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冬来りなば、恋遠からじ  作者: 当麻月菜
横浜と振袖新造
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 一体全体、何が原因でこんな厄介なものを持ち込んでしまったのだろう。頭を悩ます雄斗は、ほんの一刻前の出来事を回想した。


 何百年もの間、他国の干渉を拒んでいたこの国──日ノ本は、十年程前にすったもんだの挙句、統治者が変わり、開国を余儀なくされた。


 外国と外交や通商関係を結ぶために、日ノ本はたくさんの変化をせざるを得なかった。


 身分制度の廃止、徴兵制度や郵便制度の導入など、これまでとは違う制度や習慣が雪崩のように押し寄せた。年号が変わったのも、文明開化の一つ。


 今は、異国の文化が馴染み始めた明治九年。廃刀令が発せられた年である。


 雄斗は、この横浜で二年前から『銀杏堂』という何でも屋を経営している。色々あったが、人当たりの良い佐野の人徳のおかげか、雄斗の経営手腕がそこそこだったのかわからないが、今では横浜でちょっとした名物コンビとなっていた。


 雄斗の午後の日課は、散歩である。今日も貨物船の汽笛を聞きながら、港へ向かう下り坂を歩いていた。


 向かう先は、今年、港に新しくできた公園だ。何でも屋は情報が命だ。異国人が設計したという公園を冷やかし半分、調査半分といった感じで、足を向ける予定だった。


 しかし今日に限って、佐野さんから外套を押し付けられた。


『今日は必要ですよ。はい、どうぞ』


 断る間もなく押し付けられた外套が、かなり邪魔だった。


 横浜に移住してから、のっぴきならない事情を抱えている雄斗は、日々の殆どを洋装で過ごしている。


 異国人が闊歩しているとはいえ、まだまだ着物姿が多い横浜では、洋装は珍しく、街ゆく人の視線が少々痛い。


 雄斗は、首元のタイを緩めると、ふうーと息を吐く。


 すれ違う人々の視線に息がつまるのもあるが、襟の詰まった洋装は、秋の初めにはまだ堪える。しかも外套まで持っていれば、イタい人にしか見えない。


「ったく、佐野さん、何でまたこんなもん持たせたんだ……暑い」


 腕にかけてある外套を見つめ、雄斗は眉間に皺を寄せた。人の心理とは不思議なもので、不要なものほど、重たく感じてしまう。


「……なんか、今日じゃなくても……いい気がしてきた」


 公園の散策は、別段急ぎということではない。そして不要な荷物を抱えたまま、無理して足を運ぶところでもない。


「よし、戻ろう」


 短い葛藤の末、雄斗が踵を返したその時、穏やかな秋晴れに似合わない野太い声が辺りに響いた。


「足抜けだ!!」


 それは、遊女が廓から逃げ出したことを意味する。


 状況を把握した雄斗は、素早く辺りを見回した。


 公園からすぐ出た大通りには、一台の馬車が止められている。馬車の持ち主であろう大男は、道路のど真ん中で大声を張り上げているが、自ら探すことはしていない。


 その場から動かず、右往左往しているということは、この土地にあまり詳しくないのだろう。


 最近、横浜遊郭では、火事が相次いでいるせいで、外国人への接待が困難を極めていると、貿易商がぼやいていた。


 逃げ出した遊女は、帝都の遊郭から駆り出されたのかもしれない。大門を抜けた今日、千載一遇の好機とばかりに行動に移したのか。


(っと……まあ、自分には関係ないことのようだな)


 色々推測はしたものの、雄斗は顎に手をかけて、そんな結論を下す。


 未だ大男は声を張り上げているが、道行く人の視線は冷たい。手を貸す気のない雄斗は、足早に事務所への近道である路地に入り込んだ。けれども──


「は?……は??はぁ!?」


 一歩そこに足を踏み入れた雄斗の顔は、見事に引きつった。


 路地には、一人の少女が佇んでいたのだ。緋色の着物に、花簪を刺した姿は廓の女であることは間違いない。そして騒ぎの原因である少女は、何の因果か、雄斗の目の前にいる。


 少女は大男の声から我が身を守るように両手で耳を塞ぎ、うずくまっている。その姿が、まるで捨て猫のようだった。


 考える間などなかった。雄斗は腕にかけていた外套で少女を包み、ここ銀杏堂で匿ってしまったのだ。


 これがことの成り行きであり、二人の出会いのはじまり。



 回想を終えた雄斗は、勢いとはいえ、何だか良くわからない拾い物をしてしまったことに頭を悩ます。


 本来なら、廓に戻すのが筋だろう。出会ったばかりの少女に、必要以上に情をかけるなんて柄じゃない。


 そうわかっているのに、雄斗はガシガシと後頭部を掻く。


(でもなぁ、あんな顔を見たら酷な真似はできねぇな)


 24にもなれば、女のあしらい方はそれなりに身に着いているはずなのに、少女を突き放すことに、強い躊躇いを覚えてしまう。


「……足抜けの片棒を担いでしまった以上、このまま何もなかったことにはできそうもない。そうだ、その通りだ」


 都合のいい言い訳を見つけた雄斗は、どっかりと応接の長椅子に腰掛けた。向かいの席では、少女が冷茶をゆっくりと味わっている。


「俺は桐嶋雄斗。で、お前の名前は?」


 ぞんざいな雄斗の質問に少女は湯呑を置くと、おどおどしながら口を開いた。


「あ、私……瑠華(るいか)と申します」

「瑠華?お前……廓でもそう呼ばれているのか?」

「あ、はい。姐さまが、このままでいいって言ってくれたので……」

「へぇー、そりゃ変わった姐さまだな」


 遊女になれば、元の名を捨て、源氏名を名乗る。言葉遣いも、出身を隠すために、徹底して廓言葉を叩きこまれる。


 しかし、瑠華はそういった訛りもなければ、いかにもと言った名前でもない。


「お前、本当に遊女だったのか?こんな言葉遣いなのにか?」

「あ、はい……まぁ、そうです……」


 歯切れの悪い瑠華の返事に、雄斗は一つ一つ疑問に思ったことを尋ねていった。


 その結果、振袖新造こと瑠華は、齢十六にして、常軌を逸脱した人生を送っていたことがわかった。

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