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冬来りなば、恋遠からじ  作者: 当麻月菜
灯台下暗し

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21/49

3

「──えっと……訪ねる時間を間違えてしまいましたかねぇ」


 銀杏堂に訪れた40近い壮年の男性客は、事前に予約をしたのにもかかわらず申し訳なさそうな、怯えた顔をしている。


「いや、別に。ほら、こっちだ」


 空気を読まずに定刻通りに来たことに対してムッとしている雄斗は、顎で二階に上がれと客に指示を出す。


「ああ、はい。ど、どうも……」


 どっちが客だかわからない店主の態度に戸惑いつつ、客は素直に銀杏堂の二階に上がり、長椅子に腰かける。


 雄斗も机から書類を幾つか抜くと、客の向かいの長椅子に着席した。


「依頼は、職探しってことだが……宇佐屋の旦那、かみさんに三行半を突きつけられたのか?」


 真顔で問うた雄斗に、宇佐屋の旦那こと権三郎はギョッとした表情で、首をブンブン横に振った。


「いやいや、冗談が過ぎますぞ、銀杏堂さん。あっしんとこは相変わらずおしどり夫婦ですよ!」


 慌てて訂正する権三郎は、呉服屋と両替商を営む横浜きっての豪商の主人だ。丁稚奉公から番頭になり、宇佐屋の一人娘に惚れられ、婿になった経緯を持つ。


「そうかい?なら、なんでまたこんな依頼を?あんたなら、俺に頼らず幾らでもいい仕事を探せるだろ?」

「いやまぁ、それはそうなんですが……ちょっと……」


 歯切れの悪い返事をしながら、権三郎は袂から手拭いを取り出し汗を拭く。口にしにくいことを必死に語ろうとしている様子だが、案件に追われている雄斗は、容赦がない。


「妾でも囲っていたのがバレて、女をよそにやろうってか?それともどっかで拵えたガキの世話をしたいのか?もしくは──」

「いえいえ、全部違いますよ!」

「なら、なんで俺んところに来た?宇佐屋の旦那、あんたがこの銀杏堂の陰口を言ってるのを知らないとでも?」


 そう言って雄斗は乱暴に手に持っていた書類を、権三郎に投げつけた。


 書類には、宇佐屋がこれまで銀杏堂にしてきた嫌がらせの数々が事細かに書かれている。


「二年ばかりしか経ってない銀杏堂は新参者だ。天下の宇佐屋相手に騒いだところで誰も相手になんかするわけないとでも思ったか?言っておくが、俺は警察にも知り合いがいる」


 最初に頭に浮かんだのが岡倉なのが腹立つが、遊郭でいい思いをさせてやったのだ。これくらい利用させてもらっても罰は当たらない。


 勝手な持論で胸を張った雄斗に対して、権三郎はガタガタ震えだす。豪商といえど、権力は怖いらしい。


「……あ、あのですね、これまでのことは、ちょっとこちらが、その……悪かったです……」

「へぇ、認めるのか」

「両替商の売り上げが下がったと、かみさんから毎晩毎晩キーキー言われまして……」

「で、俺らんところに陰湿な嫌がらせをした、と。なぁ、宇佐屋の旦那。その言い訳で俺が納得するとでも思ってるのか?」

「……っ、ひぃ……悪かった……すまん……!」


 両手を合わせて頭を下げる権三郎に、雄斗の視線はどこまでも冷たい。


 火鉢を置いているはずの室内の温度も、一気に下がったような気配がする。けれども、ここで権三郎に救いの手が差し伸べられた。


「お茶をお持ちしました」


 場の空気を読まずに、にこにこと二人分のお茶を置いたのは瑠華だった。


「お熱いうちにどうぞ」


 瑠華の声で剣吞とした空気は一掃され、雄斗は無言でお茶をすする。権三郎も同じく。茶の味は、先ほどと同様、素晴らしい出来だった。


「ま、そういうことだから、これまでのことは水に流して……これからは仲良くしよう。宇佐屋の旦那」


 茶を飲み干した雄斗は、打って変わって翳りのない笑みを浮かべた。


 実のところ、宇佐屋の件は、さほど腹を立てていたわけじゃない。ただこの辺りで牽制しておこうという計算から、脅したまでのこと。


 これまでずっと権三郎の様子を探っていたが、銀杏堂の力を求めているのは、本気のようだ。困っている人なら、相手がどんな人であれ、手を貸すのが銀杏堂である。


「じゃあ、仕切り直して、要件を詳しく聞かせてくれ」 

「は、はい!ありがとうございます」


 ペコペコと頭を下げた権三郎は、ぐいっと前のめりになりながら口を開いた。


「仕事を探してほしいのは、あっしの友人の嫁さんなんですよ。実はですね……あっしの友人、侍だったんっすが、ちょっと前に首を吊ってしまってねぇ……」


 苦しそうに語った権三郎に、雄斗はぞわりと怖気が経つ。


「ま、まさか……そいつ、街で刀を振り回して警察にしょっ引かれたりとか」

「ええ、そのまさかです」


 即答する権三郎は、ぐっと膝の上で握り拳を作ると再び口を開いた。


「あっしと友人……芳之助は、幼馴染でしてね、苦労の末に道場主の養子になり、武士になれましてねぇ。今ではあんなふうに落ちぶれた奴になっちまったが、ほんと武士の鏡のような男だったんですよ。廃刀令さえなければ、首を吊ることも、警察の世話になることもなかったんですがねぇ……ほんと……」


 途中で言葉を止めた権三郎の拳は、在りし日の友人の姿を思い出したのか震えていた。 


「警察に取っ捕まったあと、芳之助さんは、酷い扱いを受けたのか?」 


 市民の味方と言いつつも、警察は薩摩藩出身が多い。浪士の残党というだけで、幕末の遺恨から、必要以上に取り調べと称して、暴力をふるう警察も少なくはない。 


 芳之助を逮捕した警察官は、岡倉だ。そして警察に突き出したのは、他でもない雄斗である。


(俺が余計なことをしなければ……)


 責任感と罪悪感で、胸を痛める雄斗に、権三郎は力なく笑った。


「ははっ……それなら、まだ恨みどころがあるから良かったのかもしれません。ですが、警察殿は、不当な扱いは一切しませんでした。それどころか軽く説教しただけで、すぐに釈放してくださって……芳之助を迎えに行ったのは、あっしなんですで間違いないです」


 断言してくれて、僅かに心が軽くはなったが、それでも芳之助が自ら命を断ったことには変わらなかった。

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