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──翌朝。
百日紅の館の食堂には、柔らかい朝の日差しが降り注いでいる。
出島から買い付けた異国のテーブルには、ホカホカの白飯と、湯気の立った茄子とお揚げの味噌汁。鯵の塩焼きと副菜二品も並べられている。
洋館で生活するにあたり、一度は西洋朝食を取り入れようとしたけれど、どうにも腹に力が入らず、雄斗の朝食は一汁三品が定番となった。
できたての朝食を、雄斗は何度も欠伸をかみ殺しながら、無理矢理胃の中に押し込んでいる。結局、殆ど眠ることができなかったのだ。
昨晩、風呂から上がって、一度は冷静さを取り戻した雄斗だったが、部屋の扉を開けた途端、瑠華の穏やかな寝息に出迎えられ、再びソファで悶々と過ごす羽目になった。
それから朝日が昇り、身支度を整え、部屋を出る時間になっても、瑠華は起きる気配がなかった。
(ったく、人の気も知らねえで……呑気なもんだ)
部屋を出る直前、あまりに安心しきっている瑠華に腹が立って、彼女の頬を軽くつまんでやった。
むにゃむにゃと意味不明な言葉が返ってきたから、多分、起こすなとでも、言いたかったのであろう。
「ごちそうさま」
手を合わせて朝食を終えた雄斗は、首をゴキリと回す。さて、ここからが難題だ。
雄斗の部屋で爆睡中の瑠華は、昨晩から何も食べていない。昨日、あれだけ豪快に腹の音を鳴らしていたのだ。カステラごときでは、空腹を満たすことはできなかったはずだ。
昨晩、風呂から上がった雄斗は、食材を求めて厨房へ忍び込んでみたものの、あえなく惨敗に終わった。自室には、酒しか置いていないのが悔やまれる。
一刻も早く朝食を用意しなければ飢え死にするかもと焦る雄斗は、野良猫をこっそりと匿う子供のようだ。
気持ちばかりが急いてしまい、適当な言い訳が見つからないまま、雄斗は女中頭の千代を探すがどこもいない。普段なら、食事の際には必ず給仕をしてくれるというのに。
不思議に思って、今度は入口扉に立つ執事の荘一郎に声をかけた。
「荘一郎、千代さんはどこだ?」
「千代は、今、手が離せません」
淡々と答える三十路半ばの荘一郎に、雄斗はわずかに眉を寄せた。
雄斗はこの屋敷の主人である。女中頭が主人の用事を後回しにすることなど、あってはならない。
どういうことだと問いただそうとしたその時、 荘一郎が無言で横にずれ、扉が開いた。
「おはようございます」
食堂に響く聞きなれない少女の声に、雄斗は豪快にむせた。
「誰だ、おま……え……って、まさか──瑠華!?」
名を呼ばれた少女は、はにかみながら、ぺこりとお辞儀をした。
雄斗がすぐに瑠華と気付かなかったのも無理はない。瑠華は、昨晩の振袖新造から、別人になっていたのだ。
湯浴みをしたのだろう。髪は桃割れに結いなおされ、品の悪い朱振袖から、流行の縦縞模様の着物に着替えていた。
加えて、もともと愛らしい顔に薄く紅を引けば、もう上流階級の令嬢にしか見えない。
雄斗はその見事な変貌ぶりに瞬きを忘れ、食い入るように見つめる事しかできなかった。
(なるほど……手が離せないと言ったのは、そういうことか)
納得したのはいいが、新たな疑問が浮かび上がる。どうか自分の勘違いであってほしい。
そう祈る雄斗だが、婦人と呼ぶべき女性が食堂に姿を現したのを見て、己の推測が正しかったことを知り、内心冷汗を垂らす。
「ち、ち……千代さん、これは……どういう──」
「雄斗さま、酷うございますわ!」
千代と呼ばれた女性は、瑠華の朝食であろう盆を片手に、すっぱりと雄斗の言葉を遮る。
品の良い顔に、柔和な笑顔を浮かべながらも、目はまったく笑っていない。
「まったく、こんな可愛いお嬢さんをお部屋にほっといて、お一人で朝食をお取りになるなんて……随分と大人になったものですわねぇ」
そう言いながらも、千代は雄斗の隣席に、テキパキと朝食を並べていく。
早とちりするなと反論したいが、相手は千代。分が悪いどころか、絶対に勝てない。それでも意思表示にと、雄斗は渋面を作り、ぶすっと腕を組む。
今年三十路を迎えた女中頭の千代は、執事桂木荘一郎の妻でもある。
幼い頃に母を亡くした雄斗にとって、千代の存在は姉であり、母親の代わりで、雄斗にとって唯一、頭の上がらない存在だ。
執事である荘一郎は、もっと千代に頭が上がらない。過去、彼女を妻にするために、生涯ただ一度の土下座をしたほどである。
有能な執事とはいえ、妻に嫌われるのが死ぬほど怖い荘一郎は、千代が女中頭としては行き過ぎた態度をとっても見て見ぬふりをする。
「まったく、もうっ。瑠華ちゃん、お部屋で一人、淋しそうにしていたのですよ。可哀想に……知らないお部屋で、さぞ、心細かったでしょうね。雄斗さん、せっかく目を盗んでお部屋に招いたというのに、朝になった途端に冷たい態度を取るなんて」
一旦、言葉を区切り、千代は雄斗を鋭く睨む。
「百年早いんですわ!」