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ふわふわと揺蕩う意識の中で、カチリと音がした。それは、あるべき場所にあるべきものが嵌った音だった。
初めての感覚なのに、私はそれを知っている。間違いない。常盤の結界が修復されたのだ。
自分を苛む罪の意識が少しだけ軽くなったと同時に、重大なことに気付いた。それをできるのは、雄斗さんしかいない。でも、何も知らない彼が……どうして?
(雄斗さん、今どこにいるの?)
心の中で何度も彼の名を呼ぶ。何度も、何度も。
私の祈りが通じたのか、視界が真っ白に広がり、彼の姿が目に映った。
「ったく、遠いな……どこまで歩かせる気だ」
ぶつくさ言いながら、真っ白な空間を歩くのは、間違いなく雄斗さんだった。その姿に、泣きたくなるほど安堵する。
駆け寄って目の前に立つけれど、雄斗さんには私の姿は見えないようで、足を止める気配はない。
それでも私は嬉しくて、彼と肩を並べて歩く。手を伸ばしても、すり抜けてしまうから、強引に自分の手をねじ込む。
「絆錠の法師……かぁ」
雄斗さんはそう言うと、自分の胸に手を当て首を傾げた。
彼の言葉に、私は息をするのも忘れるほど驚いた。私は彼に、一度たりとも”絆錠の法師”という言葉を出していない。けれど、彼は既に知っている。
それってつまり、鍵となる器──絆錠の法師となることを、彼は受け入れてくれたのだ。
どういう経緯で受け入れたのかわからないが、彼の人生を大きく変えることであり、私と固い絆を結ぶことでもある。それをちゃんと理解して、承諾してくれたのだろうか。
もし、全てを知って受け入れてくれたのなら、これ以上の喜びはない。けれど信じきることができない。
「充芭がなんかごちゃごちゃ言ってたけど、結局良くわかんなかったな……ま、いっか」
「えええええええぇっーーーーーーーーーーーー!!」
想像の斜め上を行く雄斗さんの発言に、思わず絶叫してしまった。
しかし、声も聞こえないのであろう、雄斗さんの歩調は変わらない。
常盤の結界から去った後、幾度も悩み、憂い、最悪のことまで覚悟したけれど、結末はこんなものだった。
悩んだことも、歩んだ軌跡も決して無駄ではなかったはずだ。だって珍妙で、大雑把だけど、ストンと私の胸に綺麗に収まったのだから。
「……あいつ、そろそろ目を覚ましているといいけどな」
誰のことを指しているのだろう。雄斗さんは今までにない程、優しい笑みをたたえている。
「瑠華」
「はい!」
名前を呼ばれ、つい返事をしちゃったけれど、そういえば雄斗さんには私の声は届かなかった。……恥ずかしい。
「早く戻って、瑠華に会いてぇな」
雄斗さんのその言葉を耳にした途端、私の身体は歓喜で震えた。
かけがえのない人が、自分の名を呼んでくれること、会いたいと言ってくれること。そして、笑顔を見せてくれること。それは、言葉にできないほどの感動を呼ぶ。
あえて、この気持ちに名前をつけるとしたら、きっと「幸せ」と呼ぶのだろう。
私も早く雄斗さんに会いたい。この気持ちを伝えたい。
そう思った瞬間、見えない力に引かれ、私の視界は闇に閉ざされてしまった。
「おはようございます」
目を覚ました私に、荘一郎さんは穏やかに声を掛けた。しかし、その口調とは裏腹に、荘一郎さんはつらそうな表情で、ベッドの横に立っている。
「……あ、あの……どうされました?」
半身を起こすと、体が軽くなっていることに気付く。自分を蝕んでいた魔霧は、全て浄化されていた。
朝日が部屋を明るく照らしている。窓に視界を移せば、晩秋の青空が広がっている。
あれから、どれくらい経ったのだろう。しかし今は、そんなことを荘一郎さんに質問できる雰囲気ではない。
傍にいる荘一郎さんは、口を開いては閉ざしを何回も繰り返している。荘一郎さんの言葉が出るまで、私は静かに待つ。
「このようなことを、お願いするのは心苦しいです。が……」
何とかそれだけを口にした荘一郎さんは、今度は申し訳なさそうに俯き、次の言葉を言えずにいた。なので今度は、私から問いかける。
「荘一郎さん、その願いは雄斗さんのためでもあるのですか?」
「はい」
即答した荘一郎に、私はふわりと微笑んだ。
「私でできることがあれば、なんでも言ってください」
雄斗さんの為なら、何でもします。そう付け加えたら、やっと荘一郎さんは、詳細を語ってくれた。
荘一郎さんが私に望んだのは、驚きと不安が混ざった──突拍子もない提案だった。




