第31話 魂を紡ぎし共闘の果て
リアナは微かな地鳴りの中で意識を取り戻した。全身に鋭い痛みが走り、彼女は苦悶の声を漏らす。瞼を開けると、世界樹の麓に横たわる自分の身体が見えた。周囲の空気は焦げた臭いと魔力の残滓に満ちている。朧げな視界の中、リアナはゆっくりと身を起こした。「…ここは…」割れた大地、焦げ付いた木々——凄絶な戦いの痕跡が広がっていた。
「リアナ! 無事か?」少し離れた場所からゼオの声が飛んだ。見るとゼオも地面に倒れ伏していたが、何とか起き上がろうとしている。エリーナも近くで膝をつき、額の汗を拭いながら辺りを見回していた。三人はかろうじて生き延びたのだ。「私は…平気よ。」リアナは痛む体に鞭打って立ち上がり、二人のもとへ駆け寄った。
「アレンは…?」ゼオが周囲を見回して言った。その名にハッとして、リアナも辺りを探る。だが、どこにもアレンの姿は見当たらない。「まさか…」嫌な予感が胸をよぎる。エリーナが指差した。「あれを見て!」彼女の指先の先——世界樹の上空にぽっかりと漆黒の裂け目が浮かんでいた。異様な風が唸りを上げ、そこから闇と光が入り混じった奔流が渦巻いている。
「虚無の門…まだ開いてるのね。」リアナが青ざめた顔で呟いた。オルドゥスが開いた異界への門は閉じていない。ということは、その中で今も戦いが続いているのだ。「アレンが…あの中で戦っている!」ゼオが拳を握りしめ、悔しそうに歯噛みした。エリーナは頷く。「急がなきゃ…アレンを助けに行きましょう!」
ゼオは一瞬目を閉じ覚悟を決めると、決然と顔を上げた。「行くぞ!」言うが早いか、彼は世界樹の根に走り、足場を蹴って虚空の門へと跳躍した。「待って、ゼオ!」リアナが咄嗟に叫ぶが、ゼオの姿は闇の渦へ消えていく。「私たちも…!」エリーナがリアナの手を強く握った。リアナは大きく頷く。「ええ…行きましょう!」二人は同時に駆け出し、聳え立つ世界樹の根から闇の裂け目へ飛び込んだ。
暗黒の異界に足を踏み入れた瞬間、猛烈な魔力の奔流が三人を出迎えた。全身に押し寄せる圧力に息が詰まる。それでもゼオ、リアナ、エリーナは必死に前方を見据えた。「あれは…!」リアナが叫んだ。荒れ狂う漆黒の空間の只中で、翠色の光が瞬いている。その光を中心に、アレンが闇の奔流に押し潰されそうになっていた。
「アレン!!」ゼオが声を張り上げる。こちらには気づかないのか、アレンは崩れかけた光の障壁を必死に支えている。仲間たちの胸に焦燥が走った。リアナは即座に杖を構え、呪文を紡ぎ始める。「来たわよ、アレン!」エリーナも懐から光の矢を取り出し、弓に番えた。ゼオは抜き身の剣を強く握り締める。
次の瞬間、リアナの詠唱が完了した。「エイミス・シールド!」彼女の張り上げるような声とともに、淡い金色の魔法陣が虚空に浮かび、アレンの周囲を包み込んだ。リアナの防御魔法が光の障壁を補強し、闇の奔流を跳ね返す。「やった…!」彼女は歯を食いしばりつつ魔力を注ぎ込んだ。
オルドゥスの竜眼が不意に三人の存在に気づいた。『貴様ら…!』轟音のような怒声が異界に響く。闇の竜は障壁への魔力砲撃を中断し、代わりに新たな標的へと殺意の眼を向けた。巨体を翻し、まずは空中のエリーナへ鋭い爪を振るう。「きゃあっ!」エリーナは間一髪で宙に身を捻り、爪撃をかわした。
「隙だらけだぜぇ!」ゼオが猛然と飛びかかり、竜の側面へ剣を叩き込んだ。ガキンッ!と硬質な音が響き、黒い鱗が幾片も砕け散る。『小癪な虫ケラが…!』オルドゥスが憤怒の咆哮を上げ、尾を振り払ってゼオを弾き飛ばした。ゼオの体が暗闇に投げ出される。「ぐぁっ…!」彼は何とか体勢を立て直したが、唇から血が滴り落ちる。
しかし、その間にエリーナが狙いを定めていた。「はぁっ!」清廉な掛け声とともに放たれた光の矢が、漆黒の闇を切り裂いた。矢は一直線に竜の左目へ吸い込まれる。「グギャァァッ!」命中——竜の片目が砕け、血飛沫と闇の炎が迸った。暴れる巨体がのたうち、空間そのものが震える。
「今よ、アレン!」リアナが声を張り上げた。ゼオも傷だらけの体で歯を見せて笑う。「全部終わらせてやれ!」エリーナもうなずき、次なる矢を番える。 その瞬間、四人の心は固く結ばれ、一つの魂となって光を紡いだ。
翠の光が爆ぜ、闇を薙ぐ閃光が奔った。仲間たちの声に応じて、アレンの中の力が再び燃え上がる。「終わりにする! これが僕たちの…想いだ!」アレンは渾身の跳躍で虚空を駆け上がった。聖剣が眩い光を帯び、音を震わせる。オルドゥスは残った片目を見開き、闇の炎を吐きかけようとした。しかし遅い——アレンの眼にはもはや迷いはなかった。
「はぁぁぁぁっ!」魂の咆哮とともに、アレンは一直線に竜の胸元へと突き進んだ。ゼオが竜の脚を斬り払い、リアナの放った光の鎖が敵の動きを束縛する。さらにエリーナの最後の矢が闇の鱗を貫き、黒い胸甲を砕いた。砕けた胸甲の奥で、闇色の核が脈動しているのが見える。「ここだ…!」アレンは煌めく刃を竜の胸の奥、心臓たる闇の核へと突き立てた。
閃光と爆音——異界に奔る翠と漆黒の光がせめぎ合い、やがて凄絶な炸裂を起こした。「グアァァァ……!」断末魔の叫びが闇の空間に木霊する。アレンは剣を押し込みながら歯を食いしばった。「これで…終わりだ…!」剣に込められた世界樹の光が核を穿ち砕くと、竜の巨体は内側から崩れ始めた。
砕け散る影の鱗——漆黒の殻が破れ、中から人の姿が現れた。オルドゥス本来の姿である痩せ細った老司祭が、崩壊する闇の只中に立っていた。彼の顔からは憑き物が落ちたように狂気が消えている。ぽろぽろと涙をこぼしながら、オルドゥスは朝日の差し始めた空を見上げて呟いた。「…なんと美しい…朝だ…」その言葉はかすかに微笑む口元とともに闇に溶け、老司祭の身体は塵となって崩れ落ちていった。
パァンッ——と何かが弾ける音がした。暗黒の渦が音もなく消え去り、一瞬にして辺り一面が朝の光に満たされた。気づけばアレンたちは世界樹の根元に立っていた。冷たい朝の風が頬を撫でていく。闇に閉ざされていた空は、東の空から薄明の光を広げ始めていた。
「終わった…のか?」ゼオが呆然と呟いた。あの禍々しい闇も竜の影も、すべて消え去っている。朝焼けの下、静寂だけが彼らを包んでいた。エリーナが震える声で答える。「ええ…終わったのよ。私たち…勝ったんだわ…」彼女の頬を涙が伝い落ちる。それを見て、リアナの瞳からも大粒の涙が溢れた。「良かった…本当に…良かった…!」三人はお互いの無事を確かめ合うように抱き合った。
アレンは静かに剣を降ろし、仲間たちの方へ向き直った。疲労は極限に達していたが、その顔には安堵の笑みが浮かんでいる。「みんな…ありがとう。君たちのおかげだ」かすれた声でそう言うと、ゼオが大きく首を振った。「礼なんて野暮だぜ、アレン」そして破顔すると、大きな笑い声を上げた。「はははっ! 俺たち…やったんだな!」その笑い声に釣られて、エリーナもリアナも笑顔を取り戻した。喜びと安堵が波のように広がっていく。
だが——戦いの爪痕はあまりにも深かった。世界樹は見る影もなく無残に傷ついている。巨木には無数の罅が走り、先ほどまで感じられた生命の輝きは今やほとんど感じられない。辺りの森も荒れ果て、地面には暗い煤が降り積もっていた。この戦いであまりに多くのものが失われたのだ。数多の命が消え、幾つもの故郷が失われた。その犠牲は計り知れない。
リアナがすすり泣きを抑えながら呟いた。「世界樹は…このまま枯れてしまうの…?」誰も答えられない。あの不死の象徴であった世界樹が、今は命を失ったただの巨木のように立ち尽くしている。エリーナが小さく震えた声で言った。「もし世界樹が死んでしまったら…世界はどうなってしまうの…?」 アレンはふらつく足取りで世界樹の幹に手を触れた。粗く乾いた樹皮にはひび割れが広がり、その奥から微かに緑の光が漏れている。「まだ…生きている」アレンは目を閉じ、静かに言った。胸の内に残る世界樹の鼓動が、かすかだが確かに感じ取れる。「世界樹が…あなたに? 一体…」リアナは驚いたように世界樹に手を当てた。アレンは頷いた。「世界樹は死んでいない。まだ…ちゃんと息づいているんだ」彼の言葉に、ゼオが安堵したように笑った。「ああ…俺たちの勝ちだ」彼の声は歓喜とも安堵ともつかない震えを帯びていた。リアナは静かに涙を一粒流した。「やっと…終わったのね…」それは悲しみとも喜びともつかない複雑な涙だった。
アレンは立ち上がり、皆の顔を順に見渡した。傷だらけの顔、疲弊しきった身体——だが確かに、生きてここにいる仲間たち。「ありがとう…みんな」アレンは絞り出すように言った。その言葉に、ゼオがぶっきらぼうに手を振る。「礼は後にしようぜ。それよりアレン、お前……今の戦い、いったい何が…」
ゼオの問いに、アレンは一瞬言葉を詰まらせた。自分でもはっきりとは分からない。ただ、あの時感じた世界樹の声と力。それが自分に宿り、勝利をもたらしたのだと。「世界樹が…僕に力を貸してくれた。そうとしか言えないんだ」正直にそう告げると、仲間たちは驚いたように互いの顔を見合わせた。
リアナがそっと世界樹に手を触れた。「世界樹が…あなたに? 一体…」その先を言葉にできず、彼女は黙り込んだ。アレンも答えを持たない。ただ胸の奥に温かな光の残滓を感じるだけだった。それは今も微かに脈打ち、彼らを見守っているような感覚——世界樹の意志が、共にあるような安心感であった。
東の空が白み始めていた。長い戦いの夜が明けようとしている。「帰ろう、皆」アレンは優しく言った。その言葉に、ゼオが大きく頷く。「ああ、帰ろうぜ。待ってる奴らがいるんだからな」エリーナとリアナも微笑み、互いに支え合うように歩き出す。傷ついた体に鞭打ちながらも、彼らの足取りには確かな充足感があった。
やがて四人は、世界樹を後に森の中へとゆっくり消えていった。背後には、ひび割れながらも聳え立つ世界樹のシルエットが静かに見守っていた。新たな朝の光がその梢を黄金色に染めていく中、闇の司祭団との最終決戦は幕を閉じたのだった。




