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第7話

 王都の春は、なぜこんなにも晴れやかで、そして残酷なのだろう。

 青空の下、街は祝祭の飾りで溢れ、人々の笑い声や馬車の車輪の音が交じり合っている。けれど私、フィオナ・フォン・アーデルハイトの心は、どうしようもなく重かった。


 王宮から届いた金色の招待状には、こう記されていた。

 “第二王子エルネスト殿下の婚約者、フィオナ・フォン・アーデルハイト嬢を、公式晩餐会にご招待申し上げます”

 王子の婚約者――自分がそんな立場にいることに、今でも夢を見ているような気がする。


「フィオナ、顔こわばってるよ?大丈夫、堂々としてれば平気だから!」


 アマーリエの快活な声が、緊張した私の背をぽん、と叩く。

 その隣でクラリスも、「私も隣で応援するからね」と微笑んでくれた。


「うん……ありがとう。だけど、なんだか心臓が口から出そう」


「大丈夫、いざとなったら私が壁になってあげるし!」

 アマーリエがウィンクして、クラリスも「私も全力で支えるよ」と拳を握る。


 ふたりの言葉は冗談みたいで、本当はとてもあたたかい。

 兄のアルベルトも、普段通り静かな口調で「何かあれば、私たちがいる」と背中を押してくれた。


 ドレスの用意も礼儀作法の確認も、今日ばかりは全てが慌ただしい。

 私が選んだのは、銀糸を織り込んだ淡い青色のドレス。王子からもらったブローチ、銀細工のヘアピンをつけた。


「フィオナ、本当にきれい……まるで童話の王子様みたい!」


 クラリスが憧れを込めてつぶやく。


「違うってば、今日は“お姫様”なんだから」

 アマーリエがちゃかすように言い、私も思わず吹き出してしまう。


「それ、嬉しいのかどうか……」


「どっちでも最高ってこと!」


 鏡の中の私は、たしかに“かわいい”より“凛々しい”の方が似合っている。

 でも、今日はこのままでいい。――少しだけ、そう思える。




 王宮前で馬車を降りると、門番や案内人の目線が一斉にこちらへ注がれる。

 どきどきしながら大広間に足を踏み入れると、そこは眩しいほどの光と華やかな色彩に溢れていた。


 百を超える燭台が天井を照らし、壁には季節の花があしらわれている。

 貴族たちのドレスや燕尾服、きらびやかな宝石、そしてなにより熱気と期待と緊張が渦巻いている――その全てが、私の存在を正面から射抜いた。


「……あれがアーデルハイト公爵令嬢?」


「“イケメン令嬢”って本当にいるんだ……」


「王子ってそういう趣味が……」


 囁きと視線。

 私は背筋を伸ばし、胸を張って歩く。けれど、心の奥はぐらぐらと揺れている。


 エルネスト王子は、すでに会場の中央に立ち、貴族たちに囲まれていた。

 燕尾服も金の髪も、遠目からでもひときわ目立つ。


 そして、王子の隣にはもうひとり。

 金髪を美しく結い上げた、豪奢なドレスの令嬢――セシリア・フォン・グレイハウゼン。

 王家にもっとも近い名家の娘であり、王子の幼なじみとしても有名な人物だ。


 私が近づこうとしたそのとき、セシリアがふわりと微笑んでこちらへ歩み寄る。


「まあ、やっとちゃんとしたご挨拶できますわね、公爵令嬢――いえ、“王子様”?」


 その後ろには、取り巻きの令嬢たち。

 くすくすと笑い合いながら、私を値踏みするような視線を向けている。


「本日はご機嫌麗しゅう。……そのドレス、とても素敵ですけれど、もう少し華やかでもよかったのではなくて?」


「ありがとう、セシリア様。でも私はこれが一番しっくりくるんです」


 取り巻きが口々に囁く。


「王子様みたい!」

「本当に婚約者なのかしら」

「殿下のご趣味も、ずいぶん個性的ですのね」


 私はただ、微笑んで受け流すしかなかった。

 そんなとき、不意に背後から男らしい低い声が響いた。


「……うちの妹に何かご用ですか?」


 振り返ればアルベルトが腕を組み険しい顔でこちらを見ている。その隣には静かに微笑むレオニードの姿もあった。


「妹が皆さまにご迷惑をおかけしていませんか?何かあれば、兄である私たちが責任をもって対応しますよ」


 アルベルトがにこやかに言うと、レオニードがさらに一歩前へ出る。


「……もしも妹に何かあったら、女だろうが俺は黙ってないぞ」


 その言葉に、セリシアと取り巻きの令嬢たちは一瞬ぎょっとして顔を見合わせる。


「そ、そんな……べ、別に何も!」


「わ、私たち、少し失礼しますわ!」


 ぱたぱたと慌ててその場を離れていく取り巻きたち。その背中を見送りながら、私は思わずほっと息をついた。


「ありがとう、兄さんたち……」


 アルベルトは穏やかに微笑み、レオニードも小さく頷く。


「何か言われたら、すぐ呼ぶんだぞ。お前の味方は俺たちなんだからな」


 そんなふたりが、今日ほど心強いと思ったことはなかった。


 やがて宴が始まる。

 エルネストが私を会場中央へ招き、朗らかに手を差し伸べる。


「フィオナ、よく来てくれたね。僕の婚約者としてみんなに紹介したい」


 王子の腕に支えられながら、会場中の視線がさらに集まる。


「素敵……」「まるで童話みたい」「本当に王子と王子様だわ」

 噂も好奇も意地悪も、全部一度にぶつかってくるような気がした。


 セシリアと取り巻きは、私の存在が面白くないらしい。

 それでも私は、「王子の隣に立つ」と決めた自分を信じたかった。


 


 夜も更け、舞踏の時間。

 私はアマーリエやクラリスと小さな輪になって踊っていたが、ふとした拍子にセシリアの声が聞こえた。


「殿下、今夜はご一緒にダンスを――」


 エルネストは穏やかに「もちろん」と答えた、その後に「もちろんフィオナの後だけどね」と。


 それからまもなく、事件は起こった。


 セシリアがエルネストと踊ろうと歩み寄ったその瞬間――

 周囲の混雑のなかで、誰かがセシリアのドレスの裾を踏んだ。


「きゃっ――!」


 セシリアの身体が大きく揺れ、バランスを崩しそうになる。

 次の瞬間、彼女の髪飾りが外れて宙を舞った。


「あっ、危ない!」


 誰もが固唾をのんで見つめる中、私は咄嗟にセシリアの腕を掴み、倒れ込む直前で支えた。

 もう片方の手で、床に落ちそうだった髪飾りを受け止める。


 会場は一瞬静まりかえった。


 セシリアは驚きに目を見開いたまま、私に支えられている。

 取り巻きも周囲の貴族も、どう反応していいかわからない様子で見守っている。


「大丈夫ですか?」


 私はそっと声をかけ、セシリアの肩を支える。

 彼女の目が、ほんの一瞬だけ潤んだように見えた。


「そ、その髪飾りは母から貰った大切な物なの……」


 セシリアは小さな声でそう呟き、プライドを保つように背筋を伸ばして歩み去ろうとする。

 けれど、私は彼女の髪飾りをそっと手渡す。


「壊れなくてよかったですね。とても綺麗です」


「……ええ、そうね」


 セシリアはそのまま取り巻きのもとへ戻ったが、その横顔はどこか複雑な影を落としていた。


 その場にいた貴族たちは、驚きと感嘆が入り混じった声を上げる。


「さすが“イケメン令嬢”、やることが違うわ!」

「公爵令嬢ってだけじゃなく、本当に頼もしいのね」

「殿下も、あんな人が婚約者なら安心だわ」


 ――いつの間にか、私への視線が変わっているのを感じる。

 敵意や嘲笑は薄らぎ、好意や敬意が混じり始めていた。


 エルネストは静かに私の元へ来て、微笑む。


「フィオナ、君には本当に驚かされるよ。君の勇気も優しさも、僕は誇りに思う」


 私は、ほっとしたように息を吐く。


「実は、ちょっと怖かったです。でも誰も怪我しなくて安心しました……」


「そうだね。僕は、大事なフィオナに怪我がなくて良かったよ」


 エルネストのその言葉は、どんな宝石よりも嬉しかった。


 宴も終わりに近づく。

 セシリアは帰り際、私のそばに寄ってきて小声で言った。


「一応……礼だけは言っておくわ。でもあまり調子に乗らないことね」


 意地っ張りな言葉。でも、今までより少しだけ柔らかい。

 私は小さく笑って「私も、あなたに負けないよう頑張ります」と返した。


 アマーリエとクラリスも駆け寄ってきた。


「フィオナ、すごかったよ!」

「本当に、かっこよかった!」


 そこへレオニードが、大きくうなずきながら口を開く。

「さすが俺の自慢の妹だな!」


 アルベルトもやわらかな笑みを浮かべて言った。

「今日のフィオナとても立派だったよ。どんな場でも自分らしくいられる――それがフィオナの一番の強さだと思う」


 私は、みんなの応援と王子の隣の温もりを胸にようやく自分の居場所を見つけられた気がした。


 夜空には無数の星。

 王宮の明かりに負けないくらいきらめいていた。

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