第17話
明日、私は結婚する。
それは子どもの頃から遠い夢のようで、今もまだ現実なのか分からない。
でも、窓の外に広がる夕焼けを見ながら、確かに今日が「家族三人だけの最後の夜」だということだけは、胸の奥で静かに実感していた。
アーデルハイト家の食卓は、普段より少し華やかで、どこか照れくさい。
大きなテーブルには兄アルベルトお手製のシチュー、レオニードがこっそり買ってきたケーキ。
そして、幼い頃から三人で食べ慣れたパンが並ぶ。
「……こうして三人で食べるのも、しばらくお預けか」
レオニードがパンをもぐもぐ頬張りながらぽつりと呟いた。
「寂しいな。フィオナ、明日から王宮で毎日ご馳走だろうけど、たまには家の味が恋しくなるぞ?」
「うん……でも絶対、また帰ってくるよ。私、兄さんたちの作るシチューが一番好きだもん」
「はは、そう言ってもらえると嬉しいけどな」
アルベルトが優しい微笑みを浮かべる。
「どうせすぐ里帰りしそうだな、こいつは」
「レオニード兄さん、いじわる!」
「お前がいなくなったら、俺たちのからかう相手がいなくなるからさ」
「そんなの、私だって寂しいよ……」
三人で笑い合う。
まるで子ども時代に戻ったみたいな、あったかい時間だった。
食後、サロンに移ってお茶とケーキを囲みながら昔話に花が咲く。
「覚えてる? あの結婚ごっこ遊び。私が花嫁役やりたがって、兄さんたちが嫌々“花婿”やってくれたの」
「いや、あれはフィオナが泣くから仕方なく――」
「レオニードの花婿姿、写真に残ってるぞ」
「うわっ、やめてくれよ兄さん!」
「兄さんたち、昔は泣き虫だったくせに!」
「それを言うならお前もだろ?」
ケラケラと笑い声が弾む。
それは、これまで過ごした日々の証しだった。
けれど、ふとした沈黙が訪れる。
「本当に……明日なんだな」
アルベルトの言葉に、私は胸の奥がぎゅっと締めつけられる気がした。
「なんか、実感わかないよ。夢みたい……」
私がぽつりと呟くと、レオニードが不意に真面目な顔になった。
「お前、幸せになるんだろうな?」
「……もちろん、なるよ。絶対に」
「もし――もしもだぞ。殿下がフィオナを泣かせたりしたら、俺が殴り込みに行くからな」
「兄さん……」
「本気だぞ。絶対守るって、昔から決めてるんだから」
私の胸が熱くなり、思わず涙がにじむ。
「大丈夫だよ、レオニード。私はもう、兄さんたちに守られるだけの子どもじゃないから」
アルベルトがそっと私の肩に手を置いた。
「それでも……お前の幸せが、俺たちの幸せだ。だから、辛いときは無理せず帰ってこい」
「うん……。もしそうなったら、帰ってくるよ。でもそうならないといいな」
少し照れくさい空気を紛らわすように、アルベルトがサロンの棚から小箱を取り出した。
「フィオナ、これは家のバラから作った香油だ。新しい場所で不安になったとき、これを使ってみてくれ。家の匂いがすれば、きっと落ち着くから」
「ありがとう、兄さん……」
私は小箱を大切に受け取る。
レオニードも、そっと紙包みを差し出した。
「これは俺の手作りのお守りだ。困ったとき、これを握れば、いつでもお前の味方だって思い出せるから」
「……うれしい。本当にありがとう」
涙があふれて止まらなくなった。
三人でしばらく沈黙のあと、アルベルトが静かに語る。
「フィオナ、お前のこと、本当はまだ子どもみたいに思ってた。
でも、今日こうして話してたら、ちゃんと自分で歩こうとしてるんだなってわかった」
「うん……。私、兄さんたちがいてくれたから、ここまで来られたんだよ。
二人の妹で良かったって、ずっと思ってる」
レオニードが涙ぐみながら、私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「明日、泣くなよ? 俺はもう、恥ずかしいからさ」
「無理だよ、絶対泣くよ……」
「そっか。じゃあ、一緒に泣こうぜ」
「ふふ……うん!」
夜も更け、三人で夜の庭を散歩することになった。
月明かりにバラが白く輝き、空には星が瞬く。
「こうして歩くのも、しばらくお預けだな」
「うん。……でも、必ずまた三人で歩こう」
「約束だぞ」
「約束する!」
立ち止まって、私は兄たちの顔を見つめた。
「私、守られるだけじゃなくて、自分の足で幸せをつかみに行く。だけど――
何があっても、ずっと家族だよ。
だから、これからも、私の自慢のお兄さんたちでいてね」
「もちろんだ。お前はいつでも俺たちの妹だ」
「どんなに偉い人になっても、子どもみたいに甘えていいんだぞ」
「……ありがとう。本当にありがとう」
涙と笑顔が混じり合い、静かな夜に三人の声が優しく響いた。
夜更け、私はひとり自室に戻った。
窓辺に座り、兄たちからもらった香油とお守りをそっと胸に当てる。
(私、きっと大丈夫。兄さんたちがいてくれる。
私はもう守られるだけの子どもじゃない。
明日からは、自分の意志で未来を歩いていく――)
そう心の中で誓い、私はやわらかな涙と微笑みのまま、静かにベッドに横たわった。
明日、新しい人生が始まる。
でも、私の“家族”はいつまでも変わらない。
その温もりに包まれて、私は深い眠りについた。




