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「要の巫女は、その血筋が全てだ。だから適当な時期に無理矢理子を生ます。そして生まれた子が三つになったとき、母親は人身御供として殺される。瑠華の母も、その母もずっとずっとそうだった。例外は一度もない」
充芭は一気にそう言い切ると、雄斗に問うた。
「お前、アレを見ただろう?」
常盤の結界のことを指しているのだろう。雄斗はごくりと唾を飲みながら、なんとか顎を引く。
「あれが、瑠華の世界の全てだった。そして、アレは歴代の巫女達の墓標でもある。殺された巫女達の亡骸は、社の泉に捨てられる。結界の泉底には、瑠華の血族の亡骸で埋もれている。近い将来、瑠華も殺され、あそこに沈む」
ひゅっと喉が鳴った。背筋が、凍りつく。
夢の中で微笑みあう瑠華と充芭が蘇る。あの時は、ただ美しいと思った。しかし、真実を知った今、あの夢がどれだけ恐ろしいものだったのかを思い知らさせる。
「瑠華は、自分の生き死にすら自由にできない。生まれてからずっと、誰かに運命を握られてきたんだ」
それでは、まるで籠の中の鳥じゃないか。しかし瑠華は、鳥ではなく、人だ。
巫女だか何だか知らないけれど、瑠華は血の通った人間で、感情がある。それなのに、牢獄のような社に閉じ込められていた。それが、どんなに残酷な事か。
「はっ、おめでたい国だよな。よくよく考えてみたら、この国の全ての難儀を瑠華の細い肩に押し付け、のんべんだらりと生活してるんだからな」
他人事のように語る充芭に対して、雄斗の感情は頂点に達した。
「もうやめてくれ!……頼む、やめてくれよ……もう……」
最後の言葉は自分でも情けない程、弱々しいものだった。
雄斗は、両手で顔を覆って蹲る。こんな理不尽なことあってたまるか。
へらへら笑うその奥で、瑠華はどんな思いで生きてきたのだろう。
瑠華は世間知らずだったわけではない。誰も彼女に、外界の情報を与えなかったのだ。瑠華が無知のままでいなければ、都合が悪かったからだ。
幼子が当たり前に得られるはずの愛情をもらう前に、理不尽や不条理を押し付けられてきたなんて、許されることではない。
「……ふざけるなよ……くそ!あいつは普通の女だ!」
怒られれば項垂れ、甘いものを口にすれば口元がほころび、夕日がきれいだと笑う。この国の厄介事を押し付けられても、どうすることもできない普通の女なのだ。
「じゃあ、助けたいか?」
今まで小馬鹿にしていた充芭の口調が、深く重いものになり、雄斗は弾かれたように顔を上げた。
「手を貸してやるよ」
雄斗と視線を合わせた充芭のかもし出す気は、妖気というよりは神気に近いものだった。突然の変わりように、雄斗は言葉をなくす。
「この俺が手を貸してやるって言ってんだよ。、坊や。ありがたく思え。さぁ、言え。お前は何を望む?」
試すような充芭の視線から目を逸らさず、雄斗は自分自身に問いかける。悩むことすらなかった。答えは既に決まっている。
「常盤の結界をぶっ壊す」
「……過激すぎるだろ、お前。意外と……猪突猛進型だったんだな。その気概は買ってやるが、ちょっと一旦落ち着け。あのなぁ、物事には順番ってもんがあるんだよ。とりあえず、目の前にある問題はなんだ?ちゃんと考えろ。焦る気持ちはわかるが、出来ることから一つ一つ片付けていくのが近道だ。わかったか?」
力を貸してやると言いながら、説教垂れるとは、どういう了見か。しかし、充芭の言うことはもっともである。
「そうだよな。なら……充芭、瑠華を助けてくれ。頼む」
頭を下げながら、雄斗は悔しくて唇を噛む。
自分が魔霧を祓う術を持っていない以上、今、瑠華を助けることが出来るのは、この男だけ。恋敵に助力を求める事実が、どうしようもないほど情けなかった。
「……無様だな、俺は」
「そうか?力量を弁えてるところは、偉いぞ。あと瑠華のことは心配するな」
ケロリと答えた充芭は、袖の中をごそごそと探ると、二つの毛玉を取り出した。
もふもふした毛並みは、思わず触りたくなるが、今は癒しなんか求めていない。
「……おい、俺は瑠華を助けてくれと言ったんだ。お前、それで何をする気だ?ふざけるのも大概にしろよ」
充芭に噛みついた途端、毛玉がシャーっと毛を逆立てて、雄斗を威嚇した。
思わずびくっと身を引く雄斗に、充芭はクツクツと喉の奥で笑う。
「お前、言葉に気をつけろ。怒らせちまったじゃねえか。まあ見てろって」
意味深な笑みを浮かべた充芭は、毛玉を瑠華の枕元に置いた。
「なっ……!な、なんだそれ!?」
信じられないことに、毛玉達は瑠華に纏わり付いている魔霧を、ものすごい勢いで食べ始めたのだ。
予想だにしなかった状況に、雄斗はもぐもぐ食べ続ける毛玉を、食い入るように見つめることしかできない。
「こいつらは妖だが、魔霧が好物な変わりもんさ。こう見えても第一六二回大食い大会で二位と三位の大食漢だ。これくらいの魔霧を食べきるなんざ、朝飯前さ。大丈夫だ……もうこれで、瑠華の心配はいらねえ。ってことで」
そこで一旦言葉を区切ると、充芭は腕を組んで雄斗を見つめた。
「次の、望みはなんだ?言ってみろ」
この妖、口は悪いが、気前はいいらしい。しかし雄斗は、その言葉に甘えることなく、苦い顔をする。
「だから、俺の望みは瑠華を助けること──」
「それは俺の望みだ」
ぴしゃりと充芭は、雄斗の言葉を斬り捨てた。
瑠華を助けることは、お前ごときが望んでいいことじゃない。言葉にこそしてないが、はっきりと立ち位置を示された雄斗の心は、見えない槍でズタズタにされた気分だ。
好きな人を護るのはいつだって自分でありたいのに、よりにもよって、こんな節操なしの妖にその役目を奪われるなんて。神も仏もないのか、こんちくしょう。
「さぁどうする?坊や。あの魔物はまだいる。……意味わかるよな?」
わかりたくは、ない。でも雄斗は、十分に理解していた。
一度、魔物から魔霧を受けた人間は、その全てが魔霧に染まるまで魔物の標的とされる。たとえ魔霧を消したとしても、何度でも魔物は標的となった人間を狙うだろう。
「それを踏まえてもう一度聞く。お前は……どうしたい?」
ああ、まったく。人は望む望まないに限らず、人生の岐路に立たされる瞬間がある。
「俺の望みは……」
無意識に唇が、言葉を紡ぐ。
挑むか、逃げるか──どちらかしかない。人が選べるものなんて、結局のところ、この二つしかないのだ。
皮肉なものだ。ずっとずっと逃げてきたはずだったのに。避けようと選んだ道で、運命に出会ってしまうなんて。
しかも、こんな恋敵の手を借りなきゃいけない自分が情けない。
けれど瑠華の憂いが一つでも減るのなら、選ぶ道は一つしかない。
「あの魔物を倒す。手を貸せ、充芭」
雄斗の言葉に、充芭の瞳の色が一層濃くなった。
「いい答えだ。及第点をやろう」
充芭は雄斗を見つめ、意地悪く微笑んだ。その充芭の笑みを撥ねつけるように、雄斗は唇を引き締める。
試されているなら、ここで覚悟を決めなければならない。
あの日から逃げ続けた自分と決別する覚悟を。そして立ち向かう強さを身につけなければならない時がきたのだ。
心は決まった。もう、逃げない。今一度、自分は太刀を取り、魔祓師となろう。




