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「はっきり言えよ。結界を張る必要がないんじゃなくて、結界を修復してほしくないって。それは、充芭っていう男に関係してるのだろ!?惚れた男なのか?それとも、もう既に恋仲なのか?はっ、まだ小娘だと思っていたが、間男を作るなんて、たいしたもんだ。さすが廓揚がりだな」
雄斗の言葉に、瑠華の瞳が大きくひらいた。その瑠華の仕草すら、雄斗の言葉を肯定するものに見えてしまう。
一緒に寝たいなどと誘惑しておいて、舌の根も乾かぬうちに、他の男の名を呼ぶような娘だったのだ。お笑い草だ、自分は瑠華の掌で転がされていたのだ。
「俺は要の巫女なんてもんは知らねえ、初めて聞いた。そんな怪しい存在から、結界を張りなおす必要はないって言われても、納得できるわけねえんだよ。俺を探してた?ふざけるな。俺を利用するためにここまで来たんだろ?はっきりそう言えよ。でも、残念だったな。俺は、お前に利用されるつもりなんて、毛頭ないんだよっ」
一気に捲くし立てた雄斗に、瑠華は消え入りそうな細い声で「違う」と、弱々しく頭を振る。
「はいはい。そうかよ。でも今更、奇麗事はなしにしろ。正直に言ったらどうだ?惚れた男と一緒にいたいから、協力してくれってよ」
完璧に八つ当たりだ。雄斗は自分の吐いた言葉に胸が悪くなりそうだった。
自制がきかない原因は、嫉妬しているからだ。瑠華に想い人がいたことも、自分が瑠華に必要とされていないことも、全部誰の責任じゃないとわかっていても、醜い感情を抑えることができない。
そんな雄斗を、瑠華は蒼白な顔で見つめるだけ。その真っ直ぐな瞳に耐え切れなくなり、雄斗はプイと横を向いた。
だから、雄斗は気付くことができなかった。瑠華の瞳の奥に映る影も、激しい感情も。
「何、戯けた事言ってるんですか!雄斗さんの馬鹿!……大馬鹿者!!」
瑠華の怒鳴り声が耳朶に突き刺さったと思った途端、バフっと雄斗の顔に向かって何か柔らかいものが投げつけられた。
足元を見れば、長椅子に置いてあった熊の縫いぐるみが落ちている。どうやら、瑠華はコレを思いっ切り投げつけたらしい。
「はん、いい度胸だな」
雄斗はニッと口の片端を持ち上げると、足音荒く瑠華のすぐ近くまで歩を進めた。次いで、瑠華の顎を乱暴にすくい取る。
怯えるかと思ったが、予想に反して瑠華は目を逸らさなかった。キッと挑むように雄斗を睨みつけ、胸倉を掴んだ。そして、次の瞬間──
「っ……!?」
雄斗は、突然の出来事に固まった。
(えーっと……今、唇と唇が合わさったような……?いや間違いなく、くっついた。でもなんで?あー……そっかそっか、これ以上しゃべるなってことか)
多分、違う。しかし理由はわからない。
混乱を極めた雄斗は、呆然と瑠華を見つめることしかできなかった。瑠華も、雄斗から目を逸らさない。
見つめ合うこと数分。ふいに、瑠華の瞳から涙が零れ落ちた。
(えええええええっ!!何で!なんで泣くんだよ!?)
散々振り回されて、泣きたいのはこっちの方である。
瑠華の涙の理由はわからない。それにどうやったら泣き止んでくれるのかなど、もっとわからない。泣かせてしまった手前、今更、瑠華にそんなこと訊けるわけもない。
しかも拒む瑠華を壁際まで押さえ込んだら、夜着一枚で密着する状況になっていた。何かコレ、別の意味でもヤバくないか?と、雄斗の脳内はてんやわんやだ。
そんな危機的状況を救ったのは、やはり有能な執事である荘一郎だった。
「温かい飲み物をお持ちしました」
音もなく瑠華の部屋に入って来た荘一郎は、テーブルに紅茶を置く。まるで二人のやり取りなど眼中にないように。
「雄斗さま。もう夜も更けてまいりました。お部屋にお戻りくださいませ」
いつもの笑みを浮かべて退室を促した荘一郎に、雄斗は自我を取り戻すことができた。無言で瑠華を抱きしめていた腕を離すと、ドアノブに手をかけた。
廊下に出る直前、雄斗は一度だけ振り返る。瑠華は堅く両手を組み合わせて横を向いていた。
その姿は怒りというよりは、寂しさを懸命に堪えているようだった。
自室に戻った雄斗は、とりあえず飾り棚から適当に洋酒を取り出すと、グラスに並々と酒を注ぎ、一気にそれを煽った。
自分が感情に任せて、あの少女を傷つけてしまったという現実を認めるのが怖かった。
けれど焼け付くような喉の痛み程度では、瑠華からかけられた言葉を記憶から消すことはできない。
『何も知らないくせに、勝手なこと言わないで!』
激しい感情に揺れる瞳は、燃えるような緋色だった。あの時、瑠華の目は深く傷ついていた。
瑠華の目から零れ落ちた涙は、まるでどうにもならなかった事に対する怒りの涙のように思えた。
「だったら、何で言わなかったんだよ」
知るわけない。瑠華は雄斗に何も話していないのだから。もちろん、瑠華が話せなかったのは雄斗のせいでもあるけれど。
初めて感情をあらわにした瑠華は、驚くほど魅力的であった。けれど、初めて見せた涙は、雄斗のためのものではなかった。それが一番辛くて、悔しい。
「雄斗さま。お体に障ります」
部屋の入口で荘一郎は水差しを盆に乗せ、静かに口を開いた。
「すまない……助かった」
「どういたしまして」
しばらく間を置いて、ボソッと呟いた雄斗に、荘一郎は少し意地悪な笑みを浮かべ雄斗の元へと足を運んだ。
「こちらをどうぞ」
酒の入っているグラスを雄斗から奪うと、荘一郎は反対の手で水の入ったグラスを握らせる。
雄斗は子ども扱いするな、と言いかけたが、やっぱり自分はガキだと思い直し、素直に水を飲む。
良く冷えた水が喉を通り過ぎる度に、心が落ち着いていった。
「あまり、俺を甘やかすな」
自分はこの人に、こんな優しくされるほど立派な人間なんかじゃない。彼の大事なものを奪ってしまった、罪人なのだ。優しい言葉などもらう権利はない。
自嘲気味に呟いた雄斗の頭を、荘一郎はぐしゃぐしゃと撫でた。
「雄斗さま、あなたは何か勘違いをしているようですが、私は一度だって執事という立場を後悔したことはありませんよ。全て私にとって楽しみでしかありません」
軽く笑い声を上げた荘一郎は、部屋を出ようとしたが、雄斗に振り返るとこう言った。
「それにしても雄斗さま、女性から口づけされるなんて、男冥利につきますね」
「っ……な!……み、見たのか!?」
「さぁ、どうでしょう。でも、千代には秘密にしておきます」
余裕のある男の笑みを浮かべた荘一郎は、今度こそ雄斗の部屋を後にする。
後に残された雄斗は、羞恥のあまり、しばらく長椅子で悶絶することになった。




