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第29話 最終決戦、限界への死闘

聖なる世界樹の麓に、闇が満ちていた。ねじれた木の根が大地を穿ち、空には黒雲が渦巻いている。その中心で、無貌の世界樹は鈍く不気味な輝きを放っていた。幾千もの夜を抱え込んだような闇の中、アレンたちは息を潜め、最後の戦いの場に立っている。  


周囲では闇の司祭団の信徒たちが不気味な詠唱を続け、陰鬱な声が大気を震わせていた。儀式の瘴気が立ち込め、鼻を刺す。アレンは額の汗を拭い、剣の柄を固く握りしめる。傍らにはゼオ、リアナ、エリーナが武器と魔法を構え、沈痛な静けさの中で互いの気配を感じ取っていた。誰も言葉を発しない——それでも、視線を交わすだけで意思は伝わる。ここで止めねば未来はない、という決意が。


「来るぞ……」アレンが低く呟いた。その刹那、世界樹の根元に据えられた巨石の祭壇の上で、一人の黒衣の男が両腕を広げるのが見えた。闇の司祭団を束ねる導師——オルドゥスが静かに口元を歪めると、空間そのものがきしむような音が響く。周囲の闇が形を成し、四方に巨大な影の壁がそびえ立った。


「よくぞここまで来た、愚かな子らよ」導師の乾いた声が轟く。瘦せこけた顔に狂気の笑みを浮かべ、彼は嘲るように続けた。「だが世界樹は選ばれし者のみを招くだけ。貴様らには何一つ為す術などないわ…」その言葉に続いて、大地が轟音と共に震えた。


無数の黒い蔦が地面から噴き出し、鞭のように四人へ襲いかかってくる。アレンたちは飛び退いてかわしたが、蔦は生き物めいて蠢き、瞬く間に四人の間へ生い茂った。闇の壁と蔦が入り乱れ、視界も声も遮断される。「くっ…皆!」アレンは仲間の名を叫んだ。しかし返答はない。闇の迷宮が彼らを切り離してしまったのだ。「無事でいてくれ…」アレンは独りごち、剣を構え直した。  


闇の中から、ざり…と衣擦れの音がした。アレンは息を呑み、音のした方に剣先を向ける。暗黒の蔦が割れ、一人の巨漢が姿を現した。黒い甲冑に全身を包んだ屈強な男。手には刃こぼれの大剣を携えている。その目が不気味に赤く光り、アレンを値踏みするように睨んだ。


「貴様がアレンか…」男は低く唸るように言った。「我らが教団をここまで追い詰めた小僧め。だがここから先は行かせん。我が名はグラディオ。闇の刃として貴様を葬ろう!」そう言うと、グラディオは咆哮し大剣を振り上げた。


「お前たちの野望はここまでだ!」アレンも怒りを込めて叫び、剣を構える。次の瞬間、巨躯が地響きを立て突進してきた。大剣が空を裂き、風圧がアレンの頬を斬る。紙一重でかわしながら反撃の刃を振るった。しかし、甲冑に命中した感触は鈍く、致命傷には至らない。「効かない…!」驚く間もなく、敵の肘がアレンの腹部に叩き込まれた。


「ぐはっ—!」肺から息が吐き出され、アレンの身体は吹き飛ばされた。転がりながら何とか立ち上がろうとするも、全身が痺れ視界が滲む。強烈な一撃に内臓が軋む痛み。アレンは歯を食いしばり、膝に手をついて踏ん張った。「まだ…終われない…!」己に言い聞かせるように呟き、震える足に力を込める。


だがグラディオの追撃は容赦がない。大剣が頭上から振り下ろされる。アレンは剣を縦に掲げ、かろうじて受け止めた。火花が散り、激烈な衝撃が両腕を痺れさせる。「ぐっ…!」膝が地面に沈みかけた。その剛力は凄まじく、刃が軋む音が耳を打つ。(このままでは押し潰される…!)絶望が胸をよぎった。  


その時だった。闇の壁の向こうで閃光がほとばしり、女性の怒声が木魂するのが聞こえた。「光よ、穿て!」——リアナの声だ。仲間の気配に、アレンの胸に再び闘志の火が灯る。「皆…負けるな!」彼は歯を食いしばり、渾身の力で大剣を押し返した。  


巨漢の体勢が崩れた一瞬を逃さず、アレンは素早く踏み込み剣を突き出す。「はあっ!」刃は鎧の継ぎ目を正確に捉え、グラディオの脇腹へ深々と刺さった。ほとばしる黒い血に、男が獣のように咆哮する。アレンはすぐさま剣を引き抜き飛び退いた。


「貴様…!」憤怒に駆られたグラディオが大剣を振り回す。痛みを物ともせず狂乱する姿に、アレンは息を呑んだ。常人ならば立てぬ傷のはず——それでもこの男は怯まないのか。互いに距離を取り、睨み合う。アレンの息は既に上がり、全身に鈍い痛みが広がっていた。一方グラディオは傷から血を滴らせつつも凶器じみた笑みを浮かべている。  


(まだ倒れられない…!)アレンは剣を握る手に力を込めた。ここで自分が負ければ全てが終わる。ゼオもリアナもエリーナも、それぞれ死闘を繰り広げているはずだ——そう思うと、不思議と恐怖は消えていた。胸の奥に熱いものが込み上げる。  


一方その頃——闇の迷宮に隔てられた別の一角では。  


リアナは黒い法衣をまとった魔導師と対峙していた。女の長い銀髪が狂気に乱れ、その掌には紫電が躍っている。「可愛い子猫ちゃんね。ここで朽ち果てる覚悟はいい?」嘲るような声に、リアナは唇を引き結んだ。


「あなたには負けない…!」震える心を奮い立たせ、リアナは杖を握る手に力を込める。女魔導師はかすかに眉を上げ、指を鳴らした。瞬間、稲妻の蛇がうねりをあげて放たれる。「きゃっ!」リアナは転がるようにそれを避けた。背後の地面が爆ぜ、土煙が上がる。  


立ち上がる間もなく、再び雷光が襲う。リアナは防御の魔法を展開し、間一髪で雷撃を凌いだ。しかし衝撃で膝をつく。「これで終わりよ!」女魔導師が勝ち誇る声を上げる。高く掲げられた手に巨大な雷槍が生まれた。そのまま振り下ろされる——「…だませないで!」リアナは叫び、光の羽根を背に発現させた。  


雷槍が直撃する刹那、彼女の姿はふっと消える。精霊の加護による瞬間的な飛翔で間一髪致命を免れたのだ。女魔導師の顔に驚愕が走る。「なっ…何?」上空から降り立ったリアナは、最後の力を振り絞り杖を突き出した。「消えて…!」迸る純白の閃光が魔導師を貫いた。  


絶叫と共に女魔導師の身体が崩れ落ちる。焦げた法衣からは瘴気が立ち昇り、辺りに血の匂いが漂った。リアナは荒い息を吐きながらも、かろうじて立ち尽くす。全身の力が抜けそうになるのを必死に堪え、杖を支えに踏みとどまった。「まだ…終われない…」彼女は震える声で自分に言い聞かせるように呟いた。  


同じ頃、ゼオもまた孤独な戦場に立っていた。周囲の闇を睨み、「出て来い!」と声を張り上げる。すると静寂を切り裂くように、一筋の斬撃がゼオの背に襲いかかった。辛うじて身を翻して受け止める。火花が散り、忍び笑いが闇から聞こえた。


「なかなかの反応だな…」闇の中からしなやかな剣士が姿を現した。黒装束に能面のような無表情の男。その細身の剣が血を滴らせている。ゼオの肩口に浅い傷が走った証だ。「貴様がゼオか。噂通りの手練れと見える」男は冷たく呟いた。  


ゼオは傷口を気にも留めず剣を構え直す。「ああ、俺がお前の相手だ…名乗る気はあるか?」軽口を叩きながらも、その瞳は獲物を狙う猛禽のごとく鋭い。男は薄く笑った。「シオン…お前を地獄に送る者だよ」  


名乗ると同時に、シオンの姿が霞んだ。ゼオは寸分違わず剣を振るい、間一髪で迫る影の刃をいなした。「ははっ、楽しませてくれる!」シオンが狂気じみた笑みを浮かべ斬り結ぶ。剣戟の閃光が闇に咲き、金属音が響き渡った。  


高速の攻防に、ゼオの腕も痺れ始める。(このままじゃ埒が明かねぇ…)互いに軽い傷を与え合い膠着状態だった。ゼオはニッと笑みを作った。「そろそろ決めようぜ…!」自ら懐へ飛び込む大胆な一撃。シオンが目を見張り防御を固めた瞬間、ゼオの剣から炸裂音が響いた。細工した火薬が爆ぜ、閃光が視界を奪う。「なにっ—!?」シオンが怯んだその時、ゼオの拳がうなりを上げ男の腹部に炸裂した。


「ぐふっ…!」沈んだ呻き声。ゼオはなおも怯まず、肘で追撃を叩き込む。シオンの体が崩れ落ちた。「終わりだ…」ゼオは荒れた息を吐き、敵の剣を蹴り飛ばすと拳を振り上げた。「これが…正義ってもんだ!」振り下ろされた拳がシオンの意識を闇に葬り去った。  


ゼオは膝に手をつき、荒い呼吸を整えた。傷だらけだが生きている。(やったぜ…)薄く笑みが漏れる。だが気は抜けない——仲間たちはどうなった?ゼオは闇の壁に触れてみた。するとそれは霧散し、先にかすかな光が見えるではないか。彼ははっと顔を上げた。  


そこには、エリーナの姿があった。彼女は獣のような異形の大男と対峙している。黒い鱗のような皮膚に覆われた巨漢が、牙を剥いてエリーナに襲いかかっていた。「エリーナ!」ゼオは声を張り上げる。だが距離がある。今から駆けつけても間に合わない。  


エリーナは目前の怪物から必死に間合いを取っていた。長い戦いで矢も魔力もほとんど使い果たし、手に残るは一本の短剣のみ。巨体の敵にまともに刃が通るとは思えない。それでも諦めるわけにはいかなかった。(私が倒れたら、皆に顔向けできないわ…!)自身を鼓舞し、震える足に力を込める。  


獣のような男が雄叫びを上げ、巨腕を振り下ろした。エリーナは転がるようにそれを避けたが、背後には巨大な世界樹の根が迫っている。もはや逃げ場はない。「これで終わりだ!」怪物が頭上から拳を叩きつけてきた。エリーナはとっさに横へ跳んだ。しかし完全には避けきれない。かすめた衝撃に身体が弾かれ、地面に叩きつけられた。「…あぁ…」息が詰まる。立ち上がらねばと思うのに、身体が言うことを聞かない。  


怪物が勝ち誇ったように唸り、止めを刺さんと手を振り上げた。その時だった。エリーナは震える手を懐に伸ばすと、小さな光球を取り出した。「えいっ!」残る全魔力を込めて投げつける。それは閃光弾となり、怪物の目の前で炸裂した。「グォッ!」眩い光に怯んだ巨漢の動きが止まる。  


エリーナは渾身の力で立ち上がった。「これで…終わりよ!」彼女は跳躍し、怪物の巨躯に飛びかかる。閃光でできた一瞬の隙——エリーナの短剣が正確に敵の喉元へ突き立てられた。「ガァァ…!」血の泡を噴き、怪物がのけ反る。エリーナは地面に転がりつつ距離を取った。刹那、巨体が地響きを立てて崩れ落ちる。  


荒い息をつきながらも、エリーナは震える脚で立ち上がった。「は…はぁ…」目の前には動かなくなった敵の体。その腕が痙攣し、ぱたりと力無く地に落ちたのを見届けると、彼女は思わず崩れ落ちそうになるのを堪えた。(やった…生き残ったんだわ…)安堵に涙が滲む。しかし、まだ終わりではない。この先に導師オルドゥスが待ち構えているのだ——。


「エリーナ!」遠くから声がする。ゼオがようやく駆け寄ってきたのだった。その後ろにはリアナの姿も見える。皆傷だらけだが、生きている。エリーナは胸に熱いものが込み上げ、笑みを浮かべた。「ゼオ、リアナ…良かった…!」  


そこへ、「アレン!」リアナが闇の裂け目にもう一人の人影を認め、名を呼んだ。立ち現れたのは、鎧に血を滴らせながらも剣を手にしたアレンだった。彼もまた死闘を制してここに戻ってきたのだ。アレンは仲間たちを見回し、深く息を吐いた。「みんな…無事か?」ゼオが冗談めかして親指を立ててみせる。「ああ、ぎりぎりでな」「なんとかね…」エリーナとリアナも微笑んだ。  


四人は傷だらけの身体で再会を喜び合った。だが安堵も束の間、世界樹の方から不気味な気配が沸き起こった。「…!」アレンが顔を上げる。いつの間にか闇の壁と蔦は消え去り、司祭団の導師オルドゥスが宙に浮かび上がっていた。漆黒の法衣に闇のオーラをまとったその姿は、人ならざる威圧感を放っている。


「よくも私の眷属たちを…」オルドゥスの声は怒りに震えていた。彼は四人を見下ろし、忌々しげに呪詛を吐く。「だが、所詮は塵芥。今この場で始末してくれる…!」そう言って両手を広げると、周囲の闇が渦巻き彼の身体に集まっていく。世界樹から漏れる緑光までも闇に染まり始めた。


「まずい…!」アレンは全身に粟立つのを感じた。凄まじい魔力の奔流が導師を中心に膨れ上がっていく。「世界樹が…泣いている…?」エリーナが震え声で呟いた。緑光は揺らぎ、不安定に瞬いている。まるで世界樹そのものが悲鳴を上げているかのようだ。


オルドゥスの詠唱が頂点に達した。「虚無の門よ、開け!」彼が高らかに叫んだ瞬間、世界樹の幹に亀裂が走った。大地が唸り、空気が悲鳴を上げる。次の瞬間——轟音とともに衝撃波が四方に炸裂した。アレンたちは為すすべなく吹き飛ばされ、地に叩きつけられる。  


全身に激痛が走り、意識が遠のく。空間が歪み、空には漆黒の穴がぽっかりと開いていた。そこから溢れる闇の奔流が世界を塗り潰していく。「くっ…」アレンは倒れ伏しながらも顔を上げた。周囲に仲間たちの姿が見えるが、皆身動きしない。かろうじてゼオの手が微かに動いたのが見えた。「ゼオ…みんな…!」アレンはなんとか声を絞り出したが、それも虚しく掻き消されていく。  


辺り一面、闇。その闇に呑まれゆく中で、アレンは最後の力を振り絞り手を伸ばした。届いてくれ——そう願った瞬間、視界が闇に閉ざされた。  


そして世界が暗転した。

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