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再び雄斗が目を覚ますと、真っ白な空間に立っていた。
意識はしっかりしているが、身体は軽いし、傷の痛みを感じないから、現と黄泉の狭間にいるのだろう。
状況を把握した雄斗があてどなく歩いていると、ぼんやりとした人影が見えた。何かの期待を込めて、雄斗は勢い良く走り出す。
近づくにつれ、次第に人影が誰だかわかると見事な渋面を作った。
「お前かよ!!」
全力の突っ込みを、雄斗は銀髪の青年に向かって入れた。
「その言い方は、どうかと思うぞ。共に背を守りながら戦った仲というのに、つれないな」
「おもしろくない冗談だ」
吐き捨てるようにつぶやく雄斗に、充芭は片頬を持ち上げ、意地悪そうに微笑んだ。
「最後の試練も越えたか。まあギリギリ合格ってとこだな」
「は?……って、やめろ!!」
首を傾げた途端、充芭の顔が近づき、唇が重なりそうになる。雄斗は間一髪で、それを避けた。
「いい加減にしろよ、この節操ナシ!お、お、お前……じ、じ、自分が、何しようとしやがったかわかってんのか!?」
男同士で口づけなど、冗談じゃない。噛みつかんばかりに怒鳴る雄斗に対し、充芭は顎に手を当て、困惑した表情を浮かべる。
「ん?わかっててやろうとしたんだが……瑠華と同じにしてやった方が喜ぶと思ったんだけどなぁ、違うのか。まぁ……それならそれで、これにするか」
勝手に結論付けた充芭は、おもむろに雄斗の左胸に手を当てた。すぐさま、なにか疼くような違和感があったが、すぐに消えてしまった。
「てめえ、何しやがっ……」
「おめでとう。お前が”絆錠の法師”だ」
「………………はぁ?」
パチパチパチパチと拍手を送る充芭とは対照的に、雄斗はとことん間抜けな声を出した。
「はぁ、じゃねえだろ?はぁ、じゃ。お前、ちっとは嬉しそうにしろ。鍵を受け取ったんだぞ。日ノ本国で、ただ一人選ばれた、絆錠の法師だぞ?」
「……だから、何だそれ?」
「は?」
間抜けな声を出したのは、今度は充芭の番だった。二人はしばしの間、無言で見つめ合う。
「なぁ……お前、瑠華から何も聞いてなかったのか?」
かなりの時間を置いて、充芭が呆れ口調で尋ねた。
「だから何をだ?」
雄斗は、苛立ちを隠すことなく睨みつけたら、充芭はなぜか腹を抱えて笑い出す。
「あはははははははっ!はははははははっ!!おっお前、何にも知らなかったのかっ。あはははははっ!こりゃ、おかしい。ひっひゃ、あははは!」
あまりの出来事に呆然とする雄斗を無視して、充芭はひぃひぃ苦しそうに笑い続けている。
「あー、笑った、笑った。こいつは面白い、面白すぎるっ!初めてだ、こんな前代未聞の絆錠の法師は!だ、駄目だ。苦しっ、ははっあははっははっはっ」
ああ、混乱を通り越すと、人は何も考えられなくなるらしい。
笑い転げている充芭の言葉が、するりと耳から通り過ぎていく。笑い死しそうな充芭を、雄斗はただただ傍観するしかなかった。
それからうんざりするような時間が経過した後、充芭は涙を拭いながら口を開いた。
「絆錠の法師の存在を知らないとは、こりゃ想定外だったな。仕方がない、この俺が教えてやろう。常盤の結界は、要の巫女と絆錠の法師の対なる存在で守られている」
「……はぁ」
「瑠華が要の巫女だというのは、さすがに知ってるだろ?巫女の役目は、封印された常盤の結界を守ること。そして、もう一つ。万が一、結界が壊れた際、修復の鍵となる絆錠の法師を選ぶことだ。選ばれたものが鍵を受け取った時点で、結界は修復される」
「っ………あ!」
突如、雄斗はあの夜の瑠華との会話を思い出した。
『その必要はありません』
瑠華は、雄斗が絆錠の法師となれば問題が解決すると言いたかったのだ。
「お前、瑠華に選ばれたんだろ?ここと、ここを、触れ合わせて」
ちょんちょんと、人差し指を唇に当てて意地の悪い笑みを浮かべる充芭に、雄斗はギョッとする。
「ちょっ待て、待て、待て、待て、待て、待ってくれ!」
「何だ、どうした?」
どうしたもこうしたもない。雄斗は、言葉にすることができず、わなわなと唇を震わせることしかできない。
あの口づけは、そんな意味だったのかとか、覗き見してるんじゃねえとか、もう色々言いたいことがあり過ぎる。しかし何より、一番まずいことがある。
「ああ、心配するな。教会でしたお前の口づけは、瑠華は覚えていない。異国の言葉で言うなら、ノーカン?ってヤツだったな」
見られていた。最悪だ。
この世の終わりのような表情を浮かべ、地面にへたり込む雄斗に、充芭は呆れた笑みをこぼす。
「見かけによらず、おぼこいな。やめろ、立て。こっちが恥ずかしくなってくる。まぁ……話は元に戻すが……瑠華が選んだとて、最終的な決定権は俺にある。だからお前が本当に絆錠の法師にふさわしいのか、少々試させてもらったのさ」
つまり先ほどの魔物祓いは、選定試験だったという訳である。
「それに、あの妖─虎吉だって、お前が瑠華に選ばれたことを知っていたから、だいぶ手加減してただろ?」
「あれでか!?」
額に心臓、鳩尾に脛。見事なまでに急所を的確に狙っていた。何が、手加減しただ。ふざけるな。
(佐野さんの忠告、今回の一件……ああ、なんで俺は、人の話を最後まで聞けないのだろう)
後悔先に立たずとは、まさにこのこと。
雄斗は今更遅いと思いつつ、心の中で猛反省した。それと同時に、ある疑問が浮かぶ。
「なあ、充芭……何で俺だったんだ?」
「俺に訊くな。瑠華が選んだんだから、当人に尋ねろ」
身も蓋もない言い方である。返す言葉もないが、それでも雄斗は、食い下がる。
「いや、そうじゃなくて、瑠華は魔祓師で胸に傷がある男を探していたんだ。魔祓師っていうのは、何となくわかる。けど、胸に傷があるっていうのが……」
「解せないってわけか?」
食い気味に頷く雄斗だが、充芭はすぐには答えない。顎に手を当て、しばらく黙考する。
「……ああ、そういうことか。あれはなあ、単に初代が胸に傷があったからだ」
「それだけかよ!?」
雄斗は目を剥いて叫んだが、充芭は落ち着いたままだ。
「ああ。ちなみに初代は医者だった。法力なんて微塵も使えねえ奴だったぞ」
「嘘だろ!?」
充芭は、あっけらかんと答えてくれたが、雄斗はこの状況をどう受け止めたらいいのかわからない。
選ばれた理由が、技量でも、容姿でもないなら……まさか運?
そんなの嫌だ。絶対に、嫌だ。




