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スー・山田に「後で話がある」と囁き、馬車に乗り込む。車内は薄暗くて、瑠華は項垂れてはいないけれど、表情が良く見えなくて、雄斗は不安になる。
怒鳴りつけるほど心配していたけれど、もっと他にやりようがあった。今更悔やんでも遅いとわかりつつ、雄斗は自分自身を責めまくる。
馬車が止まり、二人そろって落ち込んだ表情のまま百日紅の館に戻り、玄関扉を開ける。真っ先に出迎えたのは、荘一郎ではなく、千代だった。
「瑠華ちゃん、お帰りなさぁーいっ」
もちろん荘一郎も出迎えてはいる。が、千代に押され、三歩後ろで見守っている。
「瑠華ちゃん、今日は大変だったわね。佐野さんから連絡があったのよ」
千代はそう言うと膝を折り、両手を瑠華の頬に添えた。
「怖かったでしょう?ほんと、怪我がなくて良かったわ。ったく、雄斗さんがついていながら、瑠華ちゃんを危険な目に合わせるなんて、男の名折れだわ。情けないったらありゃしない」
ごもっとも過ぎて返す言葉も見つからない。それに、たとえ反論しようとも、口で千代に勝てる気はしない。
それにしても、佐野はこんなにも過保護だったのか。柔和だが、そこまで世話焼きではないと思っていたけれど。
帰宅した途端に千代から叱られた雄斗は、幼いころのように助けを求めて、荘一郎に視線を送る。それに気づいた壮一郎は、目が合うと、一つ頷いた。
「どんまいです。雄斗様」
声としては聞き取れなかったが、荘一郎は間違いなくそう言った。でも、援護する気はさらさらないらしい。
瑠華はというと、馬車の中でも始終俯き無言だったが、千代の声でやっと顔を上げた。
「あの……すいません。今日もお邪魔します」
「もう!瑠華ちゃんったら、そんな他人行儀なこと言わないでちょうだい。瑠華ちゃんのお部屋は、もう整えてあるのよ。さぁさぁ、お部屋に案内するわっ」
かいがいしく瑠華に言葉をかける千代であったが、屋敷の主である雄斗は無視されたまま。外套すら脱げず、ただただずっと立ち尽くしている。
「瑠華ちゃん、お部屋を案内したら、少し休む?それとも、湯あみする?あっもちろん、夕食はいつでも食べれるわよ」
「私……あの……千代さんの、お手伝いをしたいです」
瞬間、瑠華は千代に抱きしめられていた。
「もう、瑠華ちゃん、可愛い!!」
夫の荘一郎よりも、熱い抱擁を交わしているだろう。荘一郎は、遠くを見つめている。
(どんまい)
今度は、雄斗が荘一郎に向かって、いたわりの眼差しを送った。
何はともあれ、瑠華の顔に笑みが戻って良かった。
安堵した雄斗は外套を自分で脱いで、荘一郎に預ける。それから自室に戻る為、千代と瑠華の後ろを歩いていたが、瑠華が自室に入るのを見るなり脱力した。
「……何でまた、ここに……」
二階に用意された瑠華の部屋は、雄斗の隣だった。
これではまるで、瑠華と自分が許婚同士のようではないか。決して嫌ではないが、せめて一言断りを入れて欲しかった。
「何か?」
雄斗のボヤキをしっかりと耳に入れた千代は、振り返って雄斗に笑いかける。
「…………いや、別に」
文句はないが、すぐ隣に瑠華が居ると、ひどく落ち着かない男心をわかってほしい。
それから雄斗は楽な格好に着替えると、瑠華と共に夕食を取った。
落ち込み続けていた瑠華だが、千代の手料理が口に合ったのか、食べ終える頃には笑みを浮かべるようになってくれた。
安堵した雄斗は、自室に戻るとそのまま長椅子へと倒れこんだ。睡魔が一気に押し寄せてくる。本当に今日は、ひどく疲れた一日であった。
それもこれも全て、昨日拾った野良猫ならぬ、瑠華のせいである。
(あいつは、本当に猫みたいだな)
こちらの思慮を無視して、勝手気ままに行動する。本当に目が離せない。
住むところをなくし、人探しのために郭に流れ着いて、横浜で自分と出会った。そうとう波乱万丈なのに、瑠華は五体満足で、重い病にかかっている節もない。
今日の一件といい、随分と強運の持ち主だ。まるで、何か見えないものに護られているように。
(……やめよう)
雄斗は軽く首を振り、起き上がると、窓を見つめた。
目に見えることが全てで、それ以外のことを考えるのは詮無きことである。
(胸に傷がある男……か)
夜空を見上げて、その男を思い出した雄斗は、すぐに苦笑した。
(お前、いつから小娘ひっかけるような男になったんだよ)
記憶にある傷の男は、何も言わない。さも嫌そうに、顰め面をしただけだった。雄斗も、同じような表情を浮かべている。
瑠華には悪いが、探し続ける理由も、その男に何を望んでいるのかも教えてくれないなら、探し人は絶対に見つからない。
ただ、どう傷の男を探すのを諦めさせるか────それを考えると頭が痛い。できることなら、瑠華の泣き顔だけは見たくない。




