。「実は、世界樹に関する旅をしています。世界樹の様子がおかしいという話を聞いたことはありませんか?」  


長老は驚いたように眉を上げた。「世界樹が…? いや、そんな話は初耳じゃが…」  


周囲の村人たちも一様に首を傾げる。アレンは少し落胆した。田舎の村では、世界樹の異変など届いていないのだろうか。  


しかし、長老はふと思い当たったように続けた。「…いや、そういえば今春は妙に森からの恵みが少なかった。山菜や獣が例年より獲れなくてのう。作物の実りも芳しくない。年のせいかと思っていたが…もしや」

「それは…世界樹の加護が弱まっているせいかもしれません」リアナが静かに告げると、長老は神妙に頷いた。「精霊族がそう言うなら、何かあるのじゃろうな…。わしら人間には感じ取れぬことも多いが…」  


「他に、この辺りで何か変わったことは? 魔物が出たとか…」アレンが尋ねかけたとき、不意に若者が割って入った。「そういえば、最近森の奥で奇妙な影を見たという者がおりますぜ」


それは焚き火の明かりを浴びた屈強な青年だった。村の狩人だろう。「昼間なのに真っ黒い人影が森を横切って消えたとか…。妖怪の類じゃと皆怖がってますが、もしや魔物の仕業かと」  


「魔物…」長老は渋面を作った。「確かに、昔話じゃこの辺りにも魔族が現れたとか聞いたことはある。じゃが千年以上前のことじゃろう? 今さら魔族など…」  


リアナとアレンは顔を見合わせた。千年前といえば、精霊族と魔族が大戦を繰り広げたという古の時代だ。それ以来、魔族は封印されたとも伝えられる。しかし世界樹の異変がそれを解いている可能性があると、二人は考えていた。  


「用心するに越したことはないようじゃな」長老は呟き、周囲の村人に声をかけた。「夜の見回りを強化せい。念のため、皆も火を絶やさんようにな」  


やがて夜更けになり、村人たちはそれぞれの家に戻っていった。アレンとリアナも宿代わりにと借りた納屋の干草の上で横になった。朧月が雲間から顔を出し、静かな夜が村を包んでいる。  


「魔族、出てこないといいけれど…」アレンがぽつりと呟くと、隣で横になっていたリアナが小さく答えた。「もし現れても、大丈夫。私たちがいるもの」その声は眠気を含みながらも凛として頼もしかった。アレンも「そうだね」と微笑み、一日の疲れを瞼に感じつつ目を閉じた。  


どれほど眠っただろうか。耳元で甲高い悲鳴が聞こえ、アレンははっと目を覚ました。外が騒がしい。赤い光が隙間からちらつき、煙の匂いが鼻を刺す。「火事…?」朦朧とする頭を振り払い、アレンは立ち上がった。  


「リアナ、起きて!」隣の干草で眠っていたリアナの肩を揺さぶる。リアナもすぐに目を覚まし、事態を察したように頷いた。二人は納屋の扉を押し開け、外へ飛び出した。  


村は炎に包まれていた。先ほどまで静寂に満ちていた夜が、一変して地獄と化している。家屋の一つが激しく燃え、その火が周囲に燃え移ろうとしていた。泣き叫ぶ子供を抱えて逃げ惑う母親、武器になりそうな鍬を手に必死で走る男たち。その視線の先には——暗闇の中に蠢く無数の影があった。  


人間ではない。背の低い醜悪な緑色の皮膚の小鬼——ゴブリンたちだ。十体以上はいるだろうか。彼らは牙を剥き出しにして笑い、手にした棍棒で家々の戸を打ち壊していた。「魔物だ! 魔物が出たぞ!」誰かの叫び声が夜空に響く。  


「行きましょう!」リアナがすばやく呪文を紡ぎ、空中に光の紋様を描いた。すると大気が震え、上空から鋭い氷の槍が降り注いでゴブリンたちを次々と貫いた。甲高い悲鳴と共に数体が地に崩れ落ちる。  


アレンも腰の短剣を抜き放ち、燃え盛る家の前で怯えて動けない老人のもとへ駆け寄った。「早く、こっちへ!」老人を支えて安全な場所へ誘導する。別の方向では村の若者たちが鍬や斧で必死に応戦していたが、相手の数に押されつつあった。  


「リアナ、村人を守りながら戦おう!」アレンが叫び、リアナも「ええ!」と応じた。二人は手分けして走り回り、混乱する村人たちを安全な場所へ逃しつつ、次々と現れるゴブリンに立ち向かった。リアナの放つ風と氷の魔法が群れを蹴散らし、アレンも短剣で斬りかかって負傷したゴブリンを仕留めた。恐怖を感じる暇はない。身体が熱く火照り、奇妙な興奮がアレンを突き動かしていた。  


だが、一際大きな咆哮が轟き渡り、二人は思わず足を止めた。広場の奥、炎に照らされた黒煙の中から、一体の巨大な影が現れたのだ。全身を漆黒の甲冑に包み、背にはコウモリのような翼を広げている。頭には鋭い角が二本、逆立つ銀髪の隙間から突き出していた。人の形をしているが、その目は血のように赤く爛々と輝いている。  


「魔族…!」リアナが苦々しげに呟いた。アレンも直感した。これまでの小鬼とは格が違う邪悪な存在だと。黒甲冑の魔族は低く笑い、腰に帯びた大剣に手をかけた。「下等な人間どもめ…我がゼオの剣の露と消えるがいい!」  


魔族ゼオが翼を大きく羽ばたかせ、一気に宙を舞った。次の瞬間には大剣を振り下ろし、逃げ遅れていた若者を真っ二つに斬り伏せていた。血飛沫が石畳に散り、周囲の村人たちが恐怖に凍りつく。「なんて速さ…!」アレンは愕然とした。  


「許さない…!」リアナが怒りに声を震わせ、両手を掲げる。「精霊の槍よ、貫け!」彼女の呼びかけに応じ、大気中のマナが凝縮して眩い光の槍を形作った。それが音を立ててゼオに向かって飛んでいく。だが——。  


ゼオは嘲笑うように手を翳し、黒い障壁を展開した。光の槍は障壁に阻まれ、砕け散ってしまった。「小賢しい…精霊風情が我に刃向かうとはな」ゼオは憎悪に満ちた視線をリアナに向けた。「封印の時代は終わったのだ。貴様ら精霊族も人間も、この世界は我ら魔族が頂く!」  


リアナは悔しげに歯噛みした。「やはり…魔族の封印が解けて復活を…」  


言い終わる前に、ゼオが次の攻撃に移っていた。漆黒の翼を広げ、空から一直線にリアナへ斬りかかる。巨大な剣が煌めき、リアナは間一髪で横に跳んで躱した。しかしその頬に一筋、血の線が浮かぶ。わずかな差で斬られていたのだ。「リアナ!」アレンが叫ぶ。  


ゼオはそのまま地面に着地すると、今度はアレンへと冷たい視線を向けた。「貴様も精霊に与するか、人間風情が…目障りだ」  


凍てつく殺気に、アレンの身体が竦んだ。だがここで怯んではリアナが危ない。アレンは短剣を握り締め、勇気を振り絞ってゼオの前に立ちはだかった。「人間を、僕たちを侮辱するな!」  


「ほう…面白い。ならば真っ先に貴様から血祭りにあげてやろう」  


ゼオが邪悪な笑みを浮かべ、剣を横薙ぎに振るった。鉄塊のような大剣が唸りを上げて迫る。アレンは必死に短剣で受け止めようと構えた。しかし、力の差は歴然だった。衝撃で短剣は弾き飛ばされ、アレンの身体は吹き飛ばされて石畳に叩きつけられた。  


「ぐっ…」激痛に視界が滲む。ゼオがゆっくりと近づき、止めを刺そうと大剣を振り上げるのが見えた。——次の瞬間、リアナがゼオの背後から渾身の風刃を叩き込んだ。「今よ、逃げて!」  


ゼオは僅かによろめいたが、すぐに振り向き様にリアナへ掌をかざした。「黙れ、小娘が!」暗黒のエネルギー弾が放たれる。リアナは回避しきれず、直撃を受けて地面に崩れ落ちた。「リアナーッ!」  


アレンの胸が張り裂けそうになった。立ち上がろうにも全身が痛み言うことを聞かない。ゼオは再びアレンに向き直ると、冷酷に剣を突き立てようとする。——その瞬間、アレンのペンダントが眩い黄金の光を放った。  


「うおおおおおっ!!」アレンは自身でも信じられないほど大きな叫び声を上げていた。身体の奥から熱い奔流が溢れ出す。ペンダントからほとばしった黄金の光はアレンの全身を包み込み、眩いオーラとなって燃え上がった。ゼオの剣が光のバリアに阻まれ、びたりと空中で止まる。「なに…!?」ゼオの顔に初めて驚愕の色が浮かんだ。  


アレンは立ち上がっていた。自分の意思とは無関係に身体が宙に浮き、両目が眩い黄金に輝いている。遠くでリアナが目を見張っているのが見えた。「やめろおおお!!」叫ぶと同時に、アレンの周囲に無数の光の粒子が集まり奔流となってゼオへ襲いかかった。  


光の奔流は槍のようにゼオを貫き、黒甲冑が砕け散る。ゼオは絶叫し、たまらず大きく後退した。「ぐっ…貴様、一体…!」信じられないというように目を見開いている。アレン自身も茫然としていた。自分が何をしたのか理解できない。ただ怒りと悲しみが融合した感情のままに叫んだだけだったのに——。  


「覚えていろ…!」ゼオは悔しげに呻き、全身から闇の瘴気を放出した。次の瞬間、黒い霧が立ち込め、彼の姿がかき消される。風が霧を払い去ったとき、ゼオの姿は既にそこになかった。  


残ったゴブリンたちは主を失い蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。村に再び静けさが戻った。しかし、燃え落ちる家屋や倒れ伏す村人たちが、先ほどまでの惨劇の現実を物語っていた。  


アレンは光のオーラを失い、その場に膝をついた。全身の力が抜け、ひどい疲労感に襲われる。リアナが駆け寄り、彼を支えた。「アレン、大丈夫!?」  


「ああ…僕は平気…」声が震える。自分でも信じられないことをしたという恐怖と困惑が胸を支配していた。だがリアナは安心したように頷き、優しく微笑んだ。「ありがとう…あなたが止めてくれたのね」  


周囲では生き残った村人たちが集まり始め、互いの無事を確認し合っていた。怪我人のうめき声が上がり、泣き崩れる者の姿もある。長老も血まみれの腕を押さえながらこちらへ歩み寄ってきた。「助かった…命の恩人じゃ…。精霊様、そしてお主も…」  


アレンは何も答えられなかった。ただ俯き、震える手を見つめていた。自分の中にこんな力が眠っていたのか? あの瞬間、確かに世界が自分の怒りに呼応したかのようだった…。  


リアナがアレンの肩に手を置いた。「あなたは大丈夫。今は…生き残った人々を助けましょう」  


アレンははっと顔を上げ、そして強く頷いた。そうだ、自分たちにできることをしなくては。二人は急ぎ負傷者の手当てに走り出した。悲嘆と混乱のただ中で、人々は二人に縋るような視線を向けていた。アレンは胸の痛みを噛み殺し、今はただ目の前の命を救おうと懸命に動いた。  


夜が明ける頃、ようやく火は鎮まり、村には静寂が戻っていた。焼け跡から朝日が昇り、煤けた大地を薄く黄金に染めていく。アレンとリアナは傷ついた人々を介抱し、亡骸に布をかけて回った。その顔は悲しみに曇りつつも、決意の色を帯びていた。  


瓦礫の傍らで、アレンは拳を固く握りしめた。「魔族…絶対に放っておけない」怒りと悔しさが低く滲む声で漏れる。リアナがそっと彼の隣に立った。「ええ…私たちで必ず止めましょう。世界樹のためにも、人々のためにも」  


朝焼けの空の下、二人は炎の消えた村を背に静かに立っていた。その胸には新たな使命感が燃え盛っていた。世界樹を蝕む闇の存在——魔族ゼオ。その脅威を前に、アレンは己の宿命と力を自覚し始めていた。旅は更なる試練へと続いていく。それでも彼らの決意は揺らがない。昇りゆく朝日を見つめながら、二人は誓った。必ずや世界樹を救い出し、魔の手からこの世界を守ってみせる、と。

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