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第12話 獣人連合の内紛

闇に包まれた集落の中央広場は、松明(たいまつ)と焚き火の赤い光に照らされ、混乱の坩堝(るつぼ)と化していた。夜空には鋭く冴えた半月が浮かんでいたが、その青白い光も荒ぶる炎の輝きに霞んでいた。


一方の陣営の中心には虎族のザラクが猛然と吠え、もう一方には狼族の族長バルグが部下を従えて立ちはだかっている。双方の獣人から剥き出しの牙と爪、怒声と唸り声が上がり、今にも激突しそうな気配だった。


「皆、落ち着け!」バルグが重々しい声で呼びかける。「何を血迷ったか、ザラク。夜更けに騒動を起こして何とする!」しかしザラクは聞く耳を持たない。「黙れバルグ! 貴様は肝心の時に人間などという余所者を引き入れ、我らを危険に晒した!」その目は憤怒に燃えている。「俺たちはもう貴様には従えん! 今宵ここで貴様を引きずり下ろし、連合の在り方を改めてくれるわ!」彼の背後では同調する数名の獣人戦士が武器を振り上げて吠え立てた。


叛意(はんい)か…」バルグは悲しげに目を細めた。「ザラクよ、お前ほどの武勇の士が何故…」その言葉にザラクは嘲笑を浮かべる。「貴様が腑抜けだからだ、バルグ! 人間ごときに情けをかけ、精霊族などという絵空事に(すが)って…連合を危険に導いている!」周囲の獣人たちがざわめく。バルグ派とザラク派、それぞれに緊張が走り、一触即発の空気が漂った。


「どうしよう、アレン…!」リアナが息を呑む。アレンは歯噛みした。内紛が現実となり、真っ先に危惧していた最悪の事態が訪れようとしている。「放ってはおけない。止めるんだ!」アレンは決意を込めて叫ぶと、人垣の間に割って入った。「皆さん、やめてください!」彼の叫びに、一瞬だけ視線が集中する。異族の若者が争いに割り込んできたことに、誰もが驚いたようだった。


「お前たちか!」ザラクが忌々しげにアレンを睨んだ。「そうだ、元はと言えば貴様ら人間が混乱を招いたのだ!」彼は手にした大斧(おおおの)をギラリと光らせた。「今ここで血祭りにあげてくれる!」雄叫びとともにザラクが突進してくる。燃え盛る炎を背に、その虎の巨躯(きょく)が宙を舞うように跳躍した。


「来る!」ガルザが咄嗟にアレンを突き飛ばした。次の瞬間、ザラクの斧が地面を砕き、土砂が飛び散る。常人なら一撃で真っ二つにされていただろう。ガルザが素早く立ち上がり、ザラクに組み付こうとする。「裏切り者め、下がっていろ!」ザラクは膂力(りょく)に物を言わせ、ガルザを片腕で弾き飛ばした。ガルザの身体が転がり、苦悶の声が漏れる。


「ガルザ!」アレンは駆け寄り盾になるように前に出た。腰の剣を抜き放つ。鞘走った刃が(ほのお)を映して鈍く輝いた。ザラクは獰猛に笑う。「人間風情が俺と刃を交えるつもりか?」周囲ではバルグ派の獣人たちがザラクの手下と衝突し始めていた。吠え声、悲鳴、金属の音が入り混じり、広場は戦場と化している。「構うな! 長老を守れ!」バルグの部下が叫び、敵味方入り乱れての乱闘が激化していった。修羅場の中で、ガルザは己の仲間が倒れた敵兵に止めを刺そうとするのを身を(てい)して制し、「やめろ、これ以上は犠牲を出すな!」と怒声を上げていた。一方、アレンは心臓の高鳴りを感じながらも、震える手を必死に抑えて剣を構えた。「ザラクさん、お願いだ。もう争うのはやめてくれ!」必死の訴えも、猛り狂う虎には届かない。「うるさいわ!」ザラクの斧が唸りを上げて横薙(よこな)ぎに振るわれる。アレンは間一髪で身を屈めてかわした。背後で(くい)が真っ二つに叩き折られる。「はぁっ!」アレンは懸命に剣を突き出した。しかし厚い毛皮に覆われたザラクの腕は傷一つ負わず、逆に斧の柄で横殴りに打ち据えられる。「ぐっ…!」アレンの身体が横倒しに地面へ叩きつけられた。


目の前がぐらりと揺れ、口内に血の味が広がる。だがアレンは歯を食いしばって立ち上がった。「まだだ…!」彼の瞳に再び闘志の炎が灯る。倒れた仲間たちの姿と、これまで築いた絆が脳裏をかすめる。リアナやガルザ、精霊郷で誓い合った思い…。全てが胸で燃え盛り、もう一度立ち上がる力となった。全身が悲鳴を上げていたが、それでも倒れるわけにはいかない。ザラクが獲物を仕留めんと再び斧を振り上げた、その時だった。「やめてーっ!」リアナの叫び声が夜空に響いた。


リアナが両手を胸の前で組み、祈るような姿勢をとっている。その唇が微かに動き、古き精霊の言葉を紡いでゆく。静謐な祈りの響きが戦場に落ち、彼女の周囲にいつの間にか淡い(みどり)の光が幾筋も立ち昇っていた。精霊の火…。アレンは朦朧(もうろう)とする意識の中でそれを認めた。「リアナ、危ない!」すぐ近くにいたザラクの仲間の(ひょう)族がリアナに跳びかかろうとしている。とっさにアレンは地を蹴った。剣は落としてしまったが、構うものか。渾身の体当たりで豹族を横から突き飛ばす。「下がってろ…!」豹族とアレンはもつれるように地面を転がった。


閃光とともに大地を割って無数の(つた)(うごめ)き生え出した。その蔦は夜闇に翡翠(ひすい)色の輝きを帯び、まるで生き物のように暴れ、ザラクの腕に絡みつく。「な、何だこれは…!」ザラクが驚愕(きょうがく)する。その隙を見逃すアレンではなかった。彼は転がった拍子に拾った盾を手に、渾身の力でザラクに体当たりを食らわせた。蔦に囚われた巨体がぐらりと揺らぎ、ザラクはついに地面に膝を突いた。


「ザラク、もう終わりだ!」バルグが前に出て宣言した。その声には悲しみと怒りがない交ぜになっていた。蔦が消えゆく中、周囲を見渡せば、戦いは次第に静まっていく。ザラクの手下たちも彼が倒れたのを見て戦意を喪失したのか、次々と武器を捨てた。残るは荒い息を吐くザラクのみである。


アレンは肩で息をしながらも、ザラクに歩み寄った。ざらつく喉から声を絞り出す。「ザラクさん…これ以上憎しみに身を委ねないでくれ。あなたが守りたいと思っているものは何だ? 家族や仲間ではないのか?」地に伏したザラクの耳がぴくりと動く。「今夜、仲間同士で傷つけ合ったこの事実をどう償うつもりだ? 犠牲になった者たちは戻らない。それでも仇を求めるなら、俺たち人間を討てば済むのか…?」アレンの問いかけに、ザラクは拳を震わせた。「俺は…ただ、皆が人間に騙されるのが許せなかっただけだ…!」


「気持ちは分かる」アレンは静かに言った。「僕たちも愚かで(ずる)い人間をたくさん見てきた。だが…皆がそうじゃない。異種族同士でもわかり合えると、僕は信じたいんだ。今日ここであなたを救おうとしてくれた仲間もいるじゃないか」そう言って彼は目線で示した。ザラクの傍らには、先ほどアレンが突き飛ばした豹族の戦士が寄り添っている。彼はザラクを支え起こしながら、小さく呟いた。「隊長…もう、やめましょう」その顔には涙の跡が光っていた。「俺たちは…あんたに生きていてほしいんです」


ザラクの猛り狂っていた瞳から、ふっと闘志の炎が消えた。代わりに深い疲労と痛みがにじむ。「…好きにしろ」彼は項垂(うなだ)れ、抵抗する意思のないことを示した。


こうして、短いが激しい内紛の火種は潰えた。負傷者の手当てが始まり、ザラクとその同志たちはバルグの命により拘束された。 その際、先程アレンに組み伏せられた豹族の戦士が一瞬足を止め、こちらを振り返った。彼は何か言いかけて止めたが、代わりに深く一礼する。その瞳にはわずかな感謝と敬意が宿っていた。アレンが静かに頷き返すと、戦士は安堵したように目を伏せ、拘束されていく仲間たちの列に戻っていった。もっとも、バルグは厳しい表情でありながらも「夜が明けたら話し合う」とだけ告げ、彼らの処遇をすぐには決めなかった。おそらく長年共に連合を支えてきた戦士たちを、頭ごなしに断罪したくはないのだろう。その胸中には複雑な思いが渦巻いているようだった。


夜明け前の静けさが、ようやく集落に戻ってきた。負傷した者たちのうめき声があちこちから聞こえる中、リアナは精霊の導きなのか湧き水を汲んできて治療に当たっていた。アレンも腕に浅い傷を負ったが、構わず手分けして負傷者を運ぶのを手伝っている。ガルザはそんな仲間たちの姿を黙って見守り、時折必要な指示を飛ばした。


「アレン殿」低い声に顔を上げると、バルグがすぐ脇に立っていた。老獣人の顔には数本の新しい傷が増えているが、その眼差しは穏やかだった。「この度の騒動、お主には世話をかけた。心から礼を言う」そう言って彼は大きく頭を下げた。アレンは慌てて首を振る。「頭をお上げください、バルグ様。僕たちはただ、皆さんに傷ついてほしくなかっただけです」バルグは微笑み、「その願い、確かに受け取った」と頷いた。「そなたの勇気と正しき心、しかと見届けた。…私は愚かだったよ。人間を遠ざけ、勝手に憎んでおった。そなたたちを見るうち、心の霧が晴れていったわ」


ガルザが横から声を上げた。「父上…」バルグは息子に目を向ける。「ガルザ、お前が連れてきた客人は宝だな。まさか命の恩人にまでなるとは」おどけて笑った。ガルザは照れくさそうに頭を掻く。「俺は何もしてないさ…全部、アレンたちのおかげだ」バルグはアレンとリアナに改めて向き直った。「リアナ殿。そなたの不思議な力にも救われた。精霊の加護というものか」リアナは少し恥じらいながらも静かに微笑んだ。「私自身の力ではありません。森と精霊が…心を貸してくれたのだと思います」バルグは感心したように何度も頷いた。


やがて東の空が白み始める頃、バルグは改めて高台に立ち、集まった獣人たちに宣言した。彼の足元には先の戦いで(たお)れた数人の戦士たちの亡骸が安置されており、その死を悼むかのように辺りは一瞬静まり返った。バルグは目を閉じ、短く祈ると、ゆっくりと口を開いた。「獣人連合は新たな道を歩む。我らは固い殻に閉じこもるのをやめ、外の世界と手を携えていく」傷ついた者たちを気遣い、声はそれほど大きくなかったが、その場にいた全員が耳を傾けた。「私は盟主としてここに誓う。人間の、精霊の、そしてすべての種族の真心を疑わず、共に明日の脅威に立ち向かうと」すると人々の間から、「オオオ…」とどよめきが起こり、次第にそれは誇り高き遠吠えへと変わっていった。狼族が先導し、他の種族もそれに続いて雄叫びを上げる。夜明けの空に響くその咆哮(ほうこう)は、新たな決意の声のようであった。


アレンは疲労困憊(こんぱい)の身体を感じながらも、その光景を眩しそうに見つめていた。隣ではリアナがそっと彼に寄り添い、小さな声で囁いた。「…ありがとう、アレン。あなたが居てくれたから、きっと皆救われたわ」アレンは照れくさそうに笑って首を横に振った。「礼を言うのは僕の方だよ。君やガルザがいたから、最後まで諦めずにいられたんだ」三人は微笑み合った。夜は明けつつあり、朝日がその輪郭を地平から現し始めた。黒々としていた森に光の筋が射し込み、凍てついていた空気が少しずつ緩んでゆく。辺りに立ちこめていた血と煙の匂いも、朝の風に乗って薄らぎ、代わりに湿った土と若葉の香が漂い始めた。アレンは東の空を仰ぎ見た。新しい朝、新しい旅立ちの気配がしていた。


こうして、長い夜は終わりを告げた。幾多の試練を乗り越えたアレンたちの旅路はなお続いていく。だが彼らの胸には確かな手応えがあった。異なる種族の心が通い合い、共に歩む希望。そして(はる)か彼方、無貌の世界樹もまた静かに揺葉(ようよう)を響かせ、彼らの行く末を見守っているかのようであった。その囁きは希望の調べとなり、夜明けの空へと静かに溶けていった。

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