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冬来りなば、恋遠からじ  作者: 当麻月菜
横浜の日常と、雄斗の非日常

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8

「ははっ、役得な仕事ですよねぇ」


 雄斗に怒鳴られても、岡倉は悪びれる様子はなかった。それどころか身体の向きを瑠華に変え、気障な仕草で官帽を少し持ち上げた。


「お初にお目にかかります、花のように美しいお嬢さん。本官の名は、岡倉圭司。28になるんですが、独り身で──」

「”また独り身になった”が、正解でしょう?」


 岡倉の自己紹介を遮ったのは、雄斗だった。予想外の出来事が続いてうっかりしていたが、岡倉は最近妻に三行半を叩きつけられた前科者だ。


 しかも、無類の女好きという警察官にあるまじき理由でだ。


 妾を囲うのは男の甲斐性の一つと言われるご時世でも、妻が耐えられないほど岡倉は女癖が悪かったらしい。


 そんな害虫が、瑠華に粉をかけようとしているのを、雄斗が見過ごせるわけがなかった。


「世間知らずな小娘を口説くなど、女泣かせの岡倉殿の名が廃れますよ。お望みなら、そういう席を設けて差し上げますが?値は張りますけど」

「本当か!その言葉に偽りはないか!?」

「はぁ……まぁ……」

「さっすが、銀杏堂!顔の広さは、横浜一だな。あっはっはっ」


 目を輝かせながら、雄斗の肩をバシバシ叩く岡倉は、警察官としての自覚が消えている。


(脱げよ!その制服、今すぐ脱げぇーーーー!!)


 いっそ声に出したらどれだけスッキリするだろう。立ち聞きしていた部下の警察官は、無意識に己の耳を両手で押さえている。


 不出来な上官を持つ部下の苦労に気づかない岡倉は、更に雄斗に詰め寄る。


「じゃあ、高島町遊郭の岩亀楼の……つ、つ、月の兔花魁との席でもいけるのか!?」

「まぁ、今日明日にとはいきませんが」

「待つ!年が明けても、全然待つ!月の兔花魁に酌をしてもらえるなら、幾らでも待つ!!」


 血走った目で鼻息を荒くする岡倉に、雄斗は冷めた目を向ける。


(その熱意、仕事に活かせよ)


 今なお耳を塞いで、上司の問題発言を聞かないでいようとする下っ端警察官に雄斗は同情する。


 とはいえ内心、岡倉の関心が瑠華から他に移ったことに安堵している。


「では、ご期待に沿えるよう尽力いたしますので、これで失礼します」

「ああ。引き留めて悪かったな。いい報せを待ってるよ」


 あっさりと瑠華から身を引いた岡倉は、笑顔で雄斗たちを見送ろうと手を挙げた。


 しかしその時、状況が一変する。


「こら!やめないか!!」


 警察官に取り押さえられた男が、最後の力をふり絞って暴れだしたのだ。


「おっと、こりゃいけない」


 官帽を被り直した岡倉は、慌てて男の方へと駆け出していく。


「なぁ、俺は……!もう、侍は……必要ないのかよっ……!!」


 暴れる男のは、数人の警察官によって身動きができない。それでも悲痛な声で、必死に訴えている。


 その言葉は、胸をえぐるようなものだったが、誰も男に答えるものはいない。


 この動乱で、目の前の男は、きっと多くのものを失ったのだろう。その責任は、時代のせいといえばそれで終わる。が、あえて言うならば国にある。しかし国はその責任を、文明開化という言葉にすり替え放棄した。


 皆、それをなんとなくわかっているからこそ、答えることができない。誰も彼を救ってはくれない。


「絶対に俺は認めない。滅びろ!すべて滅んでしまえ!!」


 答えがないのが、答えだと悟った男は、地面に頭を打ち付けながら声を張り上げる。その血を吐くような男の絶叫に、雄斗は瑠華の耳を塞いだ。


「聴くな。あんなもの、聞くんじゃねえ」


 あれは、聴くものを闇に落とす呪いだ。


 

 無言で瑠華の手を引いて、雄斗が銀杏堂に戻ると、すでに佐野は戻っていた。


「ああ、良かった。二人でお出かけなさってたんですね。あー良かった、良かった」


 あからさまにほっとした佐野だが、複雑な表情をしている雄斗を見て何かがあったことを悟ってしまった。


 人使いが荒そうに見える雄斗だが、実は気を遣う質だ。そして、手のかかる案件こそ、一人で抱え込もうとする。


 銀杏堂を立ち上げた時から共に過ごしている佐野は、一先ず二人にお茶を出す。そして雄斗のピリピリした空気が少しだけ和らいだのを機に、口を開いた。


「雄斗さん、ご指示をいただいたものは全て片付けましたので、急な案件でしたら私の方で対処しましょうか?」


 佐野が、話しやすい状況を作ってくれたせいか、雄斗は昼間に起きた出来事を詳細に語ることができ──すべて聞き終えた佐野の顔には、案の定、苦笑が浮かんでいた。

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