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第32話 終わりと始まりのエピローグ

朝陽が高く昇り、静寂な森に一陣の涼風が吹き抜けた。世界樹の根元には、小さな焚き火の煙が細く昇っている。アレンはゆっくりと瞼を開けた。朽ちた木の幹にもたれ、昨夜からそこで眠っていたらしい。薄青い空が視界に広がり、鳥たちの囀りが微かに耳に届く。「…もう朝か…」アレンは呟き、ゆっくりと身を起こした。全身に包帯が巻かれ、鈍い痛みが走るが、命に別状はないようだ。


「アレン、気がついたのね」優しい声がして、リアナが傍に駆け寄った。彼女の瞳には涙の粒が浮かんでいる。アレンは微笑んで頷いた。「心配かけたね…もう大丈夫だよ」そう言うと、リアナは安堵したように深く息をついた。「無茶なんだから…」弱々しく笑って見せる彼女の顔にも、苦闘の名残が疲労として刻まれている。


ふと、焚き火のそばに視線を向けると、ゼオとエリーナが腰を下ろしていた。ゼオは自分の腕に巻かれた包帯を確かめ、エリーナは弓の手入れをしている。二人とも泥にまみれ傷だらけだが、その表情は晴れやかだった。アレンが小さく手を振ると、ゼオがにっと笑った。「やあ、よく眠れたか英雄様?」軽口にアレンも苦笑で返す。「おかげさまでね…君たちのお陰で目覚めることができた」ゼオは照れくさそうに鼻をこすった。「大袈裟だぜ、お互い様だろうがよ」  


エリーナもにっこりと微笑んだ。「ゆっくり休めたなら良かったわ。酷い怪我だったんだから」彼女は優しく言い添えた。アレンは肩を回し、まだ少し残る痛みに顔をしかめた。「皆は大丈夫かい?」心配そうに尋ねると、ゼオが豪快に笑った。「俺たちなら平気さ! 多少くたばりかけたが、この通り生きてる」そう言って親指を立てる。エリーナもコクリと頷いた。「痛みは残っているけれど…平気よ。それより、ようやく少し落ち着いたわね」  


四人は世界樹の根元に並んで腰を下ろした。森には静かな朝の光が降り注いでいる。長かった戦いは終わり、今ようやく訪れた安息の時が彼らを包んでいた。誰もがぼんやりと朝空を見上げ、言葉もなく過ぎ行く雲を眺めた。 


静けさの中、アレンの脳裏にこれまでの旅路の記憶が去来した。故郷を後にした日、仲間たちとの出会い、幾度も乗り越えた危機と奇跡の数々…。その一つ一つの出来事が今の自分たちを形作り、そしてこの勝利へと繋がったのだろう。  


リアナがそっと口を開いた。「終わったのね、本当に…」その声には安堵と寂しさが入り混じっていた。アレンは隣の彼女を見つめ、小さく微笑んだ。「ああ…終わったんだ」自分にも言い聞かせるように呟く。闇の司祭団との長い戦い——それは確かに幕を閉じたのだ。  


ふいに、エリーナが涙ぐんだ。「でも…あまりにも多くのものが失われてしまったわ」彼女の脳裏には、旅の途中で見た滅びた村々や、傷ついた人々の姿が浮かんでいた。「司祭団に襲われた街の人たちも、もう戻らない…」遥か彼方の空には、なお黒い煙が細く立ち昇っている。声を詰まらせるエリーナの肩に、リアナがそっと手を置いた。「ええ…本当に。でも、私たちはきっと乗り越えていける」震える声でそう告げると、ゼオも静かに頷いた。「ああ、これからは俺たちが取り戻す番だ。傷ついた故郷も、大地も、絶対に再び立ち直らせてみせるさ」 


アレンは拳を握りしめ、小さく頷いた。「俺たちは、その人たちの分まで未来を紡いでいこう。彼らの犠牲を無駄にはしないさ」静かながらも決意に満ちた声が朝の空に溶けていった。  


アレンは静かに立ち上がり、目前にそびえる世界樹の幹を見上げた。その表面には無数の罅が刻まれ、ところどころ煤けて黒く焦げている。かつて神秘的な輝きを放っていた大樹は、今はただ静かにその存在を晒していた。「世界樹も…痛ましい姿だ」アレンが独り言のように呟く。リアナが隣で眉を曇らせた。「世界樹はこの先どうなるのかしら…。枯れてしまったら…世界への影響は計り知れないわ」  


誰も答えられなかった。世界樹は世界そのものと命を共有している。もし完全に枯れ果ててしまえば、生命の循環が立たれるかもしれない——そんな不安が胸をよぎる。四人は大樹の静かな幹に手を触れ、その鼓動を感じ取ろうとした。


「…生きているよ」しばらくして、アレンがぽつりと言った。目を閉じ、樹皮に耳をあてている。「世界樹は死んでいない。まだ、ちゃんと息づいている」確信に満ちた声でそう告げると、リアナがはっと目を見開いた。「本当なの…?」アレンは頷いた。「ああ…感じるんだ。微かだけれど、力強い鼓動を」彼の言葉に、ゼオとエリーナも顔を見合わせて笑みを浮かべた。「さすがだな、アレンにはちゃんとわかるんだ」ゼオが誇らしげに笑う。エリーナも涙を拭いながら微笑んだ。「良かった…希望はまだあるのね」  


アレンは世界樹の幹にそっと手を当てた。掌の下で脈打つ温かな気配。それはまるで、感謝とエールを送ってくれているかのようだった。アレンは小さく囁いた。「約束するよ…俺たちが必ず守る。君が再び緑に輝く日まで…」誰にも聞こえぬような誓い。それでも世界樹はそっと葉を揺らし、光の粒が一つ舞い降りてきた。  


ゼオが立ち上がり、大きく伸びをした。「さて、と。俺はまずは町に戻って、皆に報告しないとな。司祭団の呪縛が解けたって知らせてやらないと」彼は照れ隠しのように笑う。「それに…崩れた城壁を直すのに人手がいるだろうしな」 ゼオは焚き火にくべた小枝を軽く蹴り、静かに言った。「俺は剣の腕しかない半端者だったが…これからは誰かを守るために刃を振るおうと思う」 エリーナは遠くを見つめ、小さく息を吐いた。「私…初めは憎しみだけを胸に旅をしていた。でも皆と過ごすうちに分かったの。誰かを恨むより、一人でも多くの人を救いたいって」 エリーナはにっこり微笑み、朝日に光る森を眺めた。「私も各地を巡って人々を手助けしたいわ。悲しみに暮れる人がいたら、少しでも寄り添いたいの」彼女の瞳には強い意思が宿っている。  


リアナは穏やかに微笑んだ。「旅に出る前の私は臆病な学者だった。でも皆のおかげで戦う勇気をもらえたわ。だから…」 リアナはそっと大樹に寄り添った。「私はしばらくここに残ろうと思うの。この世界樹を見守りたいの」彼女はそっと大樹に手を当てる。「世界樹と共に祈るわ…もう悲劇が繰り返されないように、って」アレンはそんなリアナの横顔を見つめ、小さく頷いた。「僕もここに残ろう。世界樹が元気になるまで、支えたいんだ」それは彼の正直な気持ちだった。世界樹から授かった不思議な力は、今も胸の奥で脈打っている。それが導くように、彼もまた大樹と運命を共にしようと決めていた。  


ゼオが眉を上げて笑った。「おいおい、そいつはずるいぜアレン。英雄様を独り占めか?」冗談めかしてウインクする。その言葉にリアナとエリーナがくすくすと笑った。アレンも肩を竦めて微笑する。「はは、いつかはきっと皆のところにも顔を出すさ」ゼオは「当然だ」と頷いた。「俺たちはずっと仲間だぜ。困った時はすぐ呼べよな!」エリーナも明るく返す。「ええ、私たちみんなでまた会いましょう!」  


その時、世界樹の幹からぽとりと何かが落ちた。リアナが不思議そうにしゃがみ込む。「これは…?」それは小さな翠色の芽だった。世界樹の厚い樹皮の割れ目から、新芽が一つ顔を出している。朝日の中で透き通るように輝く若葉。「新しい芽…世界樹が…」リアナが感極まった声をあげる。エリーナも瞳を輝かせた。「枯れてなんかいなかったのね…生き続けているんだわ!」 四人はしばし言葉を失ったまま、その小さな芽に見入った。か細いながらも確かな命の息吹。それは紛れもなく、この世界が脈打ち続けている証だった。  


アレンはゆっくりとその芽に触れた。小さいが確かな命の温もりが指先に伝わる。「そうさ…世界樹は不死なんだ。この大地と共に、何度でも蘇る」彼がそう言うと、ゼオが豪快に笑った。「ああ、俺たち人間だって負けちゃいられねえな!」四人は顔を見合わせ、声を上げて笑った。希望に満ちた笑い声が、朝の静かな森にいつまでも響いていった。  


傷ついた大地にも、やがて草花が芽吹き、森は再び甦るだろう。無貌の世界樹は新たな季節を迎え、失われた歳月の痛みを乗り越えて、更なる歴史を紡いでゆくに違いない。長い長い闇夜を超えた先に、約束のような煌めく未来が広がっている。そう、彼らは信じていた──永遠に色褪せることのない希望の物語を胸に刻みながら。

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