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冬来りなば、恋遠からじ  作者: 当麻月菜
灯台下暗し

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25/49

7

 横浜の街は、帝都よりも明るいと雄斗は目を細めながら、ふと思う。


 それは海が近くにあるからなのか、それとも異国の建物の白壁が反射しているのかはわからないが。この街はとても居心地がよい。


 横浜はほんの数年前までは、半農半漁の村だった。開国という大きな出来事により、横浜の村は開港の期日に間に合うように急いで建築された、いわば張りぼての街。


 その証拠に市街地の大通りから一歩、細道に入ると、もともと住んでいた者に加え、貿易の担い手、建設工事で日銭目当てに住み着いたものが混在している。


 横浜は他に類を見ないほど、明るく賑やかで、そして誰もを受け入れるおおらかな街。どんな辛い過去を背負っていても、なんとかなると思える街なのだ。


「……そういうことも、あるってことだ」


 惚れたと自覚した瞬間、それが実らないことなんて、星の数ほどある。だから悲恋の話は人気がある。


 八百屋のお七のような暴挙に出る度胸がない雄斗は、ひりつく心を誤魔化すように呟く。その途端、背後から、きゃっと小さな悲鳴が聞こえた。


 雄斗が慌てて振り返った視界に、小石につまずく瑠華が映り込む。


「っおい、何やってんだ」


 慌てて瑠華の身体を抱え込むと、納得させた心がざわめいてしまう。


「ごっ……ごめんなさい……ゆっ…雄斗さん」


 はぁはぁと、息を切らしながら言葉を紡ぐ瑠華は、ずっと小走りで、自分の後を追っていたのだろう。そのいじらしさに、己の狭小さを実感した雄斗は、深く恥じた。


「……怪我……してないか?」


 うまく笑えたかどうかわからないが、瑠華の安堵した表情を見て雄斗は、ほっと息を吐く。


「悪かった。少し歩くのが速かったな。これなら、大丈夫どうだ?」


 未練がましいのはわかっているが、それでも手を繋ぎたくて雄斗が手を差し出せば、瑠華は迷うことなく指をからませてくれた。


「よっし、じゃあ行くか」

「はい……!」


 どちらからともなく二人は街道を歩き始めた。


 速度を落としたから無理なく歩けるはずだと思ったけれど、瑠華はぴょこぴょこと跳ねるように歩いている。


「まだ速いか?」

「え?いいえ、大丈夫です。ただ……」

「なんだ?」

「こうして歩けるのが、嬉しくって」

「っ……!!」


 なんだよ、こいつ。無自覚に振り回しやがって!

 

 腹が立った雄斗は、豪快に瑠華の頭を撫でてやった。


「あ、あの……雄斗さん?」

「ちっちぇえな。お前は」


 小馬鹿にした雄斗の口調に、瑠華は機嫌を損ねる風でもなく、くすぐったそうに目を瞑る。


(その仕草、子犬かよ……)


 瑠華は不思議な少女だ。どんな毒気も、たちまち浄化してしまう。それは、まるで清らかな湧き水のように。多少の泥が入り込んでも、決して濁らない。


「……不思議だな」


 ふと漏らした雄斗の言葉に、瑠華はそうですね、と答える。


「雄斗さんは不思議な方です」


 いや俺じゃなくてお前だ、と雄斗は言いかけるが、瑠華の笑顔が夕日に反射して、とても美しく、それ以上なにも言うことができなかった。


「雄斗さんは、とても不思議な人です。傍にいると私、とても暖かな気持ちになります」

「それこそ……お前のことだ」


 たまらず雄斗は口を挟む。しかし、瑠華は軽く首を振った。


「そんなことありません。雄斗さんご自身は気付いてないのかもしれませんが……雄斗さんはとっても優しいです。周りの方を暖かく包んでくれるんです。例えるなら……そうですね……今日の夕日のような暖かさです」


 そう言うと瑠華は、身体ごと雄斗に向き合った。


「私は、あなたと出会えてとても嬉しいです」


 真っ直ぐ微笑みかける瑠華に雄斗は、はっと息を呑む。きゅっと心ごと掴まれたような、見るものを切なくさせる笑顔だった。


 表情豊かな瑠華だが、こんな笑みは初めて見た。きっと充芭という男は、この笑みを何度も見ているのかもしれない。


(ああ、かなわない)


 叶わないし、敵わない。でも、瑠華のたった一言で、気持ちが揺さぶられたり、穏やかな気持ちになるのは、嫌じゃない。


 夕日に照らされた、二人の影が伸びている。汽笛の音がかすかに聞こえる。瑠華と向き合った瞬間から、辺りの配色が鮮やかになったような気がする。


「……そうか」


 それだけ言うと、雄斗はついっと視線を港の方向に移したかと思えば、次の瞬間、力いっぱい瑠華を抱きしめていた。


「雄斗……さん?」

「うるさい。しゃべるな」


 瑠華の耳朶に、擦れた雄斗の甘い声が響く。しかし、雄斗の胸の中で抱きすくめられた瑠華には、その表情までは確認することができなかった。


 雄斗は甘い囁きとは正反対に、険しい表情をしていた。剣を孕んだ双眸で鋭く周囲を見回している。


(マジかよ!?よりにもよって瑠華と一緒の時に……くっそ、最悪だ!)


 雄斗達の目の前に現れたのは、扱いが面倒な異国人でもなく、瑠華を連れ戻しに来た郭の番頭でもない。徒人が目にすることはない悪しきもの──通称”魔物”だった。


 見た目は、馬よりも大きい体躯の獣。橙色と黒の縞模様の毛並みをもつそれは、虎に酷似している。


 しかしその体からは、ゆらゆらと黒い霧のようなものを纏わりつかせている。それこそが魔物である何よりの証。


 魔物はぐるると、唸り声を上げながら雄斗達に近づいて来る。


 迷ったのは一瞬だけ。雄斗は瑠華を抱く腕を少し緩め、膝を折ると目線を瑠華と同じにする。


「瑠華よく聞け。この坂道を真っ直ぐ登るんだ。そしたら、街路灯が一本だけ灯っている十字路を左に曲がれ。そのまま真っ直ぐ行けば、俺の家だ。わかったな?」


 ただならぬ何かを感じた瑠華は、その言葉に、ただこくこくと何度も頷いた。


「行け、振り返るな!」


 雄斗の声と共に、瑠華は弾かれたように走り出す。それを視界の隅に収めた雄斗は、瑠華の行く道を守るように、魔物と向き合った。


「ったく、空気が読めねえってのにも程があるんじゃねえか?」


 片方の口端だけを持ち上げて、雄斗は挑発するように魔物に声を掛ける。


「何の因果でここにいるのかはわからねえが、さっさと消えろ」


 険を含んだ双眸で、魔物を睨みつける。余裕すら見せる雄斗だが、内心は真逆だった。


(ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ!マジでヤバイ!!)


 こめかみから冷たい汗が流れる。汗ばんだ手が震えないように、雄斗はぐっと拳に力を入れ、懐から護符を取り出すと、指で挟み素早く詠唱する。


「悪しきもの阻むもの、皆、その身に絡む蔦となれ!」


 言い終えた瞬間、雄斗は護符を振り払うように、魔物に投げつけた。


 護符はまるで意思があるかのように魔物の牙と爪をすり抜け、螺旋模様を描いていく。そして線と線が完全に合わさった瞬間、閃光が轟き魔物を直撃する。


 獣独特の耳をつんざくような雄たけびが聞こえたが、魔物は身を捩ることもできず、雄斗をただ睨みつけているだけだった。


「お、おぉー……さすが、師匠の護符は出来が違うなぁー」


 雄斗は他人事のように、ぽつりと呟くと、汗で張り付いた前髪を乱暴に振り払った。そして、にんまりと魔物に向かって笑みを向ける。


「三十六計逃げるに如かず!!」


 言うが早いが、雄斗は脱兎の如く魔物から背を向け、坂道を走り出した。


 慣れた手つきで護符を操る雄斗の本業は、『銀杏堂』の店主ではなく、魔祓師。


 但し魔物は視ることはできるが、祓う術をもたないので、魔祓師は開店休業状態。そして同業者は、そんな雄斗のことを”ヘタレ魔祓師”と呼んでいる。

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