第1話
朝の光が、白いカーテン越しに静かに寝室へ差し込んでくる。
私はぼんやりとした意識のまま、重い瞼を開いた。
視界に映るのは見慣れた天蓋付きのベッド、華やかな花模様のカーテン。そして、その先に置かれた姿見。
しばらく布団の中でごろごろしていたけれど、とうとうメイドがやってきてしつこく起こしにくる。
「お嬢様、そろそろ起きてくださいませ。朝食のご用意ができております」
やれやれと小さくため息をついて、私はベッドから身を起こす。
鏡の前に座り、寝癖のついたボブヘアを櫛で整える自分の顔が映った。
よく男の子に間違えられる、鋭い目元と高い鼻筋。背も高いせいで、ドレスよりもパンツスタイルの方が似合うと言われる。
メイドのサラは、そんな私を見て今日も冗談半分に呟いた。
「今日も麗しいですね、お嬢様。まるで王子様みたいです」
「……ありがとう、サラ。でも私は女の子なんだけどね」
鏡越しに苦笑いしながら、髪を整える。
もう何度言われたか分からないその言葉――王子様みたい。イケメン令嬢。
世間は面白がってそう呼ぶけれど、私にとってはため息の種だった。
貴族の令嬢として「可愛い」と褒められることに、ずっと憧れていた。
けれど現実は、「かっこいい」「並ぶと俺よりかっこいい」などと言われ続け、ついには婚約破棄が三度も続いた。
(私は、普通の女の子になりたかっただけなのに……)
ほんの少し胸が痛んだ。
「お嬢様、朝食の席にご兄弟もお待ちです。急ぎましょう」
「うん、分かった」
気を取り直して身支度を整え、朝食の間へ向かう。
食堂の扉を開けると、見慣れた兄たちが待っていた。
「おはよう、フィオナ」
「おう、今日も相変わらずのイケメンっぷりだな、妹よ」
長兄のアルベルトは穏やかに、次兄のレオニードは冗談めかして私を迎える。
席につくと使用人が丁寧に紅茶を注いでくれる。私はパンにジャムを塗りながら、兄たちの話に耳を傾けた。
「今日、舞踏会があるって知ってるだろ? たまには顔を出してきたらどうだ」
「……やめてよ。また“王子様”ってからかわれるだけだもの」
「そんなこと言うなよ。社交界にもそろそろ顔を出さないと、心配する人間もいるんだぞ?」
レオニードはパンを頬張りながら肩をすくめる。
私は返事をしないまま、ただ静かに紅茶を口に含んだ。
食事を終え庭を歩いていると、遊びにくる予定だったいつもの二人――アマーリエとクラリスがやってきた。
アマーリエは陽気な笑顔で手を振り、クラリスは少し控えめに後ろを歩いている。
「フィオナ!元気そうでよかった!最近どうなの?」
「……まあ、いつも通りかな」
「また、婚約破棄されたって噂が……あ、ゴメン、言わなくてよかった?」
アマーリエは悪気なく私の胸を抉る。けれどそれが逆に気楽でありがたかった。
「ううん、気にしてないよ。慣れてるから」
「本当に? 私はフィオナのそういうところが好きだけどなぁ。イケメンって憧れるもん」
クラリスがぽつりと言う。私はちょっと照れてしまって、視線を逸らす。
「でも、私だって普通の女の子になりたいのよ。可愛いって言われたい。……なのに、男前だの、王子様だの」
「可愛いところ、ちゃんとあるのにねえ」
アマーリエが明るく言ってくれるのが、ほんの少しだけ救いだった。
「……ありがとう」
そのまま三人でお茶を飲んでいると兄たちが再び現れた。
アルベルトは手に何か招待状を持っている。
「フィオナ、今夜の舞踏会の招待状が来てる。久しぶりに皆で出席しよう」
「やだよ。どうせまた変な噂立てられるだけだし……」
「たまには外に出ないと、塞ぎ込んでしまうぞ」
「兄さんたちはいいよ、いつも“かっこいい”って言われて。でも私は……」
レオニードがにやりと笑う。
「俺は妹のイケメン伝説がまた一つ増えるのを期待してるんだが?」
「やめてよ、ほんとに」
アマーリエとクラリスも「一緒に行こうよ」「今夜くらい楽しもうよ」と説得を始める。
私は観念して、渋々ながら舞踏会への出席を決意する。
夜――。
煌びやかな宮殿の大広間は、百を超える燭台の灯りと色とりどりのドレス、燕尾服の貴族たちで埋め尽くされていた。
私は自分のドレス姿を見下ろし小さくため息をつく。
今日もシンプルなデザインを選んだ。可愛いレースやフリルはどうも自分には似合わない。
鏡に映る自分を見ても、やっぱりどこか“女の子”というより“凛々しい”が先に立ってしまう。
兄たちは隣で笑っている。
「いいじゃないかフィオナ。お前はそのままが一番だよ」
「そうそう。今日も王子様っぷりに磨きがかかってるな」
「……もう、からかわないで」
会場に入ると、やはりというべきか、周囲からちらちらと視線が飛んできた。
「あれがアーデルハイト公爵令嬢?」「噂のイケメン令嬢……」「まるで三兄弟だな」
男性も女性も、珍しげにこちらを見ている。
私はなるべく壁際を歩き、目立たないようにしていた。
けれどアマーリエやクラリスが近くにいると、少しだけ気が紛れた。
「ね、あそこに王子がいるよ!」
アマーリエが小声で囁く。
会場の中央に、華やかな笑顔で誰かと談笑している青年がいた。金の髪と端整な顔立ち、堂々とした姿勢――あれが、この国の第二王子・エルネストだ。
私は一瞬だけ彼と目が合ったような気がして、慌てて視線を外した。
しばらくして誰かに肩を叩かれる。
振り向くと、そこには王子エルネストが立っていた。
「やっと見つけた。――こんばんは、公爵令嬢フィオナ」
その声はどこか優しく、それでいて余裕を含んでいた。
「王子殿下……初めまして」
私が礼儀正しく頭を下げると、エルネストは口元だけで柔らかく微笑む。
「今夜の主役は君だと思ってた。噂よりずっと素敵だ」
そんな台詞をさらりと言われ、私は顔が熱くなる。
「……そんな私はただ目立つだけで……」
「違うよ。君の魅力はそれだけじゃない。――そのままの君が、一番美しい」
そのまなざしは、からかいと優しさが同居している。
「よかったら、僕と踊ってくれないか? 逃げようとしても、僕が捕まえるから」
思わず固まってしまった私の手を、王子がそっと取る。
舞踏会の中央、王子と並んでダンスを踊ることになった。
ぎこちない足取りで、一歩、また一歩。
彼の手は優しく包むようでいて、どこか強引な安心感がある。
「緊張してる? 無理しなくていいよ。君がどんな顔でも、僕はきっと全部好きになる」
「……そんな、恥ずかしいこと言わないでください」
「そうやって照れる君が、一番可愛いのに。僕だけに見せてよ、その顔」
私は思わず目を逸らした。
「君のこと、もっと知りたくなった。フィオナ、僕と結婚してくれないか?」
一瞬、世界が静まり返った。
会場の誰もが息を飲んでこちらを見ている。
兄たちも、アマーリエもクラリスも、驚愕の表情。
私は呆然と立ち尽くしたまま、王子のまっすぐな瞳を見返していた。
(どうして、私が……? これって、夢?)
頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなっていた。