歌姫の息子
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2日前、セロットとタノスは夜の教会に居た。
「すいませんこんなところで」
年齢にして14歳程の少年は、見た目に似合わない悲哀を漂わせる表情をしていた。
教会の椅子に腰かけながら、少年は一人分空けて隣に座るセロットとタノスの方を見る。
「お二人は、異世界を旅してもう長いんですよね。
……凄い魔力でした、海賊を撃退した時」
「あんなのは敵にさえならないよ!
海だろうと空だろうと、ドラゴンが現れようが平気さ!」
「俺はそうでも無いが、こいつが強い。
目的地に行くだけならなんとかなるだろう」
「……ただ、それはお前が支払うには多すぎるんじゃないのか」
少年が抱えているのは、金貨が大量に入った布袋。
「いえ。
僕のお願いしたいことはこれだけの価値がありますから」
「母を置き去りにしてきてしまったんです」
エバスと名乗った少年は、2ヶ月前までは一つ隣の異世界で母親と2人で暮らしていた。
近隣諸国との戦争が終わった直後の、平和な時代に生まれ育った彼が内向的になったのは父親が原因だった。
元々兵士の職に就いていた父親の攻撃性は、やがて家族へと向けられる。
兵士から何の職に就いていたか、エバスは知らない。
だが、仕事から帰ってくる度に父親の機嫌が悪くなっていることだけが印象に強く残る。
綺麗な子守歌を歌ってくれていた母は、次第に口数が減っていた。
エバスが8歳の時、暴力的な父が不慮の事故で亡くなる。
不思議なことに、父が亡き後も生活に困ることは無かった。
殺伐とした家の中は次第に澄んでいき、家に帰った時の空気の冷たさも感じなくなっていた。
母がエバスを元気づけようと見せ続けてくれた笑顔は、エバスの失いかけた笑顔を取り戻させていた。
「母は……強い人です。
俺のことをいつも考えてくれた」
「母の声には、能力がありました。
歌声を響かせた物を操る力です。
それを聞かされたのは、家の中が暖かくなってから3年後でした」
「力強かったはずの父が、浅瀬で溺れて死んだ理由がわかりました」
エバスだけが知っている母の能力。
料理を作りながら歌を口ずさむ母。
空中に浮きながら鍋の中をかき混ぜるヘラ。
食器棚からゆっくり浮遊してきた皿が、テーブルの上にゆっくり置かれる。
振り返った母の微笑んだ顔。
それを見て身体中の力が少し抜けるエバス。
幸せがそこにあった。
「けれど」
「どこか遠くの異世界からやってきた母を知る者達が……俺と母の暮らす国へ偶然流れ着きました」
「母の歌声を利用するために、奪うために」
「徒党を組んで、町ごと襲ってきたんです」
母がエバスを連れて逃げたのには理由があった。
町を出て森を超えた先にある城に住む女は、母の親友であり頼れる者だったから。
十年も前に異世界から十数人で移り住んできた母の、最後の頼みの綱。
どれだけ隠そうとも息子は見つかってしまう。
ならば異世界へ親友と共に異世界へ逃れるしか無い。
手紙だけでやり取りしていた母が親友と出会ったのは実に3年ぶりだった。
親友は血相を変えて走ってきた母とその息子……
その奥からやってくる何者か達の気配を感じ取り、おおよその状況を把握した。
「この子を"あの人"の元へ!!」
その母の言葉。
親友は一言返事をした。
「その子だけなら今すぐでも」
エバスの表情が青ざめた。
「お願い」
エバスは、握っていた母の手で放り投げられ親友の元へ。
放り投げられながら見た母の顔。
元気で、優しい微笑みを最後に……エバスは異世界へと転送された。
「それで……母の知り合いである、今はこの教会の神父さんの元で住まわせて貰ってるんです」
「母が俺に預けた金貨には目もくれずに、教会の仕事の手伝いをさせてくれて……
本当に、神様のような人です」
エバスの両目から、涙が零れた。
「……金貨なんて、要らない。
母が……ぐっ……
母さんが……っ! 母さんが居てくれたら他には何も……っ!!」
「うん」
「ぐぅ……っ
えぐっ……」
エバスは必死にこらえようとするも、涙が止まらない。
止まらない嗚咽は、エバスの言葉を1分は遮り続けた。
「ぁぐっ」
「……ごめんなさい」
「いいんだよ。
泣けるのは良い事さ」
「……はい」
涙を腕で無理矢理拭い、一度深呼吸をしたエバス。
「母の安否を、確かめてきて欲しいんです」
「もう……どうなってしまったのか、覚悟も……しているつもり……です……」
「けれど、俺は知りたい」
「もし! もし生きていてくれたら――」
「わかった」
セロットはエバスの顔を見ながらハッキリと言った。
「この依頼、引き受けよう。
ちゃんと君の用意したお代も頂いて、ね」
「……!」
「セロット。
こんなに受け取る必要は……」
「ダメだよタノス。
この金貨はエバスの覚悟そのものだ」
「一週間以内だ。
それまでに必ずここに戻るよ」
「……よろしく、お願いします……っ!」
「頼みます……っ」
縋るように頭を下げたエバス。
セロットはニッコリと笑いながら、金貨の入った袋を受け取った。
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町を抜け、平原を歩きながら王都の奥にある海を目指すセロット。
「ほら、食べな?
木の実入りのクッキーだよ」
「いらん」
「甘いものは頭をぎゅんぎゅんに回してくれるんだよ~?
僕のようにね」
「いちいちうるさいんだお前は」
「もぐ」
目を離した隙にお菓子を食べだしたセロット。
「おい……
今喰いだす奴があるか」
「もぐもぐ……」
タノスに返事もせず、歩きながらお菓子を食べ続ける。
「ペッ」
「は?」
セロットは口から何かを吐き出し、右手のひらで受け止めた。
セロットの右手のひらには、銀で出来た小さな鍵。
「それは――」
「そうそう、"朝焼けの貝殻"には余談があってね」
鍵を水の魔法で洗い、服の内ポケットに仕舞ったセロット。
「朝焼け前の夜、灯台守同士が秘密裏に情報を伝えるために文字を記した貝を浜に埋めるらしいよ……ふふふ!」
依頼を受けた次の日、神父はセロットに小さなメモを手渡していた。
それはエバスの母と親友の居た城のとある部屋の鍵をセロットに託すため。
"歌声の力"を狙った組織の残党が息を潜めている可能性を案じたため。
セロットとタノスが足に魔力を込めて走り出す。
「ホントは王都なんてスルーしてそのまま海へ行きたいんだけどねぇ」
「あえて王都の中を通ってみるよ、それで出方を見る」
「……尾けられているのか?」
「多分ね。
開けた場所で何もしてこなかったから狭い路地でも通ろうかなって」
「組織の追手なのかどうかはまだわからないからさ。
けどもしそうだったら――」
「ここで逃さない手は無いよね~?」