破壊される場所
1.253円
湊「所持金、253円……。」
この街には他人の人生しかない気がした。
すれ違う誰もが、俺には書かれることのない小説の主人公に見える。
1冊分、いや、何冊も書けそうな濃い生き様を送っているんだろうな。
何度目だろう。
白い息を溶かしながら、地元のコンビニの裏で寒さを凌ぐ。
湊「働かなきゃな…。」
歯をカタカタ鳴らし、かじかむ手で求人サイトを徘徊していると、掲示板でこんな表記のものを見つけた。
「即日入寮可
農業支援施設 未経験大歓迎」
ーー寮付き 即日可。
夜を凌げる場所がある。
応募の理由には十分だった。
何度も面接に落ち、門前払いを食らっていた記憶が蘇る。何もせずに諦めるのだけは、
もう嫌だった。
応募ボタンを押した。
俺はまたコンビニの裏で一夜を過ごした。
時刻は昼の11時。
まともな社会人が少し早い休憩時間を取り、
昼食のパンなどを購入している。
情けない事に、俺はそれを眺める側だ。
ふと気付くと携帯にはSMSメッセージが入っていた。
昨日、寝る間際に応募した掲示板の主からだった。
「一度、会いませんか。」
就職連絡にしては妙に淡白で、どこか冷たいような雰囲気を感じた。
だが俺には「いいえ」という自由が無かった。
「お願いします。」
2.おっさん
中年のおっさんだった。
気付けば話はトントン拍子で進み、おっさんの
運転する軽トラの助手席でタバコをふかしていた。
車内はカビ臭く、ラジオさえも流れていない。
口数は少なく、俺の質問にはほとんど答えなかった。
どんどん山奥へ入り、車内の圧が変わる度に
耳が詰まる。鬱陶しい。
おっさん「ついたぞ」
何時間、車を走らせたのかわからない。
気付けば電波は途絶え、ここの地名もわからない。
俺の目の前には廃れた建物だけがあった。
錆びた門扉。
古びた看板には「管理棟」とだけ、擦れたマッキーで書かれていた。
おっさん「おーい!!新入りだぞー。」
気怠げにおっさんがそう言っても誰も応じない。
小さく舌打ちするとおっさんは扉を開けた。
湊「(空いてんのかよ…)」
玄関にはとてつもなく汚れた土まみれの靴が
何足もあった。もちろんバラバラで並べた様子なんて微塵も感じられない。
湊「(まじかよ…)」
おっさん「新入りだぞー。」
中に並ぶ2段ベッド。薄いカーテンの奥から、突然すべての目がこちらを覗いた。
8つの視線。無言。
そして再び、一斉にカーテンが閉じられる。
その無言の挨拶が、最初の“違和感”だった。
おっさん「仲良くやれよー。」
そう言い残すと、おっさんは軽トラを運転し、
どこかへ行った。
3.岡本と名乗る男
どうすればいいかもわからず、呆然と立ち尽くしていると目の前にあるベッドのカーテンが開いた。
痩せこけた顔。頬は骨張り、笑顔は空虚。
まるでガイコツが動いてるかのようだった。
「岡本だよ。よろしくね。君のベッドはそこじゃないかなぁ〜。」
岡本 と名乗る男はやけに陽気に案内をしてくれた。
どうやらこの男が案内役のようだ。
湊「あ、はい…。ありがとうございます…。」
ベッドに腰掛け、荷解きをした。
と言っても、荷物も大してないのだが。
何をやっても長続きせず、親からも「いつまでも甘えるな」と絶縁された。
それでも生きていたいという感情だけは、
なぜかずっと手放せなかった。
「ここでなら、俺も…」
そう思いながら、今日は寝る準備をした。
翌日、いよいよ作業開始だった。
起きてからはご飯の支給はなく、初めて1人ずつ同じ作業員の顔を見た。
だが見事に全員どこか生気がなく、それなのに陽気だった。やけに違和感を抱いた。
ラジオ体操が終わり、自己紹介をした。
湊「湊です。寺山湊です。本日からよろしくお願いいたします。」
岡本「いいねぇ、若いのは。よろしくね。」
機械のようにリズムが揃っていた。その拍手も、不気味だった。
作業内容はとにかく、意味がわからなかった。
農業と書いていたので、野菜やら米やらを植えたりトラクターなどを使うのかと思ったが、
ひたすら土を掘る仕事だった。
「(土木作業と変わんねぇじゃん…)」
そんな事を思っていたが、作業員達は必死に、目を見開いて土を掘っている。
俺も頑張っているふりをしないと怒られそうで、なんとなくだが掘った。
そして今日の作業はそれだけだった。
意味がわからない。
給料はどこから出てるのかも、何のために?
来るところを間違えてしまったかもしれない。
勘ぐり癖がある俺は、次第に怖くなっていった。
岡本「作業おわり〜〜…さあ、戻ろうねえ〜」
相変わらずガイコツのような顔をして、
気持ちの悪い奴だ。
そう思いながら、管理棟に戻った。
4.崩壊の予兆
管理棟にはシャワーがあり、そこだけが、
俺の心が休まる場所だった。
シャワーを浴びて、ベッドに腰掛ける直前にベッドの下に何かが落ちているのが見えた。
俺は手を伸ばしギリギリ届いた手でモノを掴みこちらに引き戻した。
1冊のピンク色のノートだった。
好奇心でそのノートを開くとページが破られ、
2枚しかなかった。
そこにはボールペンで大きく
「破壊される場所」
その下に、小さな文字で"笑い返すな"
と殴り書きされていた。
岡本「なにみてるの〜???」
心臓が飛び跳ねた。
こいつ、いきなり入ってくるんじゃねぇよ。
湊「いえ……なんでもないです……」
岡本「そっかぁ〜。今日はよく頑張ってたねぇ〜。明日も頼むよ〜。」
低い声で俺にそう言うと、
岡本は自分のベッドに戻って行った。
湊「(逃げよう。何かがおかしい。)」
湊「(だが……どこへ逃げる?)」
寒さも絶望も、ここには無かった。
代わりにあるのは気味の悪い"あたたかさ"
ただそれだけだった。
もしかしたら、それすらも今の俺には
有難いんじゃないか…。
葛藤しながらも、睡魔には勝てなかった。
5.注射器
翌日、
今日の作業を終えたら、ノートの意味を探りたかった。欲を言うと書き主を見つけたかった。
そんな事をボーッと考えていると、
真冬の山奥。作業中は寒さがかなりキツく、
俺は身体が動かなくなり、その勢いで倒れ込んでしまった。
自分の掘った穴に落ちてしまった。
湊「す、すみません!助けてください!」
岡本「はぁ〜い。」
岡本の声は、いつもと変わらない調子だった。
だが、
その顔が土の向こうから覗き込んだ瞬間、背筋が凍る。
不敵な笑み。その奥に、何か決定的に“壊れた”ものが見えた
湊「(もしかして、このまま埋める気じゃ…?)」
岡本「佐川くん〜、助けてあげて〜」
佐川「…はい…」
佐川という作業員の男がロープを垂らしてくれ
無事出ることが出来た。
変に勘ぐってしまった。
岡本「寺山くん〜、こッチ、おいでぇ…」
岡本の口調は、子供を呼ぶような甘さだった。
ふと目をやると岡本の手には注射器があった。
湊「えっ…?」
間髪入れずに、岡本は俺の手をベルトで縛った
俺は抵抗したが後ろから佐川という男に羽交い締めにされ、そのまま腕に注射を打ち込まれた。
その瞬間、経験したことの無いような快感と、
力がどこからかみなぎってくる。冷たい。
視界が歪んだ。その数秒後、鮮明に、何もかもが美しく見えた。
呼吸をする度、身体が歓喜している。
全身を電撃が走るかのよう、鳥肌が立った。
そんな感覚だった。
湊「はっ……ははっ!……」
笑い返すな。
ノートに小さく書かれた文言が、頭の中にフラッシュバックする。
ギリギリの理性で考えても、もう遅かった。
俺の中に、何かが入り込んでくる。
岡本「いい"笑顔" だねぇ……」
岡本は陽気に笑った。
ーーー数日が経った。
あの日から、俺は抜け殻になった。
日が昇れば土を掘り、日が暮れればベッドに沈む。
それだけの、なんでもない平穏な毎日を繰り返す。
ただ、口角が自然に吊り上がり、不自然な笑顔が出来上がる。
誰かが何かを言ったわけじゃない。
それでも、俺は笑っていた。
「破壊される場所」「笑い返すな。」ーー。
それは、誰かがかつてこの施設で抗おうとした最後の抵抗だったのかもしれない。
佐川が消えた。本当に消えた。
無断外出の罰だという。
岡本は笑顔で言った。
岡本「…ほら、みんなで埋めようか」
誰も反対しなかった。否、反対できなかった。
俺も無言でうなずき、土を掘った。
俺らの掘っていた穴は、深く、深く、最初から「墓」だったのだろう。
ここは何処へも行き場のない人間の、廃棄場所だった。
岡本の背後にあるのは、表には出ない補助金制度だった。
「再社会化支援」や「生活困窮者自立プログラム」── その名の下、
使い捨てられる人間たちを集めては、黙って“土に返して”いた。
その夜、俺はまた笑っていた。
鏡に映る自分が、泣きながら笑っていた。
唇が裂けそうなほど引きつり、目が見開かれ、頬が震えていた。
岡本「良い顔してるよ、寺山くん。」
なぜか、涙が止まらなかった。
6.案内役
一ヶ月が経ち、俺は「新人を迎える側」になった。
軽トラが到着する音がした。
岡本が出迎え、俺の肩を叩いた。
岡本「案内、できるよね?」
湊「はい。もちろんです。」
俺は笑っていた。
それが、この場所の「正しい在り方」だった。
そして新しくやってきた若者が、怯えた目で俺を見ていた。
俺は笑顔で彼に近づき、こう言った。
湊「岡本です。よろしくお願いします。」
その瞬間、彼の目がかすかに揺れた。
“次に壊れるのは、こいつかもしれないな”
そう思いながら、俺は笑った。
ーーこの場所が、生き延びるための墓場である限り。
初めて小説を書いてみました。